いいから『味ぽんストロング』を飲め。
味ぽんストロングを飲め
知らずに済むなら知らない方がいい世界は確かに存在する―――しかしそれでも、おまえは何かの因果でこの記事に辿り着いた。ならば知る権利と素質がある、味ぽんストロングという世界を。
第一条:味ぽんストロングについて口にしてはならない。
第二条:味ぽんストロングについて口にしてはならない。
第三条:飲むときは一人。
第四条:一度に一杯。
第五条:シャツと靴は脱いで飲む。
第六条:時間制限は無し。
第七条:この記事で味ぽんストロングを知ったものは、必ず味ぽんストロングを飲まなければならない。
味ぽんストロングは、この現代社会を生き抜く戦士のための応急処置だ。働く社会人のための鎮痛薬である。
ライフハックなんて呼べるような決してお上品なものじゃない、ましてやナイトルーティンやヨガみたいな煌びやかで反吐が出るほど豊かなものなんかではありえない。泥臭く不健康で、あまりに生々しい。そもそも、やらなくて済むならやらない方がいい、使う機会を避けて過ごすべきだ。
しかし、実際に社会という戦場で傷を負ってしまったとき、そのときおまえを救うのはアロマやヨガ、美少女たちが戯れるKAWAIIアニメではない。大きな不条理を前に自尊心を砕かれたおまえに必要なのは――—痛みを忘れるほどの闘争心だ。そしてそれを高ぶらせるための儀式だ。
アゲハが初めて密を吸うときに得るもの。炭酸抜けたコーラを捨てるときに得るもの。寝れない4時30分に確信するもの———それが味ぽんストロングだ。
先に参考文献を紹介しておく。『味ぽんストロング』は、以下の二つの記事から着想を得た。
先人によってすでに「ポン酢(※味ぽんではない)×ストロングゼロ」と「味ぽん×お湯」が美味いことは示されている。俺も実際試し、どちらも美味かった。ならば、当然「味ぽん×ストロングゼロ」だって当然美味いはずである―――味ぽんストロングはそういう非常に高度で繊細な論理的思考力でもって生まれた。
言うまでもない注意書きだが、当然アルコールだ。未成年は飲むな。成人であっても、酒に弱いなら飲むな。
じゃあ誰が飲むべきか。酒クズである。しかし単なる酒クズだけではなく、真の酒クズ―――節度を持って酔うことのできる、真の酒クズだけ試してみてほしい。
味ぽんストロングを飲め
さっそく作り方を伝えるが、味ぽんストロングは洗練された美しいカクテルだ。作り方も非常に単純である。崇高なものは、それに比例してシンプル。勘のいい奴なら次の画像を一枚で全てがわかるだろう。
こうである。わかったか?
仮にわからなくても構わないが、その鈍さは戦場では命取りになる。努力で改善することを勧めるが―――しかし叱責はしない。叱責なんて犬の餌にもならないクソみたいなことをするぐらいなら、味ぽんストロングを飲んだ方がずっと話が早い。一回でわかる奴は賢いかもしれないが、わからないことを一回で諦める奴が賢くないことは確かだ。
俺だってたいして賢くは無い、それでも一回で教えることを辞めるほど馬鹿じゃないつもりだ。スローで再生しよう。まずはグラスと味ぽん、そしてストロングゼロを用意する。
こうだ。まずはストロングゼロをグラスに注ごう。普通に飲む量ぐらいをそそげば結構だ。
こうなる。
ドライなチューハイの無味無臭は可能性の象徴。こいつがどんなチューハイになるかは、俺たちの心ひとつというわけだ。もちろんこのまま飲んでも美味いし、甘いレモンシロップでも入れれば誰にでも愛されるレモンサワーになる。
しかしそうはならない、そうはならなかったんだよ。そこに加えられたのは味ぽんだった。
こうなる。どのぐらい味ぽんを入れればいいかについては後述するが、特に気にしなくていい。なぜ気にしなくていいか。
どうせすぐに何も考えられなくなるからだ。
味ぽんストロングを飲め
上記で十分に手順は伝わったと思うが、改めてまとめるとこうだ。
①グラスと味ぽん、ストロングゼロドライを用意する
②ストロングゼロをグラスに普通にそそぐ
③”ビールの色”から”麦茶の色”ぐらいを目指し、味ぽんをグラスに注ぐ
④出来上がり
なんてことはない。ドライチューハイに味ぽんを適量加えるだけ―――ただそれだけである。
語呂が良いので「味ぽんストロング」と呼んでいるが、酒は別にストロングゼロじゃなくてもいい。タカラ缶チューハイでもいいし99.99でもいい。炭酸水で焼酎やウォッカを割ったものでもいい。ドライチューハイであればなんでも良い。
ただし、味ぽんの方は奇を衒わずに味ぽんを使ったほうが良い。応用は基礎を固めてからでも遅くない。ここは色々なポン酢を試してきた俺を信じろ。
