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「1年生だから…」の幻想とチェンジザマインドセット


雑談


6月も最後の日で、いよいよ明日から7月です。「魔の6月」と言われるこの1か月、皆様本当にお疲れ様でした。特に新卒の社会人や新任の先生にとったらハードだったことだと思います。滋賀は昨日、久しぶりに晴れましたが、今年はしっかり梅雨を感じる気候で、今日からまたしばらく雨模様ですね。庭の睡蓮鉢からは雨水が溢れ、飼っているメダカは例年以上の産卵期を迎えております。

小学1年生を2か月担任してわかったこと


入学式から早2か月が経ちました。当初、いろいろ気を遣いながら構えていたことも、子どもたちが学校生活に慣れたことから随分楽になりました。1年生って幼稚園や放生園では「お兄さん、お姉さん」をしっかりやってきた子たちなんですよね。そして園の先生たちがしっかり指導してくださっている。だから、全国の先生たちが思っている以上に1年生ってできることが多いなって感じました。今のクラスの子どもたち、どんどんいろいろなことをやります。

「1年生だから〇〇は無理」は半分間違い


当然、6年生と比べるとできないことは多いです。多いのだけれども、何もかも教えてあげないといけない、何もかも手取り足取りしなければいけないわけでもありません。身の回りの生活のことなんて、慣れてしまえばあっという間にできるようになりました。ノートを書くことも丁寧に教えたらできました。アサガオの水やりも毎日一人で行けますし、ペアでの教え合いもできます。

「1年生だから一人でやるなんて無理」
「1年生だからペア学習なんて無理」

こうした言葉をこれまで幾度となく聞いてきましたが、幻想でした。

「1年生だからタブレットは無理」は間違い


タブレットを使った学習が日常となり、全国各地でどの学年でもタブレットを使った学習が進んでいることだと思います。その時に言われてきたのが、

「1年生のタブレットを使った学習は無理」

ということ。
これはこれまでICTを推進する僕の立場から言うと経験したことがなかったから正直分かりませんでした。しかも担任歴の多くが高学年だったので、高学年ベースで考えることもあり、「そりゃ、1年生には難しいだろうな」とも思っていました。

ただ、やってみて分かったこと。1年生、全然タブレットいける。つまり、言えることって(1年生を担任した先生たちを批判するわけではありません)教師が考えすぎて勝手に「1年生には無理」という線を引いていたこと、そして結局は教師自身のマインドセットの問題なのです。

「勝手に線を引く」という教師の気質


これは僕がこの2か月間で感じたことなのですが、ここから言えることは教師が子供たちに「勝手に線を引きすぎている」かもしれないということ。まだまだ日本の公教育の先生たちの思いとして、「子どもたちを自分のテリトリーの中で育てたい」という容易には剝がせない裏地があるように思います。これは知らず知らずのうちに染みついてしまっているものです。だからこそ、「この子たちはここまでしかできないからこれ以上先は一旦ストップ」という心理が働くように思います。(全員がそうではないと思いますが、一定数は真だと思っています。)

手綱を緩めれば、教育は進む


要は、やらせてみたらできることっていっぱいあるってことなんですね。飼い犬のように手綱をしっかり握りしめず、ほどよく緩めて、時には放してみてもいいのでは、と思うのです。そして、この流れはこれからの学校教育の中で必要で、マジョリティになっていくと思います。「1年生はタブレットは無理」と言っていたことがマイノリティになっていきます。その時にまた一つ教育は進むと思います。

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