自分自身から解き放たれる旅 12 <マチュピチュ〜チチカカ湖 ・ ペルー後編>
「叩き壊して生まれ変わる」ガラス造形作家が、作品制作に浸りきる生活から離れ、日常の全てを放り出し、未体験の環境下で、自分自身の内と外、過去と未来、そして、宇宙とじっくり対話するための旅。
2008年9月 ペルー
マチュピチュ
標高2400m 幻の都市遺跡 マチュピチュ。
日光いろは坂のようなヘアピンカーブの連続「ハイラム ビンガム ロード」を登って辿り着く。アグア カリエンテに宿泊して遺跡内を歩く。
幸運にもスペイン軍に見つからなかったために破壊されずに残ったマチュピチュ。
マチュピチュはインカの王族のために作られた避暑地と考えられている。
急な斜面には約200戸の石の建物が建てられていた。
奥に見えるワイナピチュ山には、太陽を祀るマチュピチュに対となるように月の神殿が祀られる。
40段のダンダン畑、750人程の人々が暮らしていたようだ。
ここまでして人が住むには、相当な理由があったんだろうなぁという環境。
マチュピチュの頂上には 太陽の神殿、 夏至と冬至の太陽を知らせる窓がある。
当時の人も太陽の暦を使って、今の私と同じように季節を感じながら生きてたんだ。
神殿にはインティワタナ(太陽をつなぎ止める石)が設置される。
日時計として利用されていた?!
太陽神を王族の祖先として祀るのは日本との共通点。
隣には3つの窓の神殿
インカの職人さんって石組の仕事に誇りを持ってたんだろうなって、つくづく感じる。
建物は地元の石を使って組まれている。
鉄器がなかったと言われる時代に石材加工の技術の高さは信じられない程に素晴らしい。
王族の避暑地を作るにふさわしい絶景 !!!
でも、こんな急斜面に神殿や住居、畑を作る労力を厭わないのは、
途方もない富と深い美意識を持っていたのだろう。
インカでは文字が使われていなかったといわれる。
そのため、当時の詳しい状況は解明されていないのが残念。
この環境に村を作り、どういう暮らしをして何を楽しんだの? とても興味が湧く。
天界と地上を結ぶコンドルの神殿、生贄の儀式が執り行われたといわれる場所。
長い間、行きたかったマチュピチュ遺跡内に身を置き、場の空気を体感して思ったのは、とにかく光も空気も爽快!!! 絶景で太陽が近くて温泉があり周辺には何もない。
王族が太陽と月を崇めるには最高のロケーション、 よくぞ残っていてくれた。
小さいハエのような虫が多くて刺されるとスゴく痒い。
雨が多くて数年に一度はヒドイ水害がおこるという難点はあるけれど、
ココに2〜3年住むと観えてくる何かがあるだろうな、と思わせてくれる場だ。
チチカカ湖へ
マチュピチュから陸路でチチカカ湖へ向かう。
途中、今回の旅の最高標高地点 4338m の ラ ラヤ は、富士山頂より500m以上高い。
この後、初めての高山病にガッツリ苦しめられたが、
高所に暮らす人々は低い場所に行くと、逆に低地病に患かると聞いてびっくり?!
世界最高 、標高3810mのチチカカ湖はペルーとボリビアにまたがる。
藁でできた浮島「ウロス」の上に家を建てて暮らしている。
浮島は40以上あって、病院や学校、ショップも在る。
電気はソーラー発電パネル。
建物は藁で作られ、移動も藁の船でノンビリ、昔ながらのライフスタイル。
浮島は藁でできているために、徐々に下側から腐ってくるので、
常に新たに藁を追加しながら島を維持するんだって、不思議な藁による土木工事?
ここで暮らすウル族の皆さんはカラフル。
島自体を藁で作り、家も船も藁製。
全ては時間と共に地球に帰る、とてもエコな生き方。
これがホンモノのSDGs。
多くの情報とモノに囲まれ、追いかけ、追いかけられながら生きる私には羨ましいかぎり。
経済の発展やモノが増えるというのは、人生の豊かさに直接繋がるわけではないというのを、
先進国に生きる人間は気が付き始めている。
ペルーの過去と今を通して、
芸術に携わる私が未来に対して果たすべき役割が観えてきた旅だった。