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かわいいツイートをするひと

いいなあ、かわいいなあって思うひとがいる。
実は一度も会ったことはない。
Twitterで私が勝手にフォローしている、あるひとたちのことだ。

この気持ちをなんといえばいいのかわからない。
私の中で「かわいい」と思ったひとたち、いったいどういうひとなのか。


ことばづかいがかわいい

まず、言葉遣いがかわいいのだ。
ツイートの言葉もかわいい。
何を言ってるんだと思われるかもしれない。
読んでいてすんなり入ってくる言葉が多い。
口語的なのだ。
つまり話し言葉。
これってけっこう重要で、言葉遣いが印象を決めると思っている。
文語文ってやはりというか少しいかめしい、堅苦しさがどうしてもある。
話す内容によっては、文章の硬さマシマシなんじゃない?みたいなことも起こり得る。
かわいいひとたちは全然、そんなことはない。
平易な文章を書いている。
読みやすいことばを使っている。
いっそ、だれかに「こんなことあったんだ!」って話しかけているような。
ひとりごとみたいなツイートですらそれ。
なんでそんなにかわいいんだ、画面越しに私はいつもキュンとさせられて死に体になっている。
おかげさまで、いいねを押す手が止まらない。
もう十回くらい押させてくれ。(そんな機能ではない)


書いている題材がかわいい

書いている題材、いや、話の内容がかわいいといえばいいんだろうか。
今日こんなことがあった。
ごはんおいしかった。
とてもさりげない、きっとかわいいひとたちの日常の断片。
怒った!
うれしい!!!
かなしい……。
楽しかったー!
そういった喜怒哀楽も、とても素直な言葉で、見ていて微笑ましいのだ。
いや、すなおなことばだ。
書かれた文章に素直もあるものか、と思うかもしれないが、とても率直な文章って装飾が過ぎるわけでもなく、本当に、あるがままの言葉なんだろうなという自然さなのだ。
私がそういった素直な言葉を書くことを苦手としているので、よけいにかわいい、いいなってあこがれが混じっていることは否定できないけれども。
「こんなことあったー! たのしみ!!」
「今日こんなことが……うっ……あたまのなかで、上司をめこめこにした」

私には私の大好きなかわいいひとたちが書くようなツイートを書く才能がそれはもう壊滅的にないので、本当にひどい例もあったものだなとは思うのだが、ざっくりいうとこんな感じだ。
こんな簡単すぎるわけでもないんだけど、雰囲気だけ、片鱗だけでも感じてほしい。
実際のツイートを引っ張ってくるわけにもいかないので。
かわいいツイートで、私は毎日しんどい。もちろんいい意味で。


リプライのことばがかわいい

相互フォローしている相手であればリプライのやりとりをすることがある。
リプライの言葉もかわいい
おまえ、かわいいって思ってるから目がくらんでるんじゃないか?
そう思われても仕方のないことだが、待ってほしい。
リプライってお返事だ。
会話のやりとりになる。
となると、もちろん人それぞれ会話の好みというものがあるが、かわいいひとたちのリプライ、だれであっても同じようなテンションである。
内容によっては大興奮しているリプライもないわけではないけれども。
だれに返信していても、だいたいかわいい
たまにフォロワー同士が被っていてやりとりが見えてしまうことがあるが、それをふっと見たとき、「あ、かわいいやりとりしてるな」って思う。
それはもし雑踏であっても、彼らのかわいいやりとりってひときわ耳に入ってきてしまうように思うのだ。
見も知らぬひとであるのに、ほほえましいな、いいなあって幸せな気持ちにさせてもらえてしまうんだろうなと。
そんなかわいさ。あーかわいい。


ひらがながかわいい

さっき「言葉遣い」と「ことばづかい」、「素直な言葉」と「すなおなことば」と書いた。
私は文語文が好きなので、ついつい漢字変換してしまう。
ところが、かわいいひとたちって、ひらがなと漢字のバランスがとても秀逸だと個人的に思っている。
あのひらがなと漢字のバランス、どうしてあんなにうまいのか聴いてみたいくらいなのだが。
ひらがなが多すぎるとおそらく幼く見えるだろうし、漢字が多いと文字の密度として堅苦しさが増してしまう。
漢字で使うべきところは漢字で、そうでないところはひらがな。
さっき秀逸、と書いてみたが、きっとかわいいひとたちは「すぐれている」とか「すごい」とかその辺で表現しそうな気がする。
だれにでもわかる字を使っていて、本当にすごいと思う。
あとそもそも、ひらがなって見た目がかわいいよねって話。


