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25年前の地で挑んだ”青森桜マラソン大会”

過去を振り返るマラソン。
この地に足を運ぶのは25年ぶりになる。
朝は激しい雨
昼頃になると止むらしいが朝は寒い。
気温7度。
風、微風。

「最近新たに青森まで繋がった第二みちのく有料道路」おもいっきりガスがかかっている。

新しく出来た第二みちのく有料道路をはじめて使った。朝5時半に八戸を出発した。意外と車が並んでいる。同じマラソン大会に出る人かな?料金所のおじさんに聞くと、昨日と今日が混んでるよ。と言っていた。

約1時間半出青森に到着。(07:00)
akippaのサイトを利用して駐車場を予約していた。1日五百円。朝来て駐車場探す手間がなく良い。
レース前にイライラしたくないから予約はおすすめです。

「予約した駐車場。五百円。一日中停められるからマラソン後にちょっと観光するのもいいね」

持ち物を準備して会場に向かう。
とりあえず青森駅に行き、そこからシャトルバスでスタート地点の野木和公園に向かう。
野木和公園は青森の桜名所でもある。そこをスタート地点にしているところがまた桜マラソンという名前でもあるのかな。

「青森駅新しくなり綺麗」
「青森駅通路。青森ひばを使った通路」
「シャトルバスはかなり長く並んだけど、シャトルバスが次々とそつなく来るから実際には15分ぐらいで乗車できた」

スタート地点の野木和公園に到着。
シャトルバスの車内は密集していたせいか暑く、汗かいてしまった。

「スタート地点に到着。雨でも桜はちゃんと残っていた。バイクが気になる。」
「池のベンチに座って桜みるのもいいね」

荷物預かりが08:30までとなっていて焦ったが、
遅い人もいて、09:00近くまで待っていてくれた。
ありがたや。
ウォーミングアップする時間もなくトイレだけ済ましたら09:00のスタート時間になってしまった。
まだ雨は止まない。
寒いので自作のビニールウェアをランシャツの上から羽織った。そのうち晴れたら給水所で破り捨てればいい。

「いよいよスタート。」


この日のために会社帰り練習してきた。
今回の参加者約4,000人。
フルマラソン参加者は1720人。
外国からは台湾。オーストラリア、香港からも参加者がいた。おそらく弘前の桜、青森のねぶたの里、十和田湖観光目的なのは間違いない。
なるほど。弘前の桜をみて青森の桜マラソンを走る。。おお。それもいいかもね。

「キロ5分ペース。ここで半分20キロ。いいペース」
「フェリーターミナル。ここから北海道行けるんだなぁ。ロマンがある場所」
「いよいよ駅前へ抜ける。道路脇にも人の気配がする」

前半の20キロは青森市の西側。畑や田んぼの中真っ直ぐな地平線を走る。爽快だが風が強いと心が折れる。今日はまだ風がない方だ。
五所川原で開催した”走れメロスマラソン大会”の時はスタートからゴールまで津軽平野の強風がずっといたずらしていたっけな。それに比べたら全然マシ。

「寒いから補給食をしっかりとった。が、その後それが良くない、ことになる」

ペースは順調、キロ5キロペースで崩れずに20キロを経過。
今日は調子がいいかも。
脚運びも軽い。練習の成果が出ている。

レースも半ばになると補給食が出る。
自作ビニールウェアも寒いのでまだ着たまま。
寒いのでしっかりと補給食を食べることにした。
最初の補給食は
・イギリストーストのフリスクバージョン
・アンパン
・饅頭
僕は取りやすいところにあったアンパンを取りすぐに頬張った。
僕の前の人はフリスクをバリバリと食べていたが食べずらい上に、喉が渇くらしく失敗したな、みたいな顔をしていた。

「いよいよ。今日イチのエネルギー使う場所」
「青森ベイブリッジ!」
「八戸大橋で特訓してきたからなんて事ないぞ」
「ここから見るアスパムもいい。独特な建物だなぁ」

この日に備えて八戸大橋上り1キロ、下り1キロ、の橋を何往復もして鍛えてきた。
今日の青森ベイブリッジも上る前の迫力は凄まじかったがなんて事なかった。
それより橋の上からの景色を嗜めた。
青森の白線は分厚い。
思わず厚い白線に躓きそうになる。
白線の高さ2センチはあるんじゃないか?
なんでこんなに分厚い白線にするのだろう?
雪で隠れちゃうから?

