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人は慣れる生き物(2020/03/16の日記)

今日風強すぎじゃないか?

季節が冬に戻ったみたいだ。寒い。


会社の研修を腰を据えてやらねばならぬ。

今日、ずっと気がかりだった引っ越しを終えて、久しぶりに会社の研修に取り掛かった。

逆算してみると本当にギリギリだ。実家にいる間も予定で立て込んでいるのだけれど、幸い日中は空いているので、そこで進めようと計画を、しっかりと立てた。果たしてうまくいくのか…。


2年ぶりに友達と飲みに行く。

夜になって成人式で会って以来の高校の時の友達と飲みに行った。

懐かしいさと共に、かなり忘れている高校時代の特に楽しい思い出を思い出す事ができてよかったと思っている。

僕にとって高校時代は逆方向に美化されている。つまり、あまり良くなかったという印象しかないのだ。

思い出は、時の流れとともに細部を忘れ強烈に印象に残っっている部分が記憶の中に残っていく。それが良い印象だった場合、美化されて、いわゆる思い出補正になるのだけれども、その逆もありうるのだということを実感した。

あのときがむしゃらだった僕も、何かしらで楽しんでいた時があったのだ。そう思うと、あの暗黒高校時代も楽しかったと思えるかもしれない。

いや、無理だな。

それよりも、僕より要領がよくて羨ましく思っていた彼もまた当時悩んでいたことが話を通じてわかったの意外だった。一見輝かしい人生を歩んでいるように見える人でも、人はどこかで悩んでいる。

悩むことは人間にとって自然なことだ。その悩んだこと自体が良いのか悪いのかは後になって結果としてわかることでしかないから。

悩んだっていいし、悩んではいけないのが真理。


人は慣れる生き物

飲み会中も結局コロナの話をしてしまった。

話をしてして思ったのだけれども、完全に現在のコロナパニックに慣れてきてしまっている自分がいることにゾッとした。

世間はたしかに揺れ動いているし、実際にマスクが店頭から消えたりとその影響を見る場面は増えたのだけれども、実害を被っていないせいで“慣れて”しまっている。

もちろん被害が出ているところを憂う気持ちもあるし、なにか出来ないかなという気持ちがあるのだけれども、コロナに対する感情の振れ幅が初期よりも狭くなった。

ニュースを見ても「あー、今、こうなっているのか」という感覚だ。

この感覚を覚えたときゾッとした反面、人は環境に“慣れて”適応してきたからこそ、生きてこれたという側面もあるということも認識した。

すべてのことを鮮明にいつまでもずっと覚えていたら生きていくなんてことはできないだろう。惰性では生きることはできても前向きに生きるのは難しいに違いない。

“慣れて”しまうのは決して悪くはない。

でも、その教訓だけは忘れないようにしなければ。




完全に酔っ払ってるせいで小難しいことを書いてしまったな。

明日の日記は軽めにしよう…。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました! ご支援いただいたお金はエッセイのネタ集めのための費用か、僕自身の生活費に充てさせていただきます。