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World Base Classic

WBC。


日本が優勝したね。


純粋な『おめでとうございます』だよ。


たくさんの人達 それも 世界を巻き込んで 興奮と感動を届けてくれた。


もともと野球やスポーツを好きな人だけではなく これまで 野球に そこまで興味や関心が薄かった人も分け隔てなく。


何が そこまで 人を熱くさせて心を震わせるのか?


きっと 目の前でドラマが生まれ続けているからだろうな。


リアルで タイムリーで ライブ感を伴うのよ。


これほど 三拍子揃うことは 望んでも そうそう出来ることじゃないもんね。


そして 選手達 全員が紛れもなく主人公だからね。


漫画やアニメと一緒。


でも 圧倒的に 絶対的に違う点がある。


それは アニメや漫画では 全ての登場人物の視点で ストーリーが描かれることは少ない。


WBCに限らず 現実世界でも それぞれにストーリーがあることには変わらない。


創作されたモノには 作者っていう『そもそも』や『設定』があるから 作者が描かないと 続きを見ることは難しい。


そこが大きく違って 魅力を感じる部分でさ。


あたすも どちらかというと創作寄りな生き方を選んでいるんだけども。


実際に 目の当たりにするのは 衝撃的で 感情的になりやすい。


そして なにより共有力は最大だよね。


画面の中に映るものが アドリブで 展開を読むとか そういう次元じゃないんだから。


誰も ピッチャーが投げる球種を予想は出来ても どれくらいのスピードや変化球の変化度合いかまでは 予想というか 想像すら出来ない。


そして それをバッターがバットに当てるのか はたまた 芯を捉えて有効打になるのかさえも。


監督や関係者だって 分かるわけないもんな。


『リアルタイムで紡がれるドラマ』


そこに 至高の喜びの種が 無限大に転がっているんだからさ。


ドキドキ。


ワクワク。


期待。


不安。


複合された複雑な感情が熱を帯びているんだ。


心が燃えるのは 理解に容易いね。


だからといって 興味や関心が薄いことが 悪いとかじゃないから。


刺さらないモノは どうやったって 刺さらない。


今回のWBCは 単純に 刺さりやすいってだけでさ。


決勝戦をリアルタイムで見ていないから あたすも そこまで入れ込んでるわけではない側なんだろうから。


それでも尚 間違いなく 胸に届いてきた。


それは 選手達や監督が語る精神論や感性に刺激を受けたからで。


栗山監督が言い続けてきたキーワードがある。


『信じる』


自分を信じて 選手を信じて。


あらゆるものを信じた。


信じられたのは なぜなんだろうってね。


そこに あたすだけではなく みんなに感動を憶えさせた信念が姿を現しているんだよね。


自分が幼い頃を思い出しても 誰かを偏見や邪推で 信じなかったことが少ないんよな。


そう考えるとさ。


『人は 基本的に信じていたい生き物』


なんじゃないかって。


ただ 年齢と経験を重ねると 自分が生きていく上でのノウハウが 自動的に仕上がっていく。


その過程には 疑いがあって ふるいに掛けることで 選別していかなきゃいけないことが増えていくんだよね。


世界にあるのは 善意だけではなくて悪意があることを知ってしまうんだもの。


善意に見せかけた悪意なんていう超高難易度に直面することだってあるからね。


素晴らしいパフォーマンスを見せてくれた選手達並びに関係者だって 例外なわけがなくて。


魅力と誘惑はワンセットなところがあって。


自分だけが得をすればいいという思惑の対象になりやすい。


善意の中に混ざっている悪意との遭遇率は 高いんじゃないかな?


色々あっても バットの芯でボールを捉えるような努力と信念のもとで 必ず 自分自身を信じてきた。


その結果が 試合で発揮された。


その瞬間に立ち会えた。


信じてみてもいいかな?


ポジティブな感覚を拡散してくれたって思うよ。


ユニフォームやバットやグローブの重さだけで 彼等は戦ったわけじゃない。


見えないハイプレッシャーさえも肩にのしかかった状態で ベストな成果を残した。


誰かの声援は 頼もしさと嬉しさだけじゃなくて 期待も含まれているよ。


支えきれなくなっても おかしな話じゃない。


それでも そのマイナスになりそうなエネルギーもプラスに変換してきたんだろうな。


才能やセンスに上乗せされた努力が『ただの天才』から『1人の天才』にするんじゃないかって。


彼等の姿は 自信の持ち方を体現している。


自信だけに留まらず 人生との向き合い方さえも教えてくれている。


決勝戦での8回と9回でのダルビッシュ有選手と大谷翔平選手の登板は 栗山監督の指示なんかじゃない。


両選手が 自ら手を挙げた。


なんで そんなことが起こったのかな?


信じていたからだよね。


その時 栗山監督は 嬉しかっただろうね。


心で熱い涙を流していたかもしれない。


報われたいと願っていたわけでもないと思うんだよね。


『応えてくれたらラッキー』


そのくらいで 普段から信じてきたんじゃないかな。


信じることのハードルを上げているのは いつも 自分の勝手な匙加減。


自分が信じることから始めよう。


あたすは 栗山監督から そんな信念を感じたね。


『自分がMVPを取ったことよりも チーム一丸となって優勝を掴み取れたことが嬉しい。』


これは 大谷選手が 決勝戦後のインタビューで述べた言葉。


努力は 自分の為『だけ』にすることじゃない。


支えになってくれる人。


大切にすると決めた人。


周りの為にするものでもあるよね。


自分だけだと どうも怠けやすいんだよね。


『あたすが良ければいいもんな。』


で 終わらせることが出来てしまうんだよな。


努力が続く人と3日坊主の人の唯一の相違点があるとすると きっと そこなんだろうね。


頑張る。


踏ん張る。


歯を食いしばる。


体感だけど 大切なモノの為だと 出来ちゃうんだよね。


なんか 人は独りで生きているわけじゃないって部分に通ずる気がしててさ。


エネルギーの源が1つである必要がないっていうか そんなの決まってなくない?


って考えてるだけなんだけどさ。


その姿勢が 足を踏み出すキッカケになれば 上出来だよな。


なんて思うよ。


同じではないけど 大谷選手も似たようなスタンスというかエレメントが 心の中にあるのかもしれないね。


『自己研鑚する姿で 周りにも好影響を与える』


ことが自然とチームの中にあるんだろうな。


そう思わざるを得ない 侍ジャパンの団結力を強烈に見せてくれたよね。


クラシックの意味って 幅広いみたいでさ。


伝統的な 最高級の 見事な。


どの意味だったとしても 今回の侍ジャパンが見せてくれた熱心なパフォーマンスとマッチしてるなってね。


タイトルは あえて間違えてみた。


『世界の最高級な基礎』


正しく そんな気がしたから。


ボールが どうこうじゃなくてさ。


あらゆる物事に言えること。


人の在り方を考える機会をいただけたことに感謝します。


感動を ありがとう!

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