ばんぎゃ。

主にヴィジュアル系バンド(以下V系)に通う女の子。通称バンギャ。ちなみにその男の子verはギャ男(読み方は「ぎゃお」)と呼ばれる。

かつてはわたしもバンギャだった。というか現かな。
今年に入ってこんな事態に陥ってるから行きたくても行けないだけで(というかわたしが行きたいライブは延期、中止になっているものがほとんどだけれど...)元々は子どもが生まれてからも旦那にお休みを取ってもらったり、必要に応じて青森から母親という助っ人を召喚したりしてライブには行くつもりでいたし。
何よりこのような事態がいつ落ち着くかも、次ライブに行けるのはいつになるのか分からない中でも、時間を見つけて好きなV系バンドの曲を聴いて家で一人ノリノリになってみたり、好きなバンドマンのインスタライブやツイキャスにお邪魔したりして、新しい形でのバンギャライフを自分なりにも模索して楽しんでいる。
皮肉にも、オンラインでライブ生中継なるものには結構助けられている。本来だったら行けなかったであろうライブを3000円程度、はたまた無料で、しかも家にいながら、下手したら見逃し配信としても観賞できるなんて、有難い話だ。

...こうやって書き出してみても、やはりわたしは三十路になってもやっぱりバンギャルを本当の意味では卒業できていないようである。卒業するつもりもさらさらないけれども。

そんな自分も属する“バンギャ”という生態について少しばかり考えてみた。
というのも、バンギャは確かに“普通の人”から見たら特異的な部分があるような気がしたからだ。


①独占欲
「麺被りNG」という言葉がバンギャ界隈にはある。「麺」=バンドのメンバーのことで、読んで時の如く「好きなバンドメンバーが同じ人とはお友だちにはなれません」的な意味合いである。
ちなみにわたしはむしろ麺被りOK派です。好きな人の話題で好きなだけ盛り上がれる友だちなんて、最高じゃないですか。だからたまたま出会えた人と麺被りしていると、それだけでわたしはその人のことも大好きになります。笑
話を戻して...
どちらかというとわたしの身の回りでは「麺被りNG」のバンギャさんが多かったように思う。
そこには確実に「独占欲」というものが存在する。あの人のことはわたしが一番よく分かってる、他の人にその魅力が分かってたまるか。「わたしもその人のこと好きなんだ〜!」と自分の知らないその人にまつわる逸話なんか一つされた日にゃあ、嫉妬心と悔しさで悶え苦しむわけです。あ、何度も言うことでもないですが、わたしは麺被りOK派です。なのでこれは全て憶測です。
わたしはもちろん独占欲を否定するつもりはさらさらなく、むしろそんなに強く想えるような相手ができるなんて、人生でそうそうないことだと思うから、誇りに思うべきだとすら感じる。
ここでこれ!という具体例が今現在ポンと思い浮かばないので説得力に欠けるが、バンギャの独占欲は他界隈よりも結構強烈な印象を個人的には抱いている。

②「好きな人から必要とされる」ことへの執着
特にあまり認知度もなくまだ売れていないような集客数が少なめなバンドを追っかけるバンギャにありがちな話だと思うのだが、「自分がいないとこの人たちの仕事がなくなってしまう!」という一種の使命感に知らぬ間に苛まれてしまうバンギャは一定数いるはずだ。
というのも、これはわたしの経験談だが、
「いつもありがとう。また遊びにきてね」
と見つめられながら満面の笑みで言われ、同時に握手なんかされてしまえば、「はい!いくらでも遊びにきます!」となるのである。実にチョロい女である。
特に強烈に覚えている、一番大好きなバンドマンからの言葉がこちら。
「来週のインスト(インストアイベント。CDやDVDを発売した記念に、買ってくれた人が参加できるトークイベントや握手会、サイン会の総称)は来ないの?」
行く予定なんぞありませんでした。
なぜなら次のインストはかつての天皇誕生日にあたる12月23日。婚約が決まって、後の旦那と指輪を買いに行く予定だったからだ。
だがしかし、大好きな人からこんなことを言われてしまうと、「え、わたし求められてる?」と思ってしまうわけです。分かります、ただの勘違いです思い違いです。でも、そう思わざるを得ないんです。
「好きな人から必要とされる」という感覚を、バンドマンはあたかも当たり前のようにバンギャに味わせてくれるのだ。(そこには相手にもお金という最大の利点が絡み、つまりWIN-WINだからなのだが、この話はまた後ほど)
はい、わたしは行きましたよ。彼にインストの会場と指輪買うお店近いから!と説得して。指輪を買うブランドが二人の中でここ!というのが事前に決まっていた、そして偶然にもそのブランドが入ってる商業施設がイベント会場と近かったのが本当に幸い。いや、むしろ運命...!笑

