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ズッ友 第七話

第七話

 バンバンッと縁側の板を叩く音がして、私は驚いた。竜晴も目を丸くして、縁側がある方の障子を見つめた。どちらともなく障子に近付き、その前で様子を窺う。すると、またもやバンバンッと縁側の板を叩く音がした。さっきより、やや強い。真波を見ると、突如音がした事に驚いたのか、肩が上がり身体を硬直させている。
 今度は竜晴を見る。しっかりと頷いた。それを合図に私と竜晴は左右それぞれの障子に手を添えると、一気に開け放った。
「何を休んでいるんだ、お前達!」
 ガラス越しに住職が怒鳴りつけてきた。その迫力でガラスがビリビリと震えている。
「驚かさないで下さいよ、住職。てっきり真昼間から幽霊かと思ったじゃないですか」
 真波は住職を見て安心したようだ。竜晴がガラス戸を開けて、縁側に出た。
「親父、お客が来てるんだから怒鳴るなよ」
 と、親指を立て振り返る事なく後方にいる真波をクィックィッと指す。真波は慌てて立ち上がり、住職に頭を下げた。住職は別段驚いた様子もなく真波を見ると、
「これは失礼な事をした。もうお話は済んだのかね」
 と、言った。私は慌てて住職に駆け寄る。
「はい。あまり引き止めてしまっては可哀想ですね。私が真波さんを駅まで送って行きましょう」
 「じゃあ、俺はここで」と言い、竜晴は真波にぺこりと頭を下げた。真波と玄関を出て、駅まで続く坂道を下る。真夏の日差しが頭皮に直で当たり、早くも汗が滲み出た。蝉の声も夏の暑さを引き立てるが如く、先程より一段と盛大に鳴いている。真波は何も喋らないままだ。五分程で駅に到着した。駅まで着くと、ようやく真波が口を開いた。
「……結局、晴美は事故死だったんでしょうか?それとも、殺された?」
 私は直ぐには答えず、少し思案した。
「そうですね。まだ、はっきりとした事は言えないのですが、私達も他殺だと考えているんです。ここで提案なのですが、是非、ご友人の佳世さん、悟さん、圭佑さんにもお話しを窺いたいのですが、それは可能でしょうか?」
「はい、大丈夫だと思います。悟もお葬式では取り乱していたけど、今はだいぶ落ち着きましたから」
「それは良かった。では後日、竜晴と共に伺わせて頂きますね」
 そう言って、真波と別れた。眼福時に戻る為に、今度はこの急な坂道を登らなければいけない。かいた汗が頬を伝う。先程のやり取りを思い出し、さながら、取り調べのようだと自嘲する。私は成宮晴美の真相に近付く為の足掛かりができた事に、ほくそ笑んだ。


 鍋の中のそうめんを箸で泳がせる。タイマーがなり、お湯がたっぷり入った鍋を持ち上げ、ザルにそうめんを流し、水で滑りを取った。三枚の皿にそうめんを均等に分ける。おにぎりも握ったし、天ぷらも美味しそうな黄金色の衣を纏っている。上出来だ。
 住職の襖の前まで行き、膝をつく。
「夕飯、出来上がりましたよ」
 襖の奥から、「今、行くよ」と返事がきた。今度は竜晴の襖の前まで行く。
「竜晴、夕飯ですよ」
 すると、「直ぐ行く」と返事があった。この親子は私が居なかった時、ご飯をどうしていたのだろう。一緒に食べることはあったのだろうか。
 華丸さんの話によると、奥様の幸恵さんが亡くなったのは竜晴が幼い頃で、その後は住職が一人で育ててきたらしい。住職とは十一歳も年が離れている年の差婚だ。幸恵さんの遺影を見てよく思うのだが、あの強面な住職が、よくこんな美人で可愛らしい女性と結ばれたなと、住職本人を前にして言えない事を思う。
 竜晴は明らかに、母親似だろう。しかも、幸恵さんは霊が見える質だったらしく、そこも遺伝したのかもしれない。幽霊が見える分、苦労したとも聞いている。夜中にうなされる事もしばしばあったらしい。以前、亡くなった理由を華丸さんに聞いた事があるが、口を閉ざしてしまった。しかし、それは幽霊が関係していると肯定しているようなものだ。
 私が眼福寺に勤める事が決まってから、度々住職に言われる事がある。「竜晴を頼むぞ」と。住職は住職なりに、息子である竜晴の身を案じているのだ。それは、母親の遺伝による、息子の霊が見えてしまうという特異な体質のせいもあるだろう。それに加えて、年齢の近い私をお目付け役にしている節もある。何にせよ、不器用な人だと思わざるを得ない。
 こうして鹿島家の家事をする事で、私は居候させてもらっている。鹿島家は眼福寺から階段を下って、直ぐの所にある。大変古く趣のある日本家屋で、住職と竜晴の部屋を除いて、後部屋が四つある。その内の一部屋は奥様である幸恵さんの部屋で、まだ生前通り片付ける事なく残しているらしい。私は竜晴がたまに、幸恵さんの部屋を掃除しているのを見た。

