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毒と蟲喰-家庭崩壊から虐待まで #1-

私の生い立ち

まずはじめに私の生い立ちや環境などを語ろうと思う。

私は九州のとある田舎で生まれた女だ。家族構成は父、母、私、妹の四人家族。近所には叔母がいた。

お世辞にも良い家庭とはいえず、はっきり言ってしまえば貧困家庭で、両親は私達姉妹が物心付く前から顔を合わせては喧嘩していた。
どちらかというと母親が気に入らないことに腹を立てて喧嘩腰で話し、反論されたらヒートアップしてしまうような人であるためおおよそ幼いながらに感情的だなとは感じていた。 

両親の喧嘩に辟易していたせいもあってよく非現実的な空想ばかりしている内気な少女だったのを覚えている。


しかし家庭だけにとどまらず保育所の先生からも食べるのが遅いというところから私と妹だけ別室に呼ばれてストレス発散の捌け口にされていた。許さねえぞあの性悪ババア。

保育所はさておき、内気な少女は小学校にあがると不思議なことに明るく振る舞うようになっていた。しかし進級するたびに保育所から仲良しだった子が次々と引っ越していってしまい、小学校5年性になる頃にはクラス内でしばらくの間一人ぼっちになってしまった。

何がきっかけか忘れたがクラスで一番頭がいい子と仲良くなって、小学校卒業してもしばらくはその子と過ごす日々だった。

以上が私の幼少期〜小学卒業までの生い立ちである。



家庭崩壊の始まり

小学校を卒業して中学にあがるかあがらないか位の時期のことである。この頃母親はパチ屋の深夜清掃のバイトだかパートだかと言って夜遅くに出ていっていた。1hくらいの清掃らしい。(本当にそんな仕事あるのか?と思って、大人になった今求人サイトで検索をかけたら本当にあった。)


しかし明らかに帰宅時間が遅くなる日が増えていった。


最初はコンビニで買い物していたと言って夜中にアニメを見ていた私にお菓子とかくれてたが、次第にそれもなくなり、気づいたらパチ屋の清掃も辞めていた。


このとき中学生の私は「まさか不倫?」と嫌な選択肢が頭によぎった。(母親が好んで見ていたドラマが大奥や21時過ぎあたりから始まる男女のドロドロな人間関係ものだったため、変にそういう知識が身についていた。)
パチ屋の清掃を辞めて、朝〜夕のパートに勤めてからも夜中に出ていくことがあったため、さすがにおかしいとは感じていたが質問するタイミングが無くモヤモヤしていた日々を過ごしていた。

個人的な意見で申し訳ないが、幼い時から今現在この文章を書いている自分が大事にしていることの一つとして両親が仲がいいことをあげている。生い立ちの項目でも記載しているが、自分の両親が喧嘩ばかりしていて嫌な思いをしていたからより一層強く思っている。また、子どもの視点からお父さんとお母さんという人間同士が仲良しでほかの異性に現を抜かすなんてありえない、だから不倫なんて言語道断だし生理的に受け付けないという思想を抱いている。
もちろん、これに関してもあくまで一個人の意見であるためそうじゃないという人がいることも重々承知している。

 

そして、とある日に夜中に勉強していた私のもとに母親がやってきて内緒の話があると言って耳を貸した。


「お母さんね、好きな人が出来たの」


この一言から家庭崩壊が始まり、私達家族の歯車が噛み合わなくなっていくのであった。

中学2年の春のことである。

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