「合浦公園入り口」
「マラソン大会終了後に夜店解放するそう。準備中の油臭い臭いが嫌だった。」

こうして順調に桜の名所”合捕公園”に到着。
もし具合悪くなっても絶対今日はここまでは最低来るぞ。と心に決めていた場所。
野球場があり公園があり動物がいて砂浜もあり海で涼める。
そして今日は桜が綺麗だ。

合捕公園に入って直ぐにお腹の調子が悪い。
すぐに通りかかったトイレで催す。
ランパンを脱ぐと汗びっしょりで絞れるぐらいだ。
「走っていて気づかなかった。俺こんなに汗かいていたんだ。」
30キロ手前でこうしてトイレに座り休む時間が、ちょっとホッとした。
しかしどうしてお腹痛くなったんだろう?
レース中の腹痛ははじめてだ。
トイレで5分ぐらいロスしただろうか。
再び走りだす。
1キロも走ったあたりで再び腹痛。。
「あれっどうしたんだろぅ」
心当たりは補給食しかない。
走りながら食べるとこうなるのか。
あまりの痛さに歩くことにした。
早歩きでもまだ、腹が痛い。
しばらく歩いていたら沿道の応援者が
”がんばれー走れー”と言う。
”走りたくても走れないのよー”と心の中でかえす。
後でしったのだが
マラソン中身体の内臓には相当なダメージがくるらしい。おそらく今回のくだりは
内臓がマラソンの為に消化不良になり補給食のアンパンを消化しきれなかった所にある。
疲労中の食事は消化の良いもの。そして飲み物は常温が基本である。

ここからはバテバテだった。
腹痛から今度は脚が止まり
股関節周りの筋肉、腰の筋肉が引きちぎられるように痛い。
走れない。
走り→歩き、に変えて1時間はたっただろうか。
前にゆっくりにしか進まない。
みんなの邪魔にならないように道路端っこを歩いていたらどこかの70歳ぐらいのボランティアスタッフに大きな声で「リタイヤですか?」
と聞かれ、
あまりの声の大きさに頭にきて「絶対リタイヤしません!」と言い返した。
ただでさえ聞きたくない言葉。
それなのに当然のようにリタイヤか?と聞く。
物には聞き方、ってのがあるじやないか。
怒鳴る勢いのリタイヤリクエストほど腹がたつものはない。

言い返したはいいが
僕の腹の調子は一向に良くならない。
喉は乾いて来るが、ここで水分とったら益々腹が痛くなりそうでグビッとは飲めなかった。

学生の時の思い出に触れる余裕もなかったが、やはり覚えている通りを走り抜けると思い出す。
あの時あそこで‥
よく通ったライブハウス。そこでの出会い。
ライブ終了後にCDを買いたかったが買えなくて財布の中身を見つめていた時
「学生ですか?」と声をかけてくれたライブハウスでお手伝いしていた売り子のコ。このCD姉のバンドですから。と。
結局、その子がCDを買ってくれて
「同じ大学なのね。私はいつも図書館にいるから。。」
と、それから仲良くなり僕の図書館通いがはじまったのだ。
後日、僕がお礼と確か手に握りしめていたのはお金だけじゃなかったのを覚えている。何か手紙らしき自分のプロフィールと電話番号を書いたものを一緒に渡したはずだ。

「当時の彼女とよく散歩した公園」
「週末の暖かい日は色んな人がこの公園に集まっていた。楽器を演奏している高校生もいた。夜は星空が綺麗だった。」


ランチはいつもあの喫茶店。。 

就職活動がんばれ。と、御守りをもらった地元じゃ有名な神社。。
20年経った今でも持っている。
心が折れそうな時、挫けそうな時、今でもこの御守りから力をもらう時がある。捨てられない。
36キロ地点。

かなり身体がキツくなってきた。
このまま完走できるのだろうか?
記憶を辿るように前に進む速さも遅くなってきた。
時を刻む。
それはマラソンのように一歩一歩ゆっくりでも前に進むことなのかも知れない。
疲労で頭がぼんやりする中で、また一つ街の風景から記憶が蘇る。

ガラが悪い集団に絡まれたカラオケ屋。
走りに自信があった僕は友達を置いて走って逃げた。
友達を見捨てた自分。壊れた仲。気が合う2人だったのに。僕の上半身の服は引き裂かれほぼ裸の僕はコンビニに逃げ込み、かえって僕自信がやばい人扱いされたっけな。今思えば必死で助けを求めたコンビニだったのに。

「住んでたアパートから当時あった小学校裏を通りこの一本道をよく走っていた。今は舗装路になり運動公園となった。」
「そうそう。この道を抜けると結構市内のお店がある方に抜けられるから利用者多い。」