味ぽんストロングを飲め
さて、味ぽんをどれぐらい入れればいいかという話だ。先ほどのレシピを見たとき、おまえはこう思っただろう
「”ビールの色”から”麦茶の色”ってなんだ」
「レシピと言うにはあまりに曖昧だ」
「酒クズにも程がある」
と。参考までに俺の味ぽんストロングを再掲する。
おまえはどう思う? 濃いと思うか薄いと思うか。そもそも多い、グラスが大きいだろとか。氷があった方がいいんじゃないかとか……色々あるかもしれないが、しかし全部まったく関係無い。
おまえが濃いと思っても俺は薄める気は無い、おまえが多いと思っても俺はこのグラスで飲むし、おまえが氷を入れたがっても俺は氷を入れない。全部無視する。
これが、「俺にとって」、完璧に美味いからだ。
レシピは確かに指針にはなる―――しかし、あくまでそれだけだ。方角を示すコンパスなだけで、地図ではない。大事なのはおまえにとって美味いことで、飲んだおまえ自身が幸せになることだ。
考えてみてほしいが、誰にとっても美味く正しくわかりやすいレシピなんてものは存在しない。万人にとって正解の味ぽんストロングなんてのは都合のいい幻想だ。大さじ1とか15mlとかなんとか言おうが、そんなものは基準に過ぎない。それは「お前にとっての味ぽんストロング」じゃない。細かい分量で美味しさを規定してくるようなレシピを疑え。数値目標なんてくだらないものは捨てろ。
具体的にはどうするか。濃いと思ったらストゼロを足せ。飲め。吟味しろ。薄いと思ったら味ぽんを足せ。飲め。吟味しろ。それだけだ。飲め。吟味しろ。飲め。吟味しろ。飲め。それを繰り返せば―――いつか必ずおまえにとってジャストの味ぽんストロングがやってくる。その味ぽんストロングは紛れもなくおまえが自分の力で見つけ出した最上の味ぽんストロングだ。その色を目に焼き付けろ。その色こそが最もわかりやすく最も正確な「おまえだけのレシピ」になる。俺の場合はそれがビールか麦茶ぐらいだったというだけだ。
ここまで読んで、おまえはこう思う。
「その試行錯誤をレシピでスキップしてくれないと意味が無いだろ」
「いい塩梅のを見つけるまでにたくさん失敗するじゃないか」
「この酒クズが」
―——それは至極まっとうな疑問だ。しかし俺はその猜疑には肩透かしな、あるいは理不尽な答を返すことになる。
そう、その通りだ。俺は「レシピぐらいでお前自身のための試行錯誤をスキップできると思うな」と言っている。「成功するまで大量の失敗をしろ」と言っている。そして「酒クズですこんにちは」と言っている。
断言するが、そうやってなんでもかんでもレシピを頼っている以上、量産型の幸せは手に入っても、おまえ自身の真の幸せは訪れない。
「これは美味い!」と書かれたレシピを言われた通りに再現して、「たしかに!」「いや別に」と判断するだけの行為に一体何の楽しみがあるんだ。これは消費社会に支配された姿勢そのものであり、エサを待つ雛鳥と同じ態度だ。
そうやってレシピに沿った料理だけしていれば、そうやってYouTubeのサジェスト欄の動画だけ眺めていれば、そうやってGoogleの検索結果を上から順番に眺めていれば―――そうやってデザインされたコンテンツばかり摂取していれば―――いつまでもお前の人生はお前のものにならない。
わかるか。俺はただ単に味ぽんストロングを布教したいわけじゃない。味ぽんストロングを通して己の欲望に向き合うことを思い出せと言っているんだ。もっと自らの手で、泥臭くて血生臭くて面倒臭い、大量のいろいろなことをやらなければならない。そういうことを噛みしめながら味ぽんストロングを飲め。
味ぽんストロングを楽しみ、おまえだけの最高のレシピを見つけたとき、おまえはきっと少し泥臭い試行錯誤を楽しめるようになっている。その状態だ。その状態がスタートだ。
おまえはもう少し高等な試行錯誤だってできる。味ぽんを足したり引いたりしたみたいに、ちょっとずつ失敗を繰り返しながらもきっとできるようになる。味ぽんストロングよりは難しくてきっとすぐにはできないだろうが、いつか必ず同じようにおまえにとっての最高を見つけることができる。いつだって最高のもので自分を奮い立たせることができる。
そんなおまえは最高だ。きっと明日はなんとかなる。味ぽんストロングを飲め。
日々に疲れ果てたおまえが、いつかこんなものに頼らず過ごせる未来が来ること祈ろう。
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