見出し画像

心育

「ちゃんと勉強しないと『あんなふう』になるのよ。」

これは ある建設業に携わる男性が耳にした子連れの母親の言葉。

違和感しかなかったんだよね。

『あんなふう』には 数え切れないほどの偏見と浅はかさが漂っていて。

イメージでモノを語るのは 凄く愚かなことだ。

経験したことがないことに対して考えを持つことは別にいいさ。

たださ やったこともないのに語るのは違うよ。

あたすは 警備員で建設現場でミキサー車の出入り管理をしているけど みんな それぞれが責任を果たす為に 努力しててさ。

監督さんは 計画や現場の作業員さんの管理をしながら 大変だろうに『手伝えることがあれば手伝います』って。

ミキサー車の運転手さんは 遠方から来ることも多いから 時間の管理や事故を起こさないように注意しているだろうし。

作業員さんは 作業日程に遅れないように 効率良く作業するには どうすればいいのか頭を捻りながら 手を動かしてる。

だから あたす達は それらが円滑に進むようにフォローしているわけで。

心の乏しさは 想像力の欠如と似ている。

想像が苦手な人って なかなかいないんじゃないかって 思っててさ。

単に自分には関係性が無いからって 考えることから逃げているだけなんだろうなって。

無理して 想像しなくてもいいけど 自分なら こうされたら嬉しいかもな。

くらいの事は 目の前のことに対して考えてるんじゃないかな。

仮に 考えないなら 結構 危ないかもね。

人じゃなくて 動物になりたいなら止めないけれど。

日本の義務教育って 同じ範囲内に 子供達の実力を収めようとしてるんだよな。

違いを認めないで 隔離しようとしがちで。

「あなたは こっちの『特別な教室』で。」

そうやって 周りにある存在とは違うから ここには居ないでねって 断りも無く 心が追いつくかなんて無視して 離してしまう。

結果的に 未熟な心に 大人の言い訳を押し付けて 白旗を上げて 放り出す。

「あなたとの接し方が分からないから 自分でどうにかして。」

許可や事情がなければ バイトもさせてもらえない制度さえも押し付けて。

そりゃあ 揉めるわな。

まぁ 日本教育の問題点を挙げれば キリがないんだけど ここで焦点を当てたいのは この環境に晒されている『幼心』でさ。

知識や学力を教えるのと同時に 心学も教えてほしいというか 気付いてほしいよね。

個人的にテストなんてしなくていいんだよ。

好きならスマホで調べて 勝手に知識を付けていくだろうし。

スポーツなら 毎日 練習出来る場所で 飽きるまでやってるんじゃないかな。

基準に困った社会のエゴだよな。

目に見える順位が無いと判断も出来ないのかよってね。

『個人』と『集団』では 何が違って 何が似ているのか。

慈しむという言葉も意味も知らなくても 感覚として 心に持っていてほしくてさ。

こんなことを言ってるけど あたすだって 最初から ハッキリとした考えを持っていたわけなんてなくて。

ただ どうなれば どうすれば 自分を幸せにしながら 周りにある全ても幸せを感じていけるんだろうってことだけは 諦めないでいたくてさ。

教えてほしいっていう 待ちの姿勢が 既に違うんだけど それを学校で 毎日 繰り返してると それが日常的になっちゃうのよ。

違うって 声を上げにくいよな。

右にならえ。

協調性。

酷いと退学にしたり 停学にして 臭いものには蓋をするんだから。

あたすは 学生時代から 比較的 誰でもコミュニケーションを取ってたから 誰がどんな選択をしても 認めてあげることしか出来ないよなぁって 考えていたけど。

興味が無いわけじゃなくてさ。

「決めるのは結局 自分じゃない?」

って スタイルだから。

目に見えるモノのグレードやクオリティーを上げることだけが 人生なら つまらないんだよね。

見えない所に 本物が詰まっていて それが目に見えるモノに滲み出してるだけなんじゃないかな。

身長は ある程度 食べて生きてれば 育つんだけどさ。

心は 意識しないと育たないからさ。

そんなことを考えながら ヌン活してる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?