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2020年を個人的に振り返る。

2020年も、今日で終わり。

毎年毎年何かしらの出来事があるものですが、今年は特に激動の一年だったと思います。

世間では新型コロナウイルスが世界的な流行を見せ、人々の暮らし方は大きな変化があった年でした。個人的なところでは、4年間通った大学を卒業して就職し、学生から社会人になるという節目の年でもありました。

今年1年がどんな年だったのか時系列に沿って、振り返りながら今年を締めくくりたいなぁと思います。

1月

もう誰も覚えていないと思いますが、カルロス・ゴーンのレバノン逃亡が世間を賑わせて始まった2020年。

この頃の僕は、2月に卒業旅行として台湾を10日かけて一周しようと、アルバイトに明け暮れていました。また卒業要件を満たせていなかったので、その勉強をしていたのもこの頃になります。

中国で新型の肺炎が流行しているらしいというニュースは、飛び交っていましたが、この頃は完全に対岸の火事。まさか世間が一変してしまうとは露ほども思っていませんでした。

2月

段々と新型コロナウイルスが世間を賑わせ始めたのが、この時期です。日本でも感染者が少しずつ増え始め、デマの流言や転売騒動が起こり市場からはマスクが消えましたね。

僕もこの影響を受け、予定していた台湾1週旅行も中止に。感染者数が増大しGoToトラベルも中断となってしまった今では考えられないですが、この頃は「今は海外に行くのは我慢して国内を楽しもう!」という流れがあり、友人が企画していた奄美群島の沖永良部島に行く3月のツアーに参加することにし、気持ちを切り替えることにしました。

またnote.で「まるこすの日記マガジン」という日記をつけ始めたのが、この月でした。

僕は人付き合いが苦手で、その原因が「自己開示が苦手で自分の安心できる空間を作れていないからではないか」という仮説を立て「自己開示をする練習をする」という目的で2018年からnote.を開始しました。しかし肝心の自己開示をしていたエッセイは、途中で始めた旅行記(未完結なので、更新しないと…)のせいで書けなくなってしまい…。また、エッセイはエッセイで「オチを付けなきゃ…」と思って書いていたりすると素の自分を出せていない気がしたので、日記を書くことにしてみようと思ったのです。

実は、上記の仮説は少し間違っていたことが最近判明したのですが、それは後述します。

3月

卒業まであと1ヶ月という月。なんとか卒業が決まってホッと胸を撫で下ろしました。卒業できて本当によかった〜。

2月まで続けていたアルバイトも辞め、大学生活でやり残したことの精算と4月からの新生活の準備を進めていました。

他には、普段なかなか連絡を取っていなかった人に会いに行ったり、

卒業と共に彦根を離れることもあり、お世話になった方へのお礼も兼ねて取材記事を書かせていただいたりもしました。

沖永良部島に訪れたのもの、この頃です。

沖縄本島から船で7時間かかる日本の果てのような島で、現地の小学生と遊んだり、地元の人とBBQをやったり、トゥクトゥクに乗ったりと楽しい時間を過ごした思い出があります。

都市部の喧騒とは正反対の場所に位置し、緩やかな時が流れ、人と人が繋がっているこの島。

海外ばかり訪れていた僕ですが、日本の色々な場所をもっと巡りたいと思った旅でした。

絵に書いたような南国の花、真っ赤なハイビスカスがとても印象に残っています。

結局コロナの影響もあり、卒業式などのイベント関連は軒並み中止となってしまい卒業を実感しにくかったのですが、この沖永良部島の旅行は大学生活の終わりを教えてくれる節目となりました。なんだか寂しくなって本土に帰る飛行機の中で少し泣いてしまったのは内緒。

4月

僕の社会人生活は緊急事態宣言の発令とほぼ同時に始まりました。

予定されていた新入社員研修はいきなり在宅での実施となり、社会人となったという実感を持てないまま2ヶ月間の在宅生活へ。

ただ僕は新しい環境に適応するのが苦手なので、むしろこのような形でゆるやかに社会人になっていくというのは、むしろ良かったかもしれません。

生活様式の変化に伴い、オンラインを活用しようと動きが活発になって、オンライン飲み会などが開催され、むしろ学生時代よりも連絡を取るようになった人達もいました。

コロナの負の影響は計り知れませんし、それに苦しんでいる人がたくさんいることは重々承知ですが、すべてをマイナスに受け取る必要はないと思うので、良かったことは良かったと言っておきたいわけで。

