サムネ

短編小説「よーし失敗してくるぞー」

「あのさぁ」

「ん?」

「お前、最近エッセイ書いてネットに上げてんじゃん?」

「そうだね」

「なんかいいよなお前のエッセイ」

「何だよ急に…。でも、ありがと」

「なんかエッセイを書き始めてからお前イキイキしてね」

「あー、確かに。ちょっと生活にメリハリでたかもしれん」

「いいなぁ。俺もいろんな人に書いた文章見てもらいたいわ。エッセイってどう書いたらいいの?」

「うーん、難しいな」

「なんだよ、教えてくれよ」

「いや教えたくないわけじゃなくてさ」

「うん」

「エッセイって自由なのよ」

「は?どうしたお前」

「あ、いや、カッコつけているわけじゃなくてね」

「おう」

「エッセイは決まった形式がないのさ」

「へぇ」

「論文なら序論本論結論といった大きな流れがあって論理的であることが求められるけれども、エッセイにはそれがない。つまり自由なのね」

「なるほどなぁ、でも自由に書けって言われても困るな…。昨日食べた夕飯の話しでもいいわけ?」

「全然いいよ。ただ、そのまま夕飯で食べたものを書いてもただの日記になっちゃうね。それだと多くの人に読んでもらうのは難しいかもしれない」

「ん…?じゃあどうしたらいいのさ」

「独自の視点を加えるんだ」

「ドクジノシテン…?」

「あんまり深く考えなくてもいいよ。『昨日夕飯を食べた』という事実にプラスして君らしさを加えればいいんだ」

「俺らしさ…?なんだか哲学的になってきたな」

「例えば君が食べることに並々ならぬこだわりがあるなら、それを書けばいいだろうね。それだけで君だけの文章が生まれる」

「あー、なるほど」

「他には誰か一緒に食べていた人がいるなら、そのことを書いてもいいかもしれないね」

「うんうん」

「あるいは、これらを組み合わせてもいい。『夕食に俺の大嫌いなピーマンが出た。父さんと母さんに見えないようにして小皿に盛り付けられたピーマンをどうやって大皿に戻すか。俺の戦いが今日も始まったわけだ』なんて書いてあったらちょっと続き読みたくならない?」

「確かに、めっちゃ続き読みたいかも。書いてくれ」

「いや、僕には無理かな」

「なんでよ」

「だってピーマン好きだもん。これが自分らしさ」

「納得した。あとさ、ネタとかってどうやって集めてんの?」

「うーん。難しいな。経験談を元にして書くっていうのが一番ラクかも」

「経験談」

「そう、まあこの辺の感覚は書いてたらわかるって。とりあえず書いてみるのがいいよ」

「オーケー。そうする」

「あ、でもね」

「お?」

「失敗談だとオチとかがつけやすいし自然と構成が浮かぶから書きやすいかもしれんな」

「たしかにそうだな!ありがとう」

「いえいえ」

「よーし失敗してくるぞー」

「いやいや、そういうことじゃなくてさ」


それ以来、友人からの既読はつかなかった。

気がつくと彼は共に通っていた大学もやめていた。何が起こったのかは、わからないけれども、あの時交わしたLINEが彼との最後のやりとりになってしまったのだ。


〓   〓


それから22年の月日が流れた。

彼は日本の内閣総理大臣になっていた。43歳の異例の若さで総理に就任。歴代首相で最年少記録を保持していた初代総理大臣である伊藤博文の44歳を追い越したのである。

驚くべきことだけれども僕には彼ならやりかねないという気持ちもあった。彼は昔から地頭が良く、どこか抜けている部分はあったけれども行動力があったからだ。そして彼の敏腕は田舎で農業を営んでいた僕にも耳に届いていた。

彼は大学中退後、N県の限界集落O村に移住。そこでベンチャー企業を立ち上げ若者を多く呼び込み地域振興を図った。その後、25歳になると代表取締役の座を譲りN県議会議員として政界に参戦。彼は手腕を大いに奮ったという。その後、30歳になるとN県知事に就任。彼の指揮のもと任期中に発生した不況の中で全国の平均失業率が10%を超える中、官民一体の事業を推し進め唯一N県だけが2%以下を保っていたのだ。

任期を二度終え、39歳の時に満を持して国会議員へ。そして43歳にして首相まで上り詰めたのである。

若き首相に期待する声も大きかった。近年のアフリカを始めとする新興国の台頭により日本経済は大幅に悪化の一途を辿っており、彼は若きホープとして未来を国民から託されていたのである。

