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ニュー・ミュータント〜不遇、ここに極まれり〜

みんな〜!ニュー・ミュータント、見てる?!

ってなことで、どうも僕です。
この2月から20世紀FOXが製作するX-MENシリーズ、最終作「ニュー・ミュータント」が配信されました。

本国アメリカでは、昨年の夏にひっそりと劇場公開&配信スタート。コロナ禍の影響は多分にあるのでしょうが、そこから現在に至るまで各所での評判の良し悪し、、、どころか評判そのものすらあまり聞かないという何だか侘しい状況が続いています。果たして「ニュー・ミュータント」なんて映画は存在しているのか?ということすら、疑わしくなってきた今日この頃。とはいえ、X-MENシリーズですから。しかも、FOXでの最終作。玉石混交(石多め)のシリーズではあったわけですが、やはり足がけ20年以上で13もの作品を積み上げて来たのです。配信がスタートしたとなれば、すぐさまに再生ボタンを押しますよ。

まぁ、予告編は以前からよく目にしておりまして。ハッキリ言って「なんか、、、パッとしないなぁ、、、」なんて思っていたのです。しかし、X-MENシリーズに関しては「予め期待値は低めに設定しておく」というスタンスがデフォルトになっていたので、「まぁ、観てみればそんなに悪くない」ということもあるだろうと。実際、そういう作品あったし。と、割と生温かい感じでいたのです。ほんで、いざ本編を観てみたらですね、なんと予告編以上にパッとせず、抜けの悪い、中途半端な作品になってしまっていたのであった!ガーン!正しく逆の方向の予告編詐欺。FOXでの最終作です!と銘打っていた割にはあまりに寂しい出来。とはいえ、「ファンタスティック・フォー」レベルの大災害には至っていないところを見ると、後年になって「珍味」としての味が出てくるポテンシャルすら無いといった模様。

普段なら

「てめぇ!なんだこの映画は!やる気あんのか!ヒーロー映画だったらもっと突き抜けてやれや!グランド100周!!」

と吠え狂っていてもおかしくは無いのですが、今回に関しては製作から公開を巡るイザコザを考えると、まぁそんな風に腐すのもなぁ...という同情も湧いて来てしまう...力なく溜息ひとつみたいな...

●「ニュー・ミュータント」を襲った不幸の数々

まぁ、本作がリリースされるまでに何があったかを簡単にまとめてみますと、最初の公開予定日は2018年4月。しかし、撮影後のプレビューが不評であったため再撮影を命じられる→延期。その後も、スタジオ上層部からの口出し、「デッドプール2」などをはじめとする他作品とのバッティング、ディズニーによるFOXの買収、そしてコロナ禍、、、というように寄せては返す波の如く不運が続いた結果、回数にしたら4回、期間にしてみれば2年4ヶ月に渡る公開延期の憂き目にあってしまったのです。これはもはや事故とか災害のレベル。企画が動き出したのが2014年頃ですので約6年間、腐らず、驕らず、頑張っていたはずなのに事故り続けた映画。それが、「ニュー・ミュータント」なのです。もう、製作の裏側をコッポラの「ハート・オブ・ダークネス」みたいにドキュメンタリーにでもしたらよろしいのに。

●原作「ニュー・ミュータンツ:デーモンベア」

今回の作品は、「ニュー・ミュータンツ:デーモンベア」という1984年のコミックを換骨奪胎したものとなっています。

「ニュー・ミュータンツ」というチームは、X-MENがブルードという宇宙人によって連れ去られた後に、プロフェッサーXが結成した若手ミュータントによるチームです。ミュータント訓練校みたいなとこに通いながら、能力に磨きを掛ける日々を送る彼らですが、映画版でも主人公であるネイティブ・アメリカンのミュータント=ダニー・ムーンスター(後のサイク)によってデッカくて凶暴な熊(デーモンベア)が出現。この熊を若きミュータントたちが力を合わせて倒すという内容です。

このコミック最大の特徴は、鬼才のアーティスト、ビル・シンケビッチによる絵です。元々、ムーンナイトの短編でデビューしたシンケビッチでしたが、わずか1年で「ファンタスティック・フォー」のレギュラーアーティストに抜擢されるという大出世。その後、「ニュー・ミュータンツ」シリーズへと移籍した彼は、ファッション分野から強く影響を受けた表現主義的な絵柄、大胆な構図、コミックの概念を覆すかのような演出・描写でコミックアートに多大な影響を与えました。また、広く大衆ウケを狙わなければいけない本道の「X-MENシリーズ」に対し、より複雑でアバンギャルドなシリーズとしての「ニュー・ミュータンツ」の方向性がシンケビッチのアートによって決定付けられました。「ニュー・ミュータンツ:デーモンベア」はそんなシンケビッチの代表作とも言える作品でしょう。特に、「悪霊という実体を持たない概念としてのデカい熊」の描写は圧巻でありまして、ありとあらゆるコマが一枚絵のアートととして、べらぼうに高いクオリティで描き込まれています。翻訳版では、後の「X-FORCE」からデーモンベア周りのエピソードも抜粋されていますので、未見の方は是非手に取ってみてはいかがでしょうか。

今回の映画版に関しては、「ニュー・ミュータンツ:デーモンベア」から基本的な設定(登場メンバーとか)と、デーモンベアを借りて来たというだけでですね、まぁそれは全然良かろうと。アラン・ムーアのコミックがそうであるように、シンケビッチのアートも映像に置き換えることが本質的に不可能であるからです。

●「ニュー・ミュータント」のパッとしなさの正体とは?