5月

年号が変わり大はしゃぎをしていた昨年の10連休とは打って変わって、自粛自粛のゴールデンウィーク。この頃から、大学時代の友人と共に越境ことはじめという活動を始めました。

コロナ禍を通じて、そしてそれに限らず人々の間に様々な線が引かれてきました。そこには割り切れぬ痛みが生じるはず。けれども、その痛みに僕たちは鈍感になっています。その痛みを癒そうと発足したのが、この越境ことはじめというコミュニティです。

現在は月に2回程のペースでコミュニティメンバーの1人が話題提供をし、様々なテーマについてトークをしています。

社会人生活との両立にまだ悪戦苦闘しており、なかなかコミットできていないので、来年以降もう少し活動に貢献できるようにしたいなぁ。

6月

緊急事態宣言も開けたので、この頃から職場に普通に出勤するようになりました。仕事と両立しながら日記を書くということが難しくなったので、一旦2月に始めた日記を終わらせたのも、この頃です。

確かこの月に基本情報技術者試験の午前免除試験に合格したのですが春季も秋季もコロナの影響で延期になり、今も午後試験は受けることが出来ていません。

職場まで1時間以上かけて通勤していたので、なにかその時間を有効活用できないかと思い、本を買ってハングルの勉強なんかをしたりしていました。勉強と言ってもハングルを読んで音がわかるようになっただけで、単語の意味や文法は今もまったくわかっていません(笑)

7月

オリンピックの開催が予定されていた月。結局延期になってしまいましたが祝日は、そのままなので休みの多い月でした。

GoToトラベルが始まるぞ!という頃だったので、その休みを使って岩手・宮城に旅行へ。

この旅行で松島に行ったことで日本三景を制覇。

牡蠣がめちゃくちゃ美味しかった…。

8月

久しぶりに大学4年間を過ごした滋賀に遊びに行ったのが、この頃。

再びコロナの感染者の数が増え始めた時期だったので、数人にこっそり会って帰るつもりが、瞬く間に色んな人に話が伝わって会う予定の無かった人と飲みに行ったりすることに。

1泊で帰るつもりだったのに気がついたら2泊して3日目も終電ギリギリまで過ごしてしまいました(笑)

今度会う時はちゃんと連絡して遊びに行こう!

あとこの月からヒゲ脱毛に通い始めました。年明けに3回目の施術に行く予定。僕のヒゲの濃さだと15回〜20回は通わないとツルツルにならないらしく長い長い道のりです。

9月

2019年は海外によく行っていた年だったので、コロナの影響で行けなくなってしまったのが、とても悲しかったです。

日本にいながらでも異国情緒を味わおうと、近場のアジアン食材のスーパーに足を運ぶようになったのが、この頃でした。

中華系、コリアン系のスーパーによく足を運び、よくわからないものを買っては「わかんね〜」と思いながらパクパク食べるのを楽しんでいた記憶があります。

水だけで調理できる火鍋(正確には冒菜)を買ったり、

一時期、北朝鮮で第2の通貨として流通していた韓国のチョコパイを買ったりしていました。

色んなアジアン系のスーパーの中でもお気に入りだったのが、池袋にある友誼商店です。日本語より先に中国語で話しかけられるような異国感満載の場所で、併設された友誼食府というフードコードでは本場の味が楽しめますよ!

10月

完全に中国にハマっていたので、この頃に越境ことはじめで中国に関して話題提供をしてワークショップやらせてもらいました。

今の仕事では、こういったプレゼンをする機会がないので久しぶりで楽しかったです(笑)