彼は昔から器用で要領がよかったのは彼だけれども、大学を中退してから内閣総理大臣になるまで並々ならぬ苦労があったに違いない。けれどもテレビの画面を介して見る彼は41歳という年齢の割にはかなり若々しく見えた。

僕はというと大学を卒業して不動産会社に就職し営業として働いていたけれどもわずか3年で心労により退職。田舎で土地を借り農業を営みながらエッセイを趣味で書いて暮らしており少ない収入ながらも世間の混乱から離れ悠々自適に暮らしていた。今の暮らしに決して不満はないけれども、少し引け目を感じていた。

だからこそ僕は彼を支持するのだ。いつしか音信不通になってしまったけれども、かつての友人として。憧れとして。

「私はこれまでN県O村、そしてN県全体で現状の打破のために邁進してまいりました。必ずや私が日本を再興させてみせます!」

演説で力強く言い張る彼の言葉に誰しもが期待してた。


〓   〓



だが、彼は大失敗した。

彼の任期の最初の2年間は確かに順調だった。世界各国と経済的な結びつきを強め失業していた多くの人々の雇用を生み出し、貿易を拡大させ約10年ぶりに経常収支を黒字へと戻したのである。

しかし、もとから経済的に対立構造にあったアフリカの新興国とEU諸国やアメリカを始めとする先進国との間に大西洋沖で武力衝突が発生した。そこから一気に戦火が広がり第三次世界大戦が発生したことで、事態は一変。経済的にどちらの陣営とも密接に結びついていた日本経済は大打撃を受けた。

更には国際世論の圧力に負け、日本もまたこの大戦に参戦せざるを得なくなったのである。この戦争に多くの生産労働人口が失われていった。

そういった世情を踏まえ内閣に不満が集まる中、これまで彼がのし上がるためにしてきた様々な裏工作がリークされ、彼の支持率は大幅に低下。

内閣不信任決議が可決され衆議院は解散。彼は辞職したのであった。

彼は就任から、たった3年で期待のホープから史上最悪の総理大臣の烙印を押されることになってしまったのである。

彼は最後の会見で日本のことばかりに目が行き、世界に関して目が向いていなかったことを自身の失敗の原因と述べている。


〓   〓


更に20年の月日が流れた。

結局の所、13年続いた戦争は両陣営の講和によって幕を閉じた。国境も何も変わらない。ただただ多くの生命が失われ両陣営が疲弊した無意味な戦争だった。

戦時中日本もまた困窮状態に陥ったが、僕は農家を営んでいたことによって何とか食いつなぐことができ、今もこうして生きている。

戦争は多くの爪痕を残したけれども、少しずつ復興しつつあった。今では物流もほとんど回復し大戦以前の暮らしが戻りつつある。

久しぶりに街に買い物に出かけた僕は、なんとなく本屋に寄った。大戦によってネット環境の大部分が破壊されたことや娯楽の減少によって、紙媒体の書籍のブームが起こっていたからだ。

おかげで最近はただの趣味で書いていたエッセイに、エッセイ作家としても仕事が舞い込んできており非常に助かっている。

新書のコーナーを見に行くと妙にたくさん積み上げられた分厚い本が目に入った。

店頭に置かれたPOPにはこう書かれている。

「空前絶後の大ベストセラー!かつての友人に送った?!史上最悪の総理と烙印を押された男が送る半生を綴ったエッセイが発売中!」

あ、彼の本だ。直感的に悟る。

ふと、昔のやりとりを思い出した。彼は確か昔、エッセイを書こうとしていたな。かつての友人って、もしかしたら僕のことかもしれない。

彼には同情的な節があったと僕には思えて仕方ならない。確かに裏工作をし大きな犠牲を払い首相へと上り詰めたのは事実だ。首相として国際情勢を無視した政策を打ち出した上に戦争への道を開いてしまったのは確かである。けれども、すべての出来事を彼1人の責任と言い切るのはあまりにも横暴ではないのだろうか。N県O村を興し、N県の雇用を安定させたのも、確かな事実なのだし。

けれども、そんな大失敗を犯した彼がベストセラーになったのは喜ばしいことだ。かつて自分の書いた文章を多くの人に読んでほしいと言っていたような気もする。

僕も、このエッセイ本を買おう。そう思い積まれた本を一冊手に取った。

どれどれ、タイトルは…?

「俺の失敗談」

しまった。タイトルの付け方を教えておくべきだった。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました! ご支援いただいたお金はエッセイのネタ集めのための費用か、僕自身の生活費に充てさせていただきます。