二時の虹と口笛

授業の課題だったもの。
三題噺「口笛」「チョコレート」「虹」を使ってストーリーを作ろう、というテーマ。

「ねぇ知ってる?願いが叶う虹の話」

 いつもの帰り道。いつもの噂話。噂好きのチヨちゃんはこうして、帰り道に色々なお話をしてくれます。いつもなら聞き流す眉唾物の噂話ですが、今日のお話はなんだか気になってしまいました。

「虹にお願いをするの?」

 私が聞き返すのは珍しいものですから、チヨちゃんの目がキラッと輝いて、ズズいっと近づいてきます。

「それがね、ただの虹じゃないの!なんでも、二時に口笛を吹くと虹が出て、願いを叶えてくれるんだって!」

「二時に、虹?」

 なんだ、ダジャレですか。やっぱりいつもの与太話ですね。

 私の顔から興味がなくなったのを察知してか、チヨちゃんが更に顔を近づけてきます。

「二時と言っても、深夜の二時なの!」

「そんな時間に虹が出るわけがないでしょう」

「そこが気になるところでしょ!ナギちゃん、深夜の二時といえば何が思い浮かぶ?」

「……丑三つ時?」

 言ってからしまったと思いました。待ってましたとばかりに、チヨちゃんの顔がパアッと明るくなります。

「そう!深夜の二時といえば丑三つ時。そんな時間に口笛を吹けば、虹くらい出てもおかしくないでしょ!!」

「それで、願いを叶えてくれると?」

「そう!面白いでしょ?」

「…………」

 そんなもの、信じる方がどうにかしています。ですが、この根も葉もない噂話はチヨちゃんと別れてからも私の頭から離れなかったのでした。


 その日の夜。喉の乾きで目が覚めました。時計を見ると午前一時五十二分。

『二時に口笛を吹くと虹が出て、願いを叶えてくれるんだって』

 チヨちゃんの言っていた噂話が頭をよぎります。あんな噂、信じる方がどうにかしています。そうわかっていてもどうしてか、頭から離れないのでした。

 とりあえず飲み物を飲みに台所へ行きましょう。

 深夜の台所はしんと静まりかえっていて、自分の家だというのにどこか不気味でした。父はまだ帰ってきていないようです。ラップをかけた夕食がダイニングの上に残っていました。

 冷蔵庫から麦茶を取り出して飲みます。少なくなってきたので作らなければ。

 喉の乾きを十分に満たしたら、小腹が減っていることに気がつきました。冷蔵庫を見ると、ひとつのものが目に入りました。季節限定の桃味の板チョコです。楽しみに取っておいたのです。ちょっとだけ食べましょうか、チョコを手に取ったとき、壁にかけてある時計がカチリとなりました。普段なら気にならないであろう小さな音が、静まりかえった台所に鳴り響いたような気がしました。反射的に音のしたほうを見ます。

 時計はちょうど短針が2を、長針が12をさしたところ、つまり深夜二時になったことを示していました。

 あの噂が頭をよぎります。

 一度だけ。そう、一度だけです。どうせ嘘に決まっているのです。こんなに気になるのなら、なにも起こらないことを証明すればいいのです。

 ゴクリ、生唾を飲み込むと、恐る恐る、

「♪ピィー」

と、口笛を吹きました。緊張からか想像より上ずった音が静寂に飲み込まれていきました。

 ……ほらね、なにも起こりません。やっぱり噂は噂なのです。満足したので、部屋へ戻りましょう。早く寝ないと、明日も学校です。

 台所の電気を消して部屋へ向かう道すがら、もういちど口笛を吹いてみます。

「♪ピーピーピー」

 気が大きくなって、メロディーを奏でました。そのときです。

 気がつくと真っ暗だった部屋に目映いばかりの光が溢れていました。

「?!」

 状況が飲み込めないばかりか、光に目が眩んで前も見えません。

「これはこれは、かわいらしい御方ですなぁ」

 しわがれた声がしました。

 こういう場合、強盗や暴漢を疑うべきなのでしょうが、なぜか私の心に恐怖心はありませんでした。

 目が光に慣れてきたのであたりを見回すと、光の正体はひとつの小さな虹でした。ダイニングの上に小さな虹がかかっていたのです。声の主はその虹の弓の下にいました。

「へび……??」

 赤い目をした真っ白な蛇がこれまた赤い舌をチロチロとさせていました。

「ああ、そこらの蛇と一緒にしないでおくれ。コホン、私は黄泉の女王イザナミノミコトの使いで、由緒ある白蛇である」

 目の前の蛇が胸を張りました。蛇に胸はないですが、そう見えたのです。

 急におこった色々な出来事に正直頭がついていきません。呆然と立ち尽くしていると、

「して、うら若き乙女よ、何か叶えてほしい願いでもあるのかな?」

赤い目が細められる。

 願い。ゴクリとのどがなります。正直、イザナミノミコトと願いを叶えることに何の因果関係があるのかわからない。

「私の願いは――」

 噂を聞いたときから胸に秘めていた願い、それを恐る恐る口にする。

「左様ですか。ふむ、その願い我が主なら叶えてくれるでしょう。ではこちらへ」

蛇がそう言うと、虹が部屋を包み込むほどに大きくなった。その中心に暗い空間が広がっている。そこへ蛇が進んでいきます。ついて来いということでしょうか。手に持っていたチョコレートをポケットにしまい、虹の中へ一歩を踏み出しました。

