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「浅草ルンタッタ」を、最前列で読む。

王様は  ルンタッタ  ルンタッタ
いつも  ルンタッタ  ルンタッタ  タッタラー  ハイ!

生きていると、時々、自分の力だけではどうにもならないことにぶち当たる。

その度に、悔しくなったり、寂しくなったり、不安になったり。
時には人知れず涙を流す日だってある。
「ああ、今回ばかりはもうダメだ。もう頑張れない……」
そう思っていたはずなのに、思い返せば、その度にどうにかこうにか立ち上がってきた。

頑張れないときこそ、楽しかった、幸せだった、そんな"記憶"が蘇る。
負の感情をふわっと包み込んでくれる、思い出やリズムがある。

大好きなアーティストの公演で聴いた、あの一フレーズ。
満員の野球場で初めて浴びた、大歓声。
舞台の真ん中にひとり佇む俳優の、第一声。
  
眩しいその記憶たちが、楽しかった思い出が、ピンチの私の背中をいつも支えてくれる。


劇団ひとりさんの小説『浅草ルンタッタ』。
この物語に登場する孤児・お雪の姿が、眩しい記憶たちに重なって、きらきら光る。
 
物語の舞台は、明治・大正時代の「浅草」。
行き場をなくした女性たちが集う置屋「燕屋」の前に、雪の日にそっと捨てられていた一人の赤子。かつて自分の子どもを亡くした経験のある遊女の千代が、その赤子・お雪の母となり、ほかの遊女たちからも少しずつ受け入れられ、成長してゆく。
そんなお雪の1番の楽しみは、浅草六区にある老舗の芝居小屋・風見座で芝居を観ること。「燕屋」の世話役である信夫と共に劇場で観る浅草オペラに魅了されたお雪は、毎晩のように、そのオペラを見よう見まねで歌って踊り、燕屋の皆に披露する。それを観ながら晩酌をするのが、恒例になった。
そんなささやかな幸せがずっと続くと思っていた。
ある男が現れるまでは。


まるで浅草で上演されているひとつの舞台を切り取っているかのように、リズミカルに紡がれた疾走感のある物語。
あれよあれよという間に、レトロな世界観に引き込まれてゆく。

遊郭にいれば間違いなく花魁になっていただろうと言われる鈴江の姿は特に、文字から映像が浮かび上がってくる。
目を瞑れば、その澄んだ歌声と艶やかな姿に吸い込まれていくような、そんな感覚。

この物語に出てくる女性たちは、しなやかで、とても強い。
過酷な運命、抗えない境遇の中でも、目の前のことを丁寧に感じ取り、相手に伝え、精一杯生きていく。
それは何より、自分以外の"誰か"のために動いているからこそなのかもしれない。


大好きな人たちと離ればなれになり、長い間、風見座の屋根裏に身を潜めるしかなかったお雪の目に映った舞台は、どんなものだっただろう。
それはきっと、華やかで、どこかもの寂しく、皆と過ごしたささやかな幸せを思い出させるもの。
未来が見えない真っ暗な暗闇にさす、一筋の光のような存在だったのではないだろうか。

音が時を刻む。
舞台上の書割に描かれた水車が回り、田んぼが実る。
山里の風景が紅く染まり、次に雪が降る。
ピアノの転調に合わせて雪が溶け、春が始まる。
書割の山里に花が咲き、舞台上を蝶が舞う。
お雪のピアノに合わせて舞台上で季節が過ぎていく。
劇場の天井の澄み切った青空から光が降り注ぐ。
音が光になり、光が歌になる。

イメージはどんどんと膨らみ、やがて客席には楽しそうな燕屋の皆が現れ、舞台の両脇から出てきた千代と鈴江は、お雪に合わせて歌うのだ。

そのひとときの幻は、楽しくて幸せな記憶だけではなく、いつか叶えたい未来、そして生きる希望そのものだったはず。


あれは、新型コロナウイルスが流行し始めたばかりの頃。
準備していた企画やイベント、仲間たちが関わる公演が、立て続けに中止になったことがあった。
物語を読み進めながら、あの日々のことを思い出した。

「エンタテインメントは不要不急だ」

ネットやテレビ、SNS、実際に声に出して言われることも多かった。

確かにそうだ。今すぐやるべきことではない。
そうなのだろう。
だから、仕方がない。

頭ではそう理解していても、私はなかなか立ち直れなかった。
あの時の私は、きっと、屋根裏のお雪のように過ごしていた。
何のためになるのかわからないことを、どうしてしているのか。何のために、私はいるのか。
ふと考えてしまう一方で、映画や舞台、公演を観ている時だけは、驚くほど心が晴れやかになった。

客席に燕屋のみんなが集まっている様子を想像し、いつかこんな日が来たらなぁ、きっと来るはずだから、とお雪が思っていたように。
私も、目を瞑りながら満員のお客さんで埋め尽くされる会場を想像した。
そうだ、私はこんな気持ちを大勢の人に届けたいと思ってここに来たんだ。
こんな時だからこそ、生きる希望になるようなものを届けたい、そのために働いてきたんじゃないか、と。

王様は  ルンタッタ  ルンタッタ
いつも  ルンタッタ  ルンタッタ  タッタラー  ハイ!

そう、まるで浅草オペラのように。
楽しかった想い出のリズムや匂いが、私を明るいところへ引き戻してくれた。



人生は、「こうなって欲しい」と思う方にはなかなか進まないものだ。

この物語も同じ。

笑って、泣いて、歯を食いしばって、それでも立ち上がって、生きていかなければならない。

私たちは、幸せになるために生まれてきた。
国、環境、性別、性格、考え方、一人一人違うことで、平等でないと感じることがあったとしても。
私たちは、自分たちで幸せを勝ち取る権利がある。そして、それは義務でもあるんじゃないかと、最近思う。

懸命に頑張る人の背中を押せるような人になりたい。
かつて色々な人や記憶が私を支えてくれたのと同じように。

エンタメの端っこで働く者として、大勢の人の心を救えるモノを届ける人で在りたい。
どんなにどん底にいる時であっても、ふと思い出した瞬間だけは笑顔になれるような、這い上がるきっかけになれるような、そんなモノを創りたい。

つらい時、悲しい時、ただそれを嘆いてぶつけて、殻に閉じこもるのは簡単だ。

そんな時こそ、幸せの1フレーズを。
心弾むような旋律を。
もう一度体験したいと思うような瞬間を。
未来の希望を、心に描きたい。

それが、もう一度立ち上がって前に進むための、第一歩になるはずだから。


さぁー、みなさんご一緒に!
王様は  ルンタッタ  ルンタッタ
いつも  ルンタッタ  ルンタッタ  タッタラー  ハイ!

238頁を読み終え、パタンと本を閉じた時、
浅草オペラのスター女優・お雪が、
舞い上がる紙吹雪とライトに照らされながら
最前列に座る私に向かって、にっこりと微笑んでいた。


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