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みんな死んだ〜オフビートって....難しいよな〜

どうも僕です。

えー、今日の映画です。
つい2日前から配信が始まりましたNetflixオリジナル作品、「みんな死んだ」でございます。

ここ最近、Netflixはコブラ会シーズン3を繰り返し観る(すでに4周)ためにしか使っていなかったものですから、「Netflixの料金値上げ」なんてニュースが飛び込んで来て「うぐぅ...もう少し有効に使うか...」と決意。「クイーンズギャンビット」とか「スノーピアサーseason2」とか、まだまだ観てない良作があると言うのに、「みんな死んだ」というド直球なタイトルに吸い寄せられてしまいました。もう少し、しっかりしろ!俺!

物語は凍る様な寒さの元日から始まります。山奥の一軒家には警察が。どうやら昨夜のカウントダウンパーティーで何かあった様です。中に入ってみると、若者達の無惨な死体がゴロゴロと転がっています。なんでこんなことに....

時間は遡って、大晦日へ。家主のマレクは、両親の外出を良いことに友人を集めてカウントダウンパーティーを開いています。そこに集まったのは、、、

・見るからにヒョロい感じのダニエルと、ダニエルの恋人で清楚系美女のアンジェリカ。ダニエルはアンジェリカにゾッコンで、みんなの前でサプライズのプロポーズを企てている模様。

・ダニエルの姉。ヤリマン。

・ラッパーかぶれのジョルダンとその彼女のアナスタシア。アナスタシアは宇宙の話ばかりする超絶スピったヤバい奴。

・17歳年上のセフレ、オリヴィアを連れて来たパヴェウ。パヴェウはどこからどう見ても単なるセフレであるオリヴィアを「彼女なんだ」と言い張る残念な男。

・元ヤク中の男、フィリップ

その他にも、双子のヤリマン(ヤリマン率高めです)、キリスト教キチガイのフランス人、ボンクラ男2人組などなど、揃いも揃ってどうしようも無い連中ばかり。こいつらが全員死にます。というのがオープニングで明かされた上で、さぁ何故死んでしまったのか?という構成で話が進んで行きます。

序盤、「年越しじゃあぁ!イェーイ!」と踊って、飲んで、ラリってと愉快に過ごす若者達。その中で、勘違い、すれ違い、痴情のもつれ、憎悪、裏切りと負のバイブスが徐々に高まって行く。という序盤から中盤の展開はハッキリ言って結構退屈です....というのも、スピったヤバい奴ことアナスタシアが起こした「ある事件」によって、急激に事態が悪化するのだろう....と思って観ていると、そうでもないんですよ。この「『事件』が起こるまでに描かれるアレコレ」が、この映画におけるセッティングですよね。「セッティング完了→事件勃発→加速」っていうのが一応映画の定石だと思うのですが、事件勃発してからも映画が全く加速せず、セッティングの時点でのテンポ感と全く同じテンポで話が進むわけです。これは退屈ですよ。別にずっと加速してろ!と言うわけではなくて、「加速すべきところで加速して欲しいのにしてくれない」ということです。

何故こんな事になってるのか?というと、中途半端にオフビートな時間ばかりが続くからです。これ、オフビートなコメディセンスや、アイロニー、ブラックユーモアそのものが悪いと言ってる訳ではありません。例えば、完全にオフビートな笑いに振り切った名作に「ナポレオン・ダイナマイト」という作品があったりします。しかし、オフビート感って諸刃の剣で、それを主軸にするならばやはりその方向に思いっきり振り切らないと「単に退屈」ってだけになってしまう訳です。もちろん本作でもひとつひとつのアイロニーや、ブラックユーモアそれ自体は面白かったりします。しかし、それらが事態の悪化具合に対して全く釣り合っていなかったり、本筋に関係なく単に露悪的なだけなので、物語全体の推進力に大幅にブレーキをかけてしまっている。同じく「パーティーで起こる惨劇」というとギャスパー・ノエの「CLIMAX」という傑作があります。あの急転直下の全員発狂、全員疑心暗鬼の凄まじさと比べると、やはり本作はぬるく感じてしまいます。

そんな中でも、面白かった部分はと言えばスピったヤバい奴、アナスタシアです。自らが起こしてしまった大事件に対して、「これは宇宙からの啓示よ!」とか「私はカルマを見ただけだわ!」とか、スピりまくった謎理論で正当化しようとする彼女。もはや何を言っても無駄。この「スピった奴の話の通じなさ」は本作で唯一と言って良いほど、物語にブーストをかけていたと思います。

あとこの映画、ほかの作品からのオマージュが結構多いんですね。それがタランティーノの「あの作品」の「有名なあのシーン」だったり、キューブリックの「あの作品」の「あの有名なシーン」だったりと誰でも分かるオマージュを堂々とやっちゃうんですよね。こういう誰でも分かる引用をこれ見よがしにやっちゃうセンス、ぼかぁ嫌いだな...やっぱりこういうオマージュって奥ゆかしさが大切だと思うのです。オマージュ自体がノイズになってしまうようでは大失敗で。タランティーノ映画からの無神経な引用なんてそれこそ愚の骨頂で、要はパクリのパクリにしかなってないんですよ。そういうことをすると、映画全体がどうも安っぽくなってしまう。

そんなこんなで退屈な時間が進みますが、ラスト20分で「なぜみんな死んだのか?」という謎を一気呵成に回収しにかかります。このあたりは、それまでに積もり積もった負のバイブスが爆発していて、非常にバカ度も高く、楽しいシーンになっています。この爆発力は一見の価値があるでしょう。がしかし、描写の目新しく無さは少々残念だなと。しかも、割とメインのキャクターでも「あれ?あいつどうなって死んだの?そもそも死んだの?」って人が何人かいて回収し切れてないのも気になってしまう。ノイズゥ...

という訳で、結果的には「CLIMAX」がいかによく出来ているかが、改めて分かる作品になりました。アイデアが悪くないだけに舵取りを間違ってしまったのが非常に勿体ないように思います。

それではまた。
ステーション!!!

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