 居間にいくと、親父がもう既に座っていて新聞の夕刊を読んでいた。テーブルの上には、そうめん、天ぷら、おにぎりが並んでいる。台所で最後の仕上げと言わんばかりに、紫蘇を刻んでいる真島の後ろ姿に、「真島、上出来だ!」と心の中で褒めた。
 真島が居候になってから三ヶ月位経つが、まだ他人に飯を用意してもらうのに慣れない。何だかこそばゆいのだ。だが、腹は正直だ。抑え切れない食欲には勝てず、「頂きます!」と手を合わせてから、まずは茄子の天ぷらに箸を伸ばす。上手い。次はどれにしようかな、と箸を彷徨わせた。すかさず、親父が怒鳴ってきた。
「迷い箸をするな、行儀が悪い!」
「へぃへぃ、新聞読みながら、よく見えることで」
「迷い箸する位、料理が美味しそうに見えたなら光栄です」
 と、言いながら真島は小皿にたんまりと刻んだ紫蘇を持ってきて、席についた。親父も真島も「頂きます」と手を合わせてから、食べ始めた。


 天ぷらが乗っていた皿には、油が染みた紙と衣のカスが散らばっていた。最後のそうめんを啜ったら、ちゃっちゃと部屋に戻ろうと思っていたのに、静寂の夕飯タイムを打ち破ったのは、真島だった。
「そういえば、真波さんについて一つ思う事があります」
 急にその話題が出てきて、拍子を抜かれた。
「どうしたの?急に」
「真波さんって、結構鈍感だと思うんです」
 俺も察しが付いて、そうめんを啜りながら頷いた。
「確かに!確かに!嫌よ嫌よも好きのうちってね」
「何の話だ?」
 すかさず、親父がこの話題に飛び込んでくる。
「いえ、成宮晴美さんのご友人である辻本真波さんが、晴美さんは事故死ではなく、殺されたとおっしゃるんです。しかも、その犯人が自分の担任である田辺先生だと言うんですよ」
 ニコニコ楽しそうに喋る真島を見て、コイツ性格悪いなと思った。親父はふむふむと聞いている。
「でも、田辺先生はその日入院中の母親のお見舞いに行っており、アリバイが成立している。完全なる白な訳です」
「それなのに、真波という少女は担任を黒だと思っているのか」
 親父は不思議そうに、眉間に皺を寄せた。
「彼女曰く、田辺先生は晴美さんを特別扱いしていたらしく、田辺先生が一方的に晴美さんに好意を寄せていた。しかし、拒まれたから、それが犯行の動機なのではないかということです」
「でも、実際に海にいなかった訳だし、聞く分には俺たちからしたら、正当な特別扱いだった訳で……要は真波は田辺が好きで、自分では好きって事に気付いてないけど、そういう目で見ているから晴美が特別扱いされていると思ったって事だろ?ただの嫉妬じゃん!」
「恋愛経験の少ない竜晴でも分かるくらい、真波さんは恋する乙女でしたね」
「うっさいな、寧ろ田辺より真波の方が動機も犯行のチャンスもある訳で」
 そこまで言った所で親父が俺の言葉を遮った。
「深入りはやめろ」
 それだけ言うと、部屋に戻ってしまった。俺もこれ以上、深入りするつもりは毛頭ない。「私もそろそろ風呂を沸かしてきますね」と真島は立ち上がり、居間を出た。その時、何かを思い出したかのようにひょっこり顔を出した。
「明後日、島波高校に行きますよ。佳世さん、悟さん、圭佑さんにも聞き込み調査です。予定、空けておいて下さいね」
 それだけ言うと、そそくさと風呂場に向かってしまった。俺は、「はぁ!?なんだよ、それ!」と遠ざかる真島の背中に訴えるしかなかった。



 その日の深夜、寝苦しさで目を覚ました。視界に入る時計の針は二時四十分を指していた。身体はベッタリと汗ばんでいる。嫌な夢でも見た気がする。しかし、夢の内容までは思い出せないなかった。

ビタッ……
襖の外から音が聞こえる。

襖を開けないほうがいい。
そう分かっていたのに、身体は襖に手を掛けていた。
開けるな!
その思いは虚しく、襖は自分の手によって、ゆっくりと開かれた。

成宮晴美がそこにはいた。
二階の階段を上がり、迷う事なく、俺の部屋へ向かっている。
水を滴らせ、顔はパンパンに腫れ上がった姿で。
ビタッ
ビタッ

一歩ずつ、俺の部屋に近付いてくる。
ビタッ……ビタッ
指からは血が流れている。
切られた小指からか。
……ビタッ
俺の目の前で成宮晴美は止まった。
顔に手を伸ばしてくる。
来るな!来ないでくれ!!

成宮晴美の顔が目の前にあった。
今度は聞き取れる。


「 う そ つ き 」



 スマホのアラームが鳴っている。瞼をゆっくり開けると、窓からは朝日が差し込んでいた。そのまま暫く動けないでいた。身体はベッタリと汗ばんでいる。嫌な夢でも見た気がする。夢の中で夢を見ていたような変な感覚だ。顔に伝う汗を手の甲で拭う。
「?」
 赤かった。もう一度、拭う。
手の甲が真っ赤だ。テラテラと光っている。
俺は洗面所まで走った。
鏡に映る顔は、血で真っ赤だった。成宮晴美の血で。

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