はじめてバイクでこけた橋の手前。

学生の時、お金は何に使っていたのか。
特に貯めることもなく。もったいないな。
お金は集めれば集めるほど大っきい事ができるのに。。

家庭教師もやった。はじめての家庭教師でPTA会長息子。勉強を教えるよりスキーや運動を教える事の方が多かった。
あまりにも遊びに付き合ったせいで成績は伸ばせず僕は一年後担当を外された。
少しの期間でも”先生”という感覚を経験出来たのは大きい出来事だった。

顔もふけたのに
思い出にふけていたら
ゴールまであと3キロになっていた。
強風が僕をゴールまで行かせまいと前から押してくる。
でも僕はゴールまでいく。
思い出を背負ってゴールまで行く。
身体は悲鳴をあげている。
走りすぎて内臓もやられているようだ。
飲み物を飲んでも消化不良。下痢になり喉が渇いてもお腹が痛いから飲みたくないのだ。
股関節の周りの筋肉もようやく動いている。キャパは超えている。あともう少しなのだ。動いてくれ。


あの時置いた駐輪場にバイクを留め
あの時通った同じ道を帰る
毎日は同じように過ぎたのに
今はもう過去。

寒かったあの頃
怖さを知らなかったあの頃
そしてスピッツ。
あんなに好きになったアーティスト。
コンサートにも行った。
あの子といった。隣で
はしゃぐあのこが意外だった。

なんだろ、
どんどん過去を思い出していく。
たかが昔大学生だった頃の場所を走るだけの大会なのに。
妙に張り切ってるのは何故だろう?
あの当時好きだった彼女の面影を思い出し
会えるとでも期待しているのか?
きっとそうだ。
あの場所に行けば
彼女もいる。
単純にそう思って期待しているのだろ?
馬鹿のひとつ覚え。
夢物語の夢の中。
期待するだけ無駄だろうそれは。
っていうか、もしかしてまだ思い描いている?彼女のことを。
よく休みの夕方にヨークシャーテリアのワンちゃんと散歩した公園。
日中も散歩した事あった。
いい公園だった。フルート?楽器を練習している若い高校生がいたり、とても清潔でラブリーで、健康的な公園だった。
そうだ。あれ以来いってないな。
いってみるかな。
うん。無事完走したらのご褒美。

苦しい
疲れた
もう歩きたい
もう走れない

けどやっとでゴール。
4時間20分。
ゴールして誰かがやってきて”おめでとう””よくやったね”と言われるわけでもない。
ゴール後のガヤガヤした賑やかな喧騒のなか
僕はどんどん人が引けた場所へと歩く。
そこにはただ42.195キロを走り切った満足感だけが尾を引いて躍動感だけがみなぎっていた。
「まだまだやれるな。俺」
大学生時代はレースは10キロがせいぜい走れた距離。。
しかしそれから25年後の自分は42.195キロも走れている。
どうだ、昔の俺。
今の俺はこんなだぜ。。

脚をひきづるように駐車場へ向かった。
駅の階段を上がっていると同じように脚を引きずる中年男性がいた。声をかける。
「帰るまでがマラソンですね。お気をつけて」
中年男性は言葉を発せず、ただニヤリとだけ、はにかんだ。
さぁこれから何処へ行く?
観光?いやいや、
行き場所は決まっていた。
”彼女とよく散歩した公園へ行こう”
完走のご褒美だ。

「派手だなぁ。使うかなぁ。日付が入ってるのがいいね。」

いった公園は思ったより普通の公園だった。
おそらく当時は彼女が隣にいたから公園自体も輝いた場所だったんだ。そう思えた。
彼女が隣にいない今
冷たい風が走り終えた僕の身体を冷やし、早く車へ戻れと言う。
そう。今は当時じゃない。
今はイマダ。
いつまでもひきずっちゃいけない。
良い思い出は思い出としてずっと抱えて逃さないように美化したまま温めておこう。

PS
彼女にすすめられ
彼女に唯一小説を書いたことがあった。
それは1匹のニワトリと一緒に僕が旅をする物語。
ニワトリのトサカが風で揺れた海辺、、。
その部分を彼女は褒めてくれた。
一生懸命寝ないで書いた。

彼女からはよく本を借りたり教えてもらったりした。どんどん本の世界に入り込んだ。その影響で頂けない将来を思い描いたりして。
そうだ。
あの頃のように
本を読もう。
もう一度作品も描いてみよう。

そういう全ての過去の現在の”オモイ”をこのマラソン大会へぶつけた。そう25年たった今もここには”俺”がいる。今ここにいる。土地や住む場所は生きている証拠でもあるのだ。

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