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親友Aが教えてくれたこと。あきづき(梨)を見かけると、思い出すんだよ。

 もしかしたら、私を親友と思ってくれる人は一人もいないかもしれない。けれど、例え片思いだったとしても、それでも私の中で「あなたは、私の親友です」と呼べる人達がいる。高校時代からの友達だ。今日は、そのうちの1人について書きたいと思う。

共感は得られなくても、寄り添う姿勢が嬉しかった。

 私の中学時代から高校時代にかけて、いや、親元を離れるまでの約10年間は暗黒期だった。詳細については、いつか書きたいと思っているので省略させていただくが、家庭環境は地獄そのもので、私は優等生を演じながら、心の中ではいつか世界を破滅させてやる・・・などと考えていた。今思えば、とても恐ろしいことばかり想像していたと思うし、よくここまで立ち直ったものだと自分自身に感心してしまう。

 私が立ち直るきっかけとなったのが、高校2年生の時に出会った親友Aの存在だ。彼女は読書が大好きで、将来は司書になるという夢を持ち、とても前向きに生きている人だった。母子家庭、長女、妹と弟の面倒もしっかり見ていた。確固たる信念を持ち、言いたいこと(悪いことは悪い、良いことは良いなど)ははっきり伝えることができる人だった。私はと言えば、家庭の苦しさを隠すために、とにかく明るく振舞い、全てを見透かされることを恐れ、とにかく人を笑わせることに必死になっていた。皆が笑ってくれることだけが、私の当時の人生の中で、唯一の救いだった。

 ある時、私は父親に殺されそうになった話を打ち明けた。

 私は母親から、家庭の恥は人にさらさないこと、どんな些細なことでも悩み事は相談しないことを美徳として教えられてきた。だから、当時の私にはすがるところが無かった。信頼していた兄は家を出ていたために心配を掛けたくなかったし、家庭は地獄のような環境だったからだ。

 心が、疲れ切ってしまっていた。もう、このままでは世界を破滅させる前に、自分が破滅しかねないと思った。苦し過ぎた。

 掃除の時間だったと思う。2人きりで屋上からの階段を掃除しているとき、限界を超えた私は昨夜の惨劇を伝えた。彼女は一点を見つめたまま、黙って聴いていた。そして、私の話が終わるのを待つと「父親がいないことを辛いと思ったことはあったけど、父親がいても辛いこともあるんだね・・・本当に辛いことだったよね。」

 私は泣きそうになるのを必死に堪えながら、「話を聞いてもらえたから、大丈夫になった!」などとおどけて見せたと思う。その時初めて、悩み事を相談すると心が救われるんだと知った。黙って聴いてくれた彼女に感謝だったし、何よりも気持ちに寄り添おうとしてくれたことに感謝だった。彼女の対応は、彼女が抱えてきた辛い経験からくるものだったと思うが、人の厚みみたいなものを感じた。

悲劇のヒロインからの脱却は、未来を切り開く。

 後日、彼女は自分の父親について話を聴かせてくれた。詳細についてはプライバシーにも関係してくるので省略するが、幼少期に死別していた。

 当時の私は、自分の家庭環境を呪っていたし、自分自身をどこか悲劇のヒロインのように感じていた。いつか誰かが助けてくれるという考えはないものの、世界を破滅させてやるという恐ろしい野望を抱きながら、しかしそれを悟られないように、毎日明るく笑いを取って生きていた。

 でも、それは違うと分かった。自分が辛いからあなた達もその辛さを分かれとか、あなた達は幸せで良いねとか、皆消えてしまえばいいのにとか、そんな黒い思いを腹の底で抱えているのは間違えていたんだと親友Aが気づかせてくれた。

 人は皆、何かしら苦しみを背負って生きている。けれど、それが苦しいから、辛いから自分は不幸なんだと悲劇のヒロインを気取ったところで、道は開けない。人を恨んでどうなる?人を苦しめてどうなる?そんな自分を好きになれるか?

 悲劇のヒロインには、いつだってなれる。ちょっとだけその役に浸ってしまっても良いと思う。けれど、そこから人を恨んだり苦しめようとしたりして、自分の心を痛めつけることだけは止めた方が良い。悲劇のヒロインの役をちょっとだけ味わったら、今度はそこからどう未来を切り開いていこうかと試行錯誤してみる。すると、不思議なことに人生が面白くなっていく。生きるって楽しいと感じられるようになってくる。司書を目指していた彼女から、私はそんなことを教わった。

あきづきの季節ですね、お元気ですか?

 親友の定義って何だろう?と、思ったことがあった。いつも一緒にいる友達・・・いや、違う。

 自分の人生において苦しい時代(厳しい時代)を共に生き抜き、互いに良い人生観をもたらし、どんなに距離(場所、時間など)が生まれても、いつでもお互いを思いあい、再会した時には一瞬でまたあの時代に帰れる友達・・・そんな存在なのではないかと思っている。

 彼女は今、梨農園に嫁ぎながら司書も続けている。叔母達を見てきたので何となく感じていたことだが、農家の長男の嫁は本当に大変そうだった。それなのに、それを「楽しい」と言って、司書の仕事と両立している彼女は本当に素晴らしい人物だ。尊敬の念しかない。

 今日、近所の八百屋であきづきという品種の梨を見かけ、彼女をすぐに思い出し、とても懐かしい気持ちになった。果物を食さない夫も、梨だけは大好物なので即買いした。あきづきは彼女が一押ししている品種で、私達家族が大阪にいた時代、手土産に持って来てくれたものだった。重いし荷物にもなるだろうに、贈答用の立派なあきづきをひと箱も持って来てくれた彼女。笑えるくらい嬉しかった。

 彼女から、先日の豪雨災害の時に連絡をもらった。心配してくれた唯一の友達だ。

 なんか、上手く言えないのだけれど。ちょっと照れる部分もあるのだけれど、今日は親友AにLINEしてみようと思う。「あきづきを見かけて買ったよ~」って、何ともない感じで。どんな返信が来るかなぁ?楽しみだ。

 私の人生を救ってくれた彼女は、私がこの世を去っても、ずっとずっと私の親友です。

もしもあなたの琴線に触れることがあれば、ぜひサポートをお願いいたします(*^^*)将来の夢への資金として、大切に使わせていただきます。