「ニュー・ミュータント」の舞台は山奥の隔離施設。自らの力を操れない若きミュータント達が治療と称して、集められています。そこに新入りとして入って来たのがダニー・ムーンスター。抑圧的な女医と、個性豊かな若きミュータントたちとの共同生活の中で、徐々におかしなことが起きていく...というあらすじを聞いた時、「エルム街の悪夢3 惨劇の館」とか「ザ・ウォード/監禁病棟」なんかを連想したりしましたよ。閉鎖的・抑圧的な環境に置かれたティーンエイジャーたちが辛い目に遭うという、オーソドックスながら舞台立てとしてはいくらでも面白くなりそうなポテンシャルは秘めているのです。にも関わらず、このパッとしなさは何なのか?その正体は、おおよそ3点に絞られると思っています。

①どこかで観たことがある話である
今作は「X-MENシリーズ初の青春ホラー」と銘打たれておりました。監督であるジョシュ・ブーンが持ち込んだアイデアは「ジョン・ヒューズ映画×スティーブン・キング」のような作品であること。まず、このコンセプト自体の既視感が非常に強い。それこそ、「ストレンジャーシングス」やら「IT」やらでとっくに観たことあるヤツなんですよね。しかし、ここに関しては仕方ない部分もあって。本来は「ストレンジャーシングス」や「IT」が、リアルタイムで盛り上がってる時期でのドロップが予定されていた作品であって、前記した様々な不遇の結果、完全にタイミングを逃してしまったわけです。これに関しては、もう不運だったとしか言いようがない。可哀想だったね.....その一方で、じゃあ当初の予定で公開されていたらフレッシュな作品になり得たか?と言われると、そう言うことでも無いのです。それは青春ホラー要素がどうのこうのでは無くて、「ヒーローオリジンもの」としての新鮮味の無さ、クオリティの低さゆえです。そもそも、「若いヒーローが自らの能力に気付き、使いこなせるようになる」と言うオリジンは、このシリーズに限って言えば「X-MEN:ファーストジェネレーション」でかなり上手いことやってしまっているので、どうしてもフレッシュ感では引けをとってしまうのです。さらに、もう様々なヒーロー映画で「オリジン的な要素」はあちこちに散りばめられているので、「またその話観るの?」感はどうしたってしてしまう。そこで2点目、

②「オリジンもの」としてのカタルシスに欠ける
100歩譲って何回も観たオリジンものだとして、それで全然面白くなることだってあるわけです。作り手としても、「やはり普通にオリジンものをやっても面白くならないだろう」という考えはあったのでしょう。そこでツイストとしての「青春ホラー」ということだと思うのです。が、しかし「青春ホラー」というのはまたしても置いておいて、やはり本作はオリジンものとして根本的にあるべき重要な要素を外してしまっています。それは「能力を使いこなせるようになるカタルシス」です。やっぱり「能力使いこなせるようになったぜー!フォー!」みたいな爽快感ってオリジンものの白眉ですよ(もちろんブラック・ウィドウとかホークアイなどの「ただの人間系ヒーロー」に関しては、その限りではありませんが)。そこさえしっかりやってくれてれば良いとすら思うぐらい。「ファーストジェネレーション」だって、マグニートーが能力使えるようになって泣いたりしてたでしょ?スパイダーマンだって気持ち良くスウィングするじゃないですか?そこはオリジンものとしてやはり外せないんですよ。

そして、「能力を使いこなせるようになるカタルシス」を生むために絶対必要なのがトレーニングシーンです。これがほぼ無いんだなぁ....何年経っても、ロッキーのトレーニングシーンだけを繰り返し観ては、ニヤニヤしている僕のような人間にとっては、こういう話では絶対にトレーニングを入れて欲しい!冗談は抜きにしても、トレーニングシーンの有無って単純にカタルシスに対しての前振りの有無と見ることも出来るし、それが無いってことは要は「キャラクターの掘り下げが足りない」って言うことなんですよね。その点、本作には5人の若きミュータントが出て来ますが、そのくせ96分の尺は短すぎます。各キャクターを掘り下げるだけの時間が与えられていないのです。まぁ「ミュータントとしての能力を抑圧的に閉じ込めることを目的とした施設が舞台であるためトレーニングシーンを描くのが難しい」とも思えますが、だからこそあった方が良くないですか?ミュータントたちが協力し、監視の目を掻い潜って、ささやかながら独自の鍛錬を積んでいくみたいなシーンがあれば「チームもの」としての結束感だって高まるわけでさ。何かしら出来んだろ!やれよ!ということですわな。