11月

5月に配属された現場から急に異動になったのが、この頃でした。

詳しいことは省きますが、前の現場との違いに困惑するばかりの1ヶ月間だったと思います。

実はこっそりと10月からダイエットをしていました。

2020年に入り4月〜6月の3ヶ月間でダイエットをして、15キロほど体重を落とすことに成功したのですが、そこから全然体重が減らなかったので再開していたのです。

結局、新しい現場に適応するのが精一杯で続けられず体重は現状維持に留まっています。ダイエットって難しいね。

12月

異動から2ヶ月目にしても、まだ正直、職場の環境に慣れていません。

特に職場で鳴り響く音に悩まされていて、大きな音や突然鳴り響く音に体が「ビクッ」となってしまい、ひどいときには硬直してしまいます。

今まで自覚がなかったのですが、どうも僕は聴覚過敏みたいです。

また10月から通院を続けていた精神科で受けてきた、いくつかの検査結果が出て、発達障害(ASDと軽めのADHD)の傾向があると告げられたのが、つい最近のことでした。この聴覚過敏も発達障害の症状のうちの一つとのこと。

発達障害は先天的なものなので治るものではないのですが、投薬と環境調整によって「困りごと」を和らげることができるみたいなので、処方してもらった薬を飲みつつ環境調整をしていくのが来年がんばることかなぁと思っています。

今年一年間はどのような年だったのか

振り返ってみると、いろいろなことがあった1年でした。

この1年が、どういう1年だったかと振り返ると以下の2点に集約されるのかなと。

1.学生時代にやりたかった・できなかったことができるようになってきた
2.長年悩んできた問題に1つの答えが出た

決して器用に立ち振る舞えたわけではないですが、少しずつだけど前に進めているんじゃないかなぁと思っているわけです。

1.学生時代にやりたかった・できなかったことができるようになってきた

とにかくアルバイトが続けられなかったので、いつも「お金がない…、お金がない…」と呟いているような金欠学生でした。毎月決まった日に決まった額のお金が振り込まれる、社会人としてのありがたみを噛み締めています。「今月の家賃をちゃんと払うことができるのだろうか?」という心配に苛まれなくなっただけでも、だいぶ心理的に楽になりました。

おかげで新しく本を買ったりヒゲ脱毛に通ったりするなど自己投資をしたり、クラウドファンディングやnoteのサポートなどを通じてお世話になった人に対して支援をしたりと、できることの幅が広がりました。

時間的な自由さは確かに減ってしまいましたが、自由すぎても何もできない性分なので、むしろ良いんじゃないかなと。

人から見たら大したことはないかもしれませんが、週1〜3日で長くとも4時間程度のアルバイトすらまともに続かなかった僕が、週5で8時間+α働く社会人を、とりあえず9ヶ月間続けられたことは、自分自身を褒めてあげたいなと思っています。

2.長年悩んできた問題に1つの答えが出た

精神科への通院をして発達障害の検査を受けたのもしてよかったことです。

学生時代から僕にはその傾向があるんじゃないかと疑っていたのですが、結局怖くなって病院に行くことをためらい「社会人になって困ったら行こう」と後回しにしていました。

結局、社会人になって「何でこんなミスするの?」と自分でも思ってしまうようなケアレスミスを連発してしまい通院を決意したわけです。新人のうちは笑って許してもらえても、だんだん許されなくなってくるだろうと思い早めに対策を打つことに。

結局、発達障害の傾向があるとわかったわけですが、検査を重ねるうちにケアレスミスの多さに加えて、長年抱えていた人とのコミュニケーションの苦手さや、自分自身の空虚さ、生きづらさというものも、これが原因だとわかりました。

上述したとおり、人付き合いの苦手なのは「自己開示が苦手で自分の安心できる空間を作れていないからではないか」と考えていましたが、それは一部でしかなくて、正確には「発達障害の傾向があるから」ということが根本原因だったようです。

原因が分かったからといって問題が解決したわけではないのですが、「なぜこうなんだろう?」と悩む段階から「原因はわかった。じゃあ、これからどうしていこうか?」と悩む段階へと移り変わったので少し解決まで前進したと言えるんじゃないかなと思っています。

最後に

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

本当に不器用で、いつも誰かに助けられてばかりで、それなのに自分のことに精一杯で本当に申し訳ないのですが、助けられた分、僕も誰かを助けられるような人になりたいなぁと。

来年は、もう少し社会に適応できるようにがんばります。

それでは良いお年をお迎えください。来年もよろしくお願いいたします。

2020.12.31 自室にて

最後まで読んでくださり、ありがとうございました! ご支援いただいたお金はエッセイのネタ集めのための費用か、僕自身の生活費に充てさせていただきます。