話を戻して...
とにかくこれくらい「好きな人に必要とされること」は大袈裟ではなく自分の生きる意味に繋がるのである。
だが、逆にその自分の好きな人が多くの人に認知されるようになり、ファンも増えていくと徐々に「自分は必要とされている」という感覚を味わう機会も減って行き、そうなるともう自分はいらないのね、とついこの間まで命の次に大事!ってくらい大好きだった人への想いも瞬きのように消え去るのである。「あの頃(売れてない頃)のあなたのことが好きだった」というような想いをSNS上で伝える人もいるし。
こういうのは「執着心」由来の一種であるとわたしは思う。
でもね...本当に好きな人から必要とされること以上の幸せって、ないよね。(経験者は語る)

③貢ぎ癖
バンギャはとにかくお金が必要です。
・CDやDVD等の音源商品は、インスト等に参加するために複数購入が当たり前。
・ライブに関しては「セトリも違うしメイクや髪型も違うし、一度として同じライブはない!」という考えの元、ツアーが発表されたら近場の会場とファイナル公演以外にも、遠征できる所はないか模索する。その結果、ライブに行く回数も増えるし、遠征するとなれば交通費や場合によっては宿泊代も伴う。加えてライブでは物販もあるので、グッズも買う。わたしの好きなバンドはよくトレーディングカードを販売しているのだが、全てランダムなので複数枚買って、なんとか自分の好きな人のカード全種類を揃えようと躍起になり、状況によっては追加購入が必要になることもあるので、物販にかかる費用も意外と馬鹿にならない。
・ライブやインスト前には少しでも好きな人に少しでも自信を持って会えるように、また自分の気分をより盛り上げるために、美容院へ行ってヘアセットをしてもらう。
上記はほんの一部で、他にもエステに通う人もいるかもしれない、ライブやインストのたびに好きなバンドマンにプレゼントを用意するかもしれない、、本当に付随する経費が多すぎる。

こうやってふと思いついたものを書き出すだけでもなんかゾッとする。わたしも上記したもの、エステ以外は全部経験済みだし、約10年のバンギャ人生でいくら使ったのかと想像するだけで冗談抜きに簡単に吐ける。。
何が言いたいかって、所謂「貢ぎ」をしている最中ってその意識が無いんだよね。本当に無意識の境地。側から見たら「貢ぎ」と言われる行為であろうが、バンギャからすると、好きな人に費やすお金に無駄なんてひとつもなくて、「貢ぎ」とは別物なのだ。
「好きだから」「楽しいから」「生き甲斐だから」という理由でお金は惜しみなく使えてしまうのである。
そしてわたしたちバンギャのそういう純粋な想いは、仕事の一環として良い様に扱われているのも事実。悲しいけれど、これぞWIN-WIN。

これは永遠の謎だけど、本当にバンギャってお金持ちが多い。それだけ普段お仕事頑張ってる人が多いのかな?ボンボンが多いのかな?バンギャ活動以外は節約生活を心掛けてるのかな?とにかくバンギャ世界は本当に圧倒されるものがある。