さらにクライマックスのデーモンベアとの決戦に関しても良くなくて。そもそもアニャ・テイラー=ジョイ演じるマジックというミュータントと、その他の4人の能力差が開きすぎているんですね。だいたい体から炎が出たり、足が速くなったりと一人一芸的な能力を持つ4人に対し、マジックは明らかに強そうな剣を持っている上に、体も強い。さらにはサイドキックのちっさいドラゴンまで付いてくるのです。原作からそうではあるが、明らかにバランスが悪い。しかも、マジックは他の4人のミュータントと比べると、最初から普通に能力を使いこなせてる人なんですよね。ほんで、クライマックスでは「最初っから能力も使えて、しかも強いマジック」が先陣切ってギャンギャンに戦いに行くわけです。最初っから出来るやつが最後まで1番強い構図って、ミュータント達の成長を描く作品としては、致命的な欠陥だと思います。そして、他の4人に関しては頑張りはするものの、あまり活躍が描かれないと。単に「怖いけど少し勇気出してみた」みたいな描かれ方しかしないので、「具体的なミュータント能力」の成長は描かれない。カタルシスなんか生まれようがないのです。そういう方向性の作品じゃないんだ」と言われればそれまでですが、じゃあわざわざアメコミ原作のヒーローオリジン映画になんかしなくて良くないか?と思います。

③全ての要素が中途半端

これはやはりスタジオ上層部に振り回されてしまった、ということが大きいでしょう。撮影時から「ホラー要素を減らせ!」と要求してきたかと思いきや、撮影後になって心変わりして「やっぱりホラーにしろ!」とかですね。しかも、再撮影で半分以上撮り直さないといけないにも関わらず、用意された撮影期間は3日のみ。半分以上再撮影ってちょっと異常な事態だし、それはもう別の映画だろ!とも思いますし、撮影期間が3日ってどういう見積もりをしたのか(んで、結果再撮影自体やってない)....あまりにスタジオの舵取りが上手くいってなかったという意味で、ジョシュ・ブーンには本当にお疲れ様でしたと言いたい。今度会ったら一杯奢ってあげよう。ほんでディズニーに買収されるや否や「ウチでやるんだったらホラー要素減らしてね」と言われたりと、もう踏んだり蹴ったり。

そんな中で、要素の差し引きをしながら作ったばっかりに、青春、ホラー、ヒーローオリジン、この三つの!全ての!要素が!お互いに譲り合い!結果!全ての!要素が!薄まって!しまったっっ!!と言うことですね。

端的にホラーとしては怖くないし(登場人物が順にトラウマ的な恐怖に直面する展開は「IT」で見飽きたし、正直「IT」でも単調でだいぶ退屈だった)、ヒーローオリジンとしては抜け感がないしと。そんな中で、唯一良かったなと思うのは、青春要素ですね。「性というものに対する恐れ」が描かれていたのは、「青春ホラー」と銘打った作品としては誠実なアプローチだと思います。第二次性徴期の若者にとって、「性によって自分が得体の知れないものに変質していくような感覚」というのは古今東西の物語で描かれて来た恐怖の根源です。しかし、前記したように、いかんせん個々のキャラクターの掘り下げが甘いので、焦点がブレてしまっている感は否めない。結果、「性による恐怖」を描いてはいるものの、何かに繋がって行くということは無いと。だから、全部の要素が「とりあえず入れてみました」程度のものにしか見えないのです。

●最後に

そして、何より1番残念なのは「この続きが観れない」ということです。ヒーロー映画って2作目こそが1番面白かったりしますよね。クソ面倒臭いオリジンストーリーも無しに、いきなり本題に入れるから。そういう意味では、どんなヒーロー映画だって1作目がポンコツでも2作目で挽回する可能性は無限に広がっているわけです。

特に本作は2作目を観れないのが、勿体ないと思わせるだけの良さはあります。まず、役者陣の頑張りは非常に大きいです。いまを輝くアニャ・テイラー=ジョイから、「ゲーム・オブ・スローンズ」でお馴染みメイジー・ウィリアムズ、「ストレンジャー・シングス」のチャーリー・ヒートンなど新世代スターキャスト達はやはり魅力的に映っています。さらに、今回の「ニュー・ミュータンツ」チームは設定として個々のメンバーの出自もバラバラで、先駆的でダイバーシティに満ちています(それらが作品内で上手く処理されているかどうか?はまた別問題です)。それ故、上手くやればこの先「今の時代を象徴する若いヒーロー達」にもなり得たはずです。勿体ない、、、

というわけで、20世紀FOXが製作するX-MENシリーズはこれにて閉店。まぁ、あと5年くらいしたらMCUに合流するのでしょう。「ワンダビジョン」は現状観ておりませんが(出費が嵩むのでマンダロリアンを観てからやめました)、なんかワンダがヤバくなって、現実が改変されて「ハウス・オブ・M」みたいな展開になって、X-MEN加入みたいなことになるのでしょうか。既にそっちの方が楽しみになってきたりもしていますが、最後の最後で、「ニューミータントっていう何とも言えない映画があったなぁ」ということは、忘れずに生きていきたいと思います。

それでは、また。
ステーション!

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