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【租・庸・調について】 奈良時代の税制はそんなに重要か?

高校で歴史を学んでいるとなぜこんなことまで覚えないといけないのだろうか?とい疑問に思うような内容がある。実際には重要だから高校レベルの歴史に登場しているはずなのだが、一見すると「それ本当に重要?」と感じてしまうものは数多くある(少なくとも僕はあった)。そしてその直感を裏付けるようにテストに出やすいモノと出にくいモノがある。本能寺の変とか関ヶ原の戦いは重要そうだけど、仏像の名前とか貿易品目などは比較的重要そうには思えない。というのが僕の高校時代の正直な感想だったし、その感想に基づいて勉強の比重を変えていた。

本記事ではその中でも奈良時代の税制である「租・庸・調」を考える。語呂がいいので割と覚えている人も多い租庸調。しかし何が大事だったのかはよくわからない。租庸調の内容をそれぞれただ覚えているだけではその意義はわからない。では何が重要なのだろうか?

まず税制が存在するということから様々なことを類推することができる。例えば税を徴収する役人の存在や役人の組織としての役場のようなものはあっただろうし、どれぐらいの量の税を納めなければならないのか定めた法律もあっただろう。税を納めたかどうかチェックするために戸籍は必要だし、戸籍を管理するということは文字、筆記具も必須だ。税を納めたくない奴に強制的に納めさせるための罰則もあっただろうし、それを実行するための警察のような役職もあったかもしれない。このように税制の存在の裏には税を納めさせるためのシステムが出来上がっていなければならない。それはつまり国という統治機構の始まりとも捉えることができるわけだ。

統治機構には権力を握る人(王、帝、天皇、皇帝など)がいて、その周りに補佐をする大臣のような人がいて、さらにその下に実務を担当する役人のような人たちがいる。そして民草を取り締まったり外敵と戦うための軍隊が必要になる。彼らは自らはほとんど食料を生産しないため誰かに食料を作ってもらわなくてはならない。それが税として納められた租(米)庸(労役もしくは布)調(布)だ。

みんながみんな農業をして食糧生産だけに従事していては文明は発展しない。誰かがたくさん食料を生産する一方で別の誰かが専門職として職人だったり役人だったり別の仕事をする。生産された食料を中央に納めてそれを仕事に応じて分配する。こうやって食糧生産以外の仕事が発達していく。バラバラに生産された食料を公平に効率よく分配するには一度集めた方が良い。つまりそれが「税」というわけだ。そして集まる中央として権力が発達し大宝律令という「法律」を成文化し実際に運用し始めた時代が「奈良時代」だ。大雑把に考えれば現代の統治機構とそう変わらない。

租庸調はその税の内容それ自体というより、租庸調という税制が機能していたという事実が高度な統治機構がある程度安定して運用されていた証拠という面の方が大事だ。つまり租庸調の周りの背景を考えることが必要だ。なんとなく聖徳太子のような格好の人が役人としている時代のイメージを思い浮かべる。そして彼らが日々食べて着ているいるのは税として納められた租庸調である。彼らの仕事はそのおかげで戸籍を作ったり、中国の文化を研究したり、新しい技術の発達に貢献したりということができていた(たぶん。正確には知らないけどこんな感じではなかろうか)。そういった全体のイメージを持つことができれば自らの知識の中に租庸調を正しい位置に置くことができる。それができれば租庸調の歴史的な意義も理解できるようになるだろう。

租庸調をそれ単体の知識として扱うと面白くないしその重要性を理解することができない。租庸調に限った話ではないが単体で存在する用語や知識などというものは存在しない。ある出来事や制度は別の何かと繋がっている。その繋がり方は千差万別でいくらでも繋げようと思えば繋げることができる。しかしその繋がった先まで懇切丁寧に学校で教えてくれるわけではない(キリがない)。租庸調を例にとっても法律としての大宝律令との繋がり、班田収授法や墾田永年私財法などの土地の私有との繋がり、戸籍や計帳の扱いとの繋がり、平城京に近い土地と遠い土地との格差、そもそもの租庸調の詳細な内容などなどいくらでも繋がった先を見にいくことができる。それはとてもワクワクすることだが時間が有限である以上はある程度のところで止めなくてはならない(口惜しい)。

教えてくれないことは存在しないということではない。必ず教えてもらったこと以上のものがあるのだがそれを想像するためにはある程度の自らの力による学びが必要であることも確かだ。教わるだけでなく学ぶという姿勢を身につけることができれば歴史の知識が知識以上に世界を構築する単位として把握するとができるようになろだろう。

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