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スコープ その向こう

 覗いたスコープの先、一羽の蝶が留まっていた。吹く風に撫でられて、くすぐったそうに身をよじる、その青青とした草むらの中、ポツン、と、誰かにそこへ置いていかれたのか、周りの草に撫でられる丸っこくもザラついた石の上、そこに留まっていた。
 まさしく優雅に、そう、それは何かの楽器の様、あるいは、貴婦人がゆったりと扇ぐかの如く、ぷーわ、ぷーわ、と翅を上下させるのだ。
 ああ。吹く風を感じる。陽の暖かさを感じる。この土の匂いも、この緑の匂いも、あの緑の匂いも、あの空の碧さも。
 この空の碧さも。
 そのまま、ただそのまま、私はジッ、と動かず、そこで、その場所でスコープを覗いた。覗き続けていた、が、やがて、閉じていたもう片方の目蓋をゆっくりと、少しずつ、少しずつ、開いてゆく。円く切り取られていた世界の周りに、切り取られ円く孔の空いた世界がゆっくりと、いつか見ただろう日の出の様にジンワリと、広がっていく。
 しばらくその様を見ていたが、私は、その二つの世界の最後の隔たりである黒い輪をソッと、取り外した。
 世界が、繋がった―
 そこで目が覚めた。どうやら、何時の間にか眠っていたようだ。この状況でよく眠れるな、と、自分でも思う。もしかしたら、気を失ったのかもしれない。ここでの極限状態で、私の張り詰め過ぎていた神経はいよいよ耐えきれず、ブラックアウトしたのだろうか。
 これは、ここは、夢の続き、ではないな。ということは、幸か不幸か、私はまだ生きているということらしい。
 握る手に、腕に、力を込め、またスコープを覗く。あの風景は、無い。
 ここでは、こちら側では、輪の外でも内でも、轟音と、破片と、痛みと苦しみと、そして死をも撒き散らす悍ましく忌々しい風が、そう、叫び声を上げながら彼方此方で産まれては消えている。
 お前達の叫び声も聴かせろ、悲鳴を上げるんだ、もっと、もっと。一緒に、叫び声を、この世界いっぱいに轟かせるんだ、そう言わんばかりに。
 巻き起こる風に押し出された土埃は、そのことに驚いたかの様に膨れ、舞い上がる。何時の間にやら、草木はすでに何処かへ行ってしまったのか、青いものは見当たらない。
 ふっ、と、何か気配を感じたその方へと構え、覗いたスコープの先、煙だらけの世界、蠢く不気味な塊の中、一瞬、花が見えたような気がした。
 蝶は何処だ―

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眠れない夜に

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