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怒りとの付き合い方

わたしは元々怒りっぽくて、何でもシャキシャキ進めていきたいタイプの人間だ。

学生時代の部活動では、そのシャキシャキタイプからかリーダーの肩書きがつくことが多かった。

わたしは割となんでもするっとできてしまうところがあった。(そこから伸びはしない笑)
だからか、できないことがわからなかった。

できることを求められたので、できないことに寄り添う余裕がなく、「なんでできないの?」と「怒り」を撒き散らしてしまっていた。

リーダー以前の性格の問題だ。

気持ちが昂った時に自分の中の「怒り」がコントロールできず、当たってしまうことがある。

今はぼっちゃんに対して、旦那さんに対して「怒り」を振りかざしてしまう。

イライラが抑えられなくて、物に当たることもある。
「なんでそんなことをするの?」「触らないで」「早く寝て」

育児はそういうものだけど、どうしてもイライラして口調がきつくなり、態度が荒っぽくなる。そんな自分にさらに腹が立つ。その繰り返しだ。

アンガーマネジメントの講習を受けたことがあるが、胸に手を当て、3秒。。それすら腹が立つのだ。重症である。冷静な今それを思うと笑ってしまうくらい、怒りが沸騰していた。


今日もイライラしながら、ぼっちゃんを公園に連れていくドライブ中に聴いた動画で、怒りについて腑に落ちる話があった。


「怒るってことは、自分の知ってるそれにはこれですよっていう経験値がない人が怒るんだって」

「自分のやり方を一個しか持ってなかったら、それからはみ出たやり方をするやつを自分のやり方に戻すために強引にこういう風にしろよって言ってしまう」


バナナマン、設楽さんが日村さんに話していた言葉だ。

これを聴いて自分がとても恥ずかしくなった。自分の怒りは経験のなさを晒していただけだった。


確かに前職での尊敬する大先輩の方は、どれだけ若手が失敗しても大らかに包んで守ってくれたし、そもそもあらかじめたくさん先手を打って動いてくれていたし、絶対に怒らない。怒るべき時には怒りのパフォーマンスだった。

経験の違い、引き出しの多さ。

わたしの「怒り」には経験がなかったのだ。

自分のやり方しかしらないから、他人のやり方を受け入れられず、認められずに批判してしまっていた。

ぼっちゃんや旦那さんにも、彼らの思いを知ろうとせずに、自分の正しいやこうではならないを押し付けていたのだ。

自己満足の子育てを押し付けて、勝手に怒って怒鳴って騒ぐ。なんて奴だ。

この話を聴いて、自分のそもそもの「怒り」を考えようと思った。
それは「怒り」ではなく「押し付け」なのではないか。自分に都合があるように、相手にも都合があるのではないか。

子育てにも色んな子やパターンがいる。
よく聞く、1人目と2人目と3人目で心の余裕が違うのは経験の積み重ねであり、母の努力と我慢だ。

ぼっちゃんは1人目。
わたしは初めてのママ。

それはそういうパターンか!今日はそう来たか!というように、日々経験値を積む自分のレベルアップ期間だと思えたら少しは怒らずにいられるだろうか。

まだまだ道のりは長いかもしれないが、この「怒り」に気づけたこの経験値を自分のものにできるように、怒ってどうしようもないときはこのnoteを見返そうと思う。


気づかせてくださったバナナマンの設楽さんには感謝の気持ちでいっぱいである。
この思いが届くことは限りなくゼロに近いので、ラジオに投稿しようかな。

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