④ライブで開放的になれる
バンギャはライブでこそ自分らしくいられる。ヘッドバンギングをしたり、その他手扇子、ジャンプ、モッシュ等々...
ある程度周りの人のことを気にしないと大きな事故に繋がり兼ねないのでそこら辺は要注意だが(というか人様に迷惑をかけずに楽しむのが常識だけどね。稀にいるんですよね、自分が楽しむことだけを最優先にするもんだから周りの人に痛い思いや悲しい思いをさせる人も。。)基本的には自分の世界。
せっかく化粧やヘアメイク、服装で身なり可愛く整えてても、ライブが始まると同時にすぐボロボロになっちゃうんだよね。でもそれがまた良き。もはやライブ終わった後に綺麗なままだと、今日のライブは不完全燃焼だったわね、となってしまうくらい、結構重要なポイントになり得る。
わたしもヘドバンが本当に好きでね...なんなんだろうね...普通にちょっと首縦に振るだけでいいじゃない、脚でリズム刻むだけで良いじゃないって自分でも思います。思いますけどね、ヘドバンしちゃうんですよね。完全にあれは中毒性によるものだと思います。案の定首も何度かやらかしてます。そのたびにもうヘドバンはやめる!って誓うんだけど、結局その誓いも暫くすると消えて無くなって当たり前のように思い切り左右に振ってるんだよねえ。やはり中毒以外の何物でもない。
あとV系のライブだとよくライブ途中、ライブ後にバンドメンバーがピックや飲みかけのペットボトル投げるんだよね。それをねえ、必死に奪いに行くバンギャもいたりなんかしちゃったりして。(笑)わたしは一番好きな人がドラマーでドラムスティック投げることはまず無くて、それに元々そこまでそういうのに執着するタイプではないので、基本的に傍観する側だったんだけど、、もうね、超戦争なの。ピックって小さいし、それが弧を描いてステージから客席に飛んでくるわけじゃないですか。みんながそれを目で追って、自分の近くに落ちてきそうものなら全身全霊で取りに行く。そこはもう潔く早い者勝ちでいいじゃないって思うんだけど、明らかに他の人の手に渡ったものを引っ張ったり叩いたりして奪おうとする人もいるのよ。悲しいけれど、実際にこの目で見ました、結構何度も。(涙)
これも結局上記した好きな人への「執着心」なんだよね。それが悪い方向で露呈したパターンの一例。
でも、こういう点を除けば、本当にライブって素晴らしい場所だよね。ステージに立つ側としては自分の声や好きな楽器で、自分たちの作った楽曲で客席にいる人たちを楽しませられて、時に感動させられて…そしてそれが収入となる。バンギャはお金を出した分、好きな人と同じ空間にいて同じ空気を吸えて、好きな音楽に触れられて楽しめる。


と、ここまでバンギャのわたしが考える「バンギャの特異性」についていくつか述べてきたけれど。
たぶん、これバンギャだけの話じゃないよね。
アニメ好きの方は好きなアニメのコラボカフェに複数回通ったり、グッズにお金かけたり、結果貢いでるみたいになるかもしれない。
彼氏のことが大好きすぎて依存かつ執着してしまって、自分の期待通りに相手から必要とされないと悲しくなって自分の存在価値すらも感じられなくなる人もいるかもしれない。
ジムに年会費払ってジム側は儲け、自分は払った分だけ自分の世界に入って身体を鍛える、WIN-WIN。
とかね。

最近流行ってる(?)「地雷系メイク」もよくバンギャと同等に扱われてたりするけど、バンギャ=地雷ではないからな、とは強く言いたい。
バンギャはひと縄で括れるような単純な存在ではないし、はたまた普通の人となんら変わりない。
ただただ音楽を愛し、ライブという現場を大切にし、大好きな人に真っ直ぐなだけだ。

唯一バンギャ特有かなと思うのは、悲しくて暗い曲を聴くことで元気になるってところ。

これも同じV系でも「キラキラ系」と呼ばれる明るい曲を歌うバンドが流行ってた時代もあるし一概には言えないけど、わたしが知ってる限りだとV系バンドの作る曲ってマイナーキーのメロディが多かったり歌詞が暗く重くなりがちだったり〜っていうのが多いんだよね。でもバンギャはそういうのを聴いて生きる勇気や希望をもらうんだよね。少なくともわたしは、「生きようぜ!」「明るい未来!」みたいな陽の言葉より、「消えたい」「絶望」みたいな陰の言葉がより身近で、こんな辛い気持ちになるのはわたしだけじゃないんだなって励まされて、よし!もう少し踏ん張ってみるか!と明日を生きる気力が生成されるかな。


いろいろ語ったけど、バンギャの世界で生きてこられたこそ今のわたしがいるのは紛れもない事実で、誇りに思う。

だからこそ、今の情勢は悲しい。

またバンドマンにはステージから飲みかけのペットボトル飛ばして欲しいし、バンドマンが口に水含んで思い切り聖水(笑)吐き出すの見たいし(わたしは被りたいとは思わない笑)、ソーシャルディスタンスとか関係なしに痛くて怖い思いしながらもモッシュしたい。

全国のバンギャ、強く生きようね!←




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