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おかえりなさい、ということ

先日、久しぶりに靴を買いに行った。靴の裏を見ると構造が見え隠れしていたからだ。全体的にも、仕事帰りのサラリーマンのようにくたびれている。これでは靴と呼べない。臭わないのが奇跡だった。

御察しの通り、これだけ長く靴を履く人間が靴に対してこだわりなんぞあるはずがない。流行だの、本革だの、ブランドだの、どうだっていい。
選ぶポイントは一つ。心に響くかどうか、だ。中途半端な知識がないからこそ、人間の本質を突いたシンプルな決断ができる。僕の強みだ。自称おしゃれ好きには是非とも見習ってもらいたい。

そんなんだから近くてそれなりの靴屋さんならどこでも構わない。というわけで、近場の大型ショッピングモールで買うことにした。

さあいざ店内へ。靴なんてどうせ汚くなる。履ければ大差はない。ささっと選んでしまおう。そう意気込んでいたのだが、棚にズラーっと並ぶ靴はどれも素敵で、どれも心に響いてしまう。何が強みだバカヤロウ。もはや自分の本当の気持ちがわからなくなっていた。

そこへ声が。
「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」

出た。店員だ。いちいち顔を見なくてもわかる。もうちょっと待って欲しかった。僕は店員との会話が苦手な側の人間なのだ。心の準備が必要なのだ。

しかし声をかけられてしまった以上無視はできない。腕を組み、悩んでる風を醸し出して、店員の方を見た。



かわいい。



これは困った。靴への知識は無いし、迷ってる商品も無いし、可愛い人には緊張してしまうし。どうする。でも、それっぽい会話をするしかない。

鮮やかに並ぶ靴とは対照的に、色味の無い会話を続けた。2、3足試し履きをしては、
「これ履きやすいですね〜」
とか、
「んーちょっとサイズ感が・・」
と常套句で場をごまかす。砂漠地帯のような乾ききった空気が2人を気まずく包み込む。

こんなことをしてるから結局即決できず、
「ちょっといろいろ見て考えます」
と逃げ台詞を置き土産に、もう一つの靴屋へ行くことにした。


しかしこちらの店では心に響く靴がなかった。やっぱりさっきのあの靴屋だ。あの乾燥地帯で買うしかない。思い返せば、本当に心に響いたものがあったような気がしないでもない。ちょっとだけ勢いをつけて、先ほどの靴屋へ。

戻ってくると、先ほどの店員さんの姿が見当たらない。半分ホッとした。落ち着いて靴を選べる。もう半分は残念な気持ちだ。かわいい人には何度でも会いたい。相反する気持ちを抱えながら、靴を眺めていた。

するとその時である。



「おかえりなさい」



先ほどの店員さんだ。聞こえただろうか。今はっきりと、
「おかえりなさい」
と言われた。

おかえりなさい。あなたはこの言葉を聞いて何を連想するだろうか。

親・・・兄弟・・・妻・・・

つまり、家族である。
おかえりなさい、は家族間同士で成立する言葉だ。

今、店員さんは、いや、彼女は、間違いなく「おかえりなさい」と言った。


おかえりなさい、ということ。
それは、家族であるということだ。



仕事から帰り重たいドアを開くと、玄関の奥から聞き慣れた声が聞こえる。
「おかえりなさい」
なんだか、あの時よりも暖かい気がする。



みたいな素敵な展開になるわけもなく、その店で靴を買って店を出て家に帰っただけです。

ついこないだふと店の前を通ったけど、あの時の店員さんの姿は見えませんでした。残念。




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