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土曜の夜は好きですか

 土曜の夜、いかがお過ごしでしょうか。
私はさっきまで佐々木希と大政絢のインスタライブを見ながら、右手に梅酒を掲げ勝手に彼女たちと乾杯しながら、かわいい、かわいいを連呼していました。

今日はそんな楽しい土曜の夜を過ごしていますが、小さいときは土曜の夜が嫌いでした。
母親が仕事で帰ってくるのが遅かったのと、なぜか土曜の夜によく片頭痛が発症していたのが理由です。


今では連絡不精の親子ですが、小さい頃は寂しがりやだったみたいで、母親が朝仕事に行く時には泣きわめき、日中は片頭痛で何もできずにただ寝るだけで宿題はたまる。夜やっと母親が帰ってきたと思ったら、母親は疲れて遊んでくれないし、具合は引き続き悪いしで、さんざんな土曜日を過ごしていた記憶ばかりが思い出されます。

中学生になってからは土曜日に部活の練習が入り、家で過ごす時間も少なくなるにつれ寂しがり屋も次第に解消されていきました。なので、さすがに泣きわめくことはなかったのですが、強敵の片頭痛は治らず、土曜日が来るのが本当に嫌なときもあったくらいです。

今では片頭痛も収まりましたが、小さい頃の記憶を引きずっているみたいで、明日が土曜日だと考えると華金を手放しでは喜べない時もあります。
(もちろん華金は嬉しいけどね!)

土曜の夜をどこか嫌だと思ってしまうように、小さい頃になんとなーく嫌だったり怖かったものに対して、頭では克服したはずなのに、今でも体が勝手に反応してしまうことを考えると、小さい頃の習慣や環境って、努力ではどうにもならない、自分の核の部分を形作っているんだなぁと思います。

離したくても離すことのできない、逆に何か付け加えようとしてもしっくりはまらない、そんな自分の核となる部分がどんな要素で構成されているのか、とても気になります。

この状況下なので、変化しているものばかりに目が行きがちですが、変化しないもの、変化できないものに目を向けてみるのも面白いかもなぁと思いました。

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