そもそも、かわいい:とは

そもそも、かわいい、どんな意味で使ってんだよ?と思う方もいるだろう。
女性の「かわいい」って共感とか同意とかの意味があるんだろ?と。
ここまで述べて来たかわいいツイートをするひとたち。
彼らのかわいさってのは、私の足りない語彙であえて言うとすれば。

かわいさがマッハでひたすらしんどい。つらい。かわいい。めでたい。

古いと思ってしまった読んでいるあなた、たぶん私より年下です。
もしやと何かに気づいてしまったあなた、たぶんアタリです。
私、多分に最新のオタクではないので。あと使い方間違えてる気もする。

さて辞書の「かわいい」を引いてみる。私の大好きな精選版日本国語大辞典。いつもありがとう小学館。あと電子辞書さま。さまさまである。

かわいい   「かわゆい」の変化した語。
1⃣ あわれで、人の同情をさそうようなさまである。かわいそうだ。ふびんだ。いたわしい。
2⃣ 心がひかれて、放っておけない、大切にしたいという気持である。深く愛し、大事にしたいさまである。いとしい。
3⃣ 愛すべきさまである。かわいらしい。かわゆい。
 イ:〈若い女性や子どもの、顔や姿が〉愛らしく、魅力がある。
 ロ:〈子どものように〉邪心がなく、殊勝なさまである。
4⃣ 〈物や形が〉好ましく小さい。また、小さくて美しい。かわゆい。
5⃣ とるに足りない。あわれむべきさまである。やや侮蔑を含んでいう。

私がひたすらかわいいって使っているが、ここでいう2⃣と3⃣の2つめかな。
強調しておいた。

邪心がないってのは大きい。
言葉の意味を考えてしまいがちな私にとって、無邪気なのは安心できるのだ。

ちなみに『精選版日本国語大辞典』の語誌によると、「かわゆし」って言葉自体はもともと「顔映(かわはゆし)」が語源だろうと言われており、「気が引ける、恥ずかしい」に近い言葉だったようだ。
中世で多く使われるようになった頃には「見るに忍びない」の意から「ふびん」という意が生じており、中世後半から女、子どもなど弱者への憐みの気持ちから発した情愛の念を示す「愛らしい」や「甘えの気持をこめて愛人などをいとしいと思うさまにいう」ようになったようだ。
そして近世以降からは「小さくて愛らしい」って意味合いが主に使われるようになり、「ふびん」の意はあまり見られなくなってしまったそうだ。
言葉の変遷ってやっぱり面白い。


明るくてかわいい

かわいいひとたちの魅力。
彼らは喜怒哀楽の表現を全て行うのだけれど、そのどれもが鬱屈としたものが薄い。
ネガティブな話ですらポジティブな話に変えている。
かわいいひとたち当人が実際にどう考えているのかはわからない。
けれども、ただそのツイートだけを見ている私からすると、彼らは感情を「消化」しようとしているのではなく「昇華」しようとしている気がする。
「昇華」というのを大雑把に言うと、マイナスなことでも健全な行動や考え方によってプラスへと持って行くことである。
きっと根が明るいか、明るくしよう、明るい方へという意思が強い人たちなのかなって勝手に思ってる。
明るくかわいいツイートで私は毎日明るい方へと導いてもらっているような気がする。


かわいいひと

最後まで読んでくれたあなた。
ここまで読んでくれてありがとう。
おそらく私の事を読みながら、あばたもえくぼという言葉が思い浮かんでいるかもしれない。
残念ながら、かわいいツイートしているひとたちに、あばたなぞないのだ。
アイドルはトイレ行かないって信じてるみたいな信仰心でもない。

たぶん、なのだが。
かわいいツイートをするひとたちは、言葉遣いが巧みなのもあるし、ツイートする時点である程度の置き換え……というか、一枚既にフィルターをかけることが上手なのではないかと思っている。
実際に会ったことも、まして声を聞いたこともないから、あくまでも想像にすぎないのだが。
そしてかわいいひとたちは、とても頭のいいひとたちなのだと思う。
人間関係をうまくおさえ、自分の中であった出来事をすなおに楽しみ、時に苛立つことすらも昇華してみせるひとなのだと。

そういったかわいいひとたち。
すなおでやさしいことばを紡げるひとたち。
ほほえましい気持ちや、親しみを抱かせるひとたち。
彼らのツイートを、私はいつだって心待ちにしている。

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