 足を踏み入れた先は真っ暗な空間洞窟のようでした。空気が冷たくジメジメとしていて、居心地のいいものではありません。

「さあさ、こちらですよ」

 地面を這う蛇に案内されしばらく歩くと、広い空間にでました。天井も高く、今までの場所よりは明るく少し安心しました。なにせ、天井の低い道をぐるぐると進んできたものですから。

「イザナミ様、わたくしです」

「おお、お前か。よく帰ったね」

 蛇が高らかに声を上げると、凛とした、しかしそれでいてどこか恐ろしい響きの女性の声が返ってきました。蛇について、声の主のもとへ行く。

 元は美しかったのだろうと思われる、しかし現在は恐ろしい見た目をした女性がそこにいました。服の下にじっとりと汗をかきました。恐らくこの女性がイザナミ本人でしょう。古事記の内容を覚えていて心の準備をしていてよかった。知らなかったら発狂していたかもしれません。

「私はこの黄泉を統べる者、イザナミノミコトである。さて、客人よ、どうぞこちらへ」

 黄泉。やはりここはその場所でしたか。依然としてイザナミと願いを叶えるということの繋がりは分かりませんが、ここが黄泉だというのなら、私の願いは叶いそうです。

 イザナミが示した先には、いつの間にか立派な食事が用意された卓がありました。

 なるほど、そういう魂胆ですか。勧められるままに席へつきます。高座にいるイザナミと向かい合う形です。蛇はイザナミの傍らでトグロを巻いています。

「ささ、召し上がってくださいな」

 蛇が、いささか無理やり料理をすすめてきました。

 あの世の食べ物を食べたら、現世に戻れなくなる。有名な言い伝えです。そういえば、夜中に口笛を吹くと蛇が出る、なんんて迷信もありましたね。どんな理由でかは知りませんが、願いを叶えるという口実で連れてきた人間に黄泉の食べ物を食べさせて、帰れなくすることが目的のようです。

「いえ、お食事はいただけません。それよりも、私の願いを聞いていただけるという話でしたが」

 こちらへきて初めて声を出しました。緊張で喉がからからに乾いています。目の前の飲み物を煽ってしまいたいですが、ぐっとこらえます。

「ほほ、そうかそうか。ではそなたの願いを申してみるがよい」

「私は……。私は、亡くなった母に会いたいです」

 母は私が生まれてすぐに亡くなりました。そのため、私は母の顔を写真でしか知りません。母に会いたい、それは幼い頃からの願いでした。それが叶うかもしれないのです。怯んでいる場合ではありません。

 いつの間にか周りにはたくさんの気配がありました。恐らく、女王の意に背く私をどうにかしようと思っての事でしょう。

 汗ばんだ手を握りしめ、来た道を確認します。走れば逃げ切れるでしょうか。でも、母に会いたい、その思いも捨てられません。

「よもや、見返りなしで願いを叶えられると思っているわけではあるまい?」

「……」

「その食事に手をつけるがよい、話はそれからじゃ」

「それは出来ません。母に会うために私も帰れなくなっては、父が悲しみます」

 イザナミが驚きの表情を浮かべました。そして、ひとつ息を落とすと低い声で告げました。

「知恵の回る小娘じゃ、かかれ」

 その声に反応して、多くの化け物たちが現れ、私めがけて迫ってきました。

 やはり、ただでは帰してくれないようです。母に会いたいという思いは一旦胸にしまい、今は無事に帰ることを考えないと。でも、元来た道を戻れたとして、帰れるのでしょうか。

 考えている間にも化け物は近づいてきます。いつの間にか、イザナミと白蛇の姿はどこにもありませんでした。

 とりあえず、この広間に入ってきた道を走ります。しかし、道はぐねぐねと複雑ですぐに迷ってしまいました。幸いなことに化け物には追い付かれていませんが、時間の問題でしょう。

 岩壁にたくさんの扉が立ち並ぶ通りに出ました。こんな道、来た時には通っていません。引き返そうとしたとき、声がしました。

「迷っているの?」

 優しい女性の声です。初めて聞く声のはずなのに、どこか懐かしく感じました。その声には悪意は感じられず、頼れるものだと直感が告げました。

「あなたは?現世に帰る方法を知っているのですか?」

「私は――っ⁈」

女性の声が近づいてきてそこで止まりました。扉についている覗き窓からこちらをうかがっているようでした。中は暗くて、こちらからは見えません。

「あの?」

「もしかして、ナギちゃん?」

「……お母さん?」

 なぜ私の名前を知っているのかという疑問より先に、口が動いていました。

「大きくなったのねえ。ごめんね、あなたとあの人を置いて先に死んでしまって」

「お母さん?お母さんなの⁈」

 扉にすがるように問いかけました。念願の母がこの中にいる。一目でも会いたい。

「だめよ、今は醜い死者だもの。かわいい娘に見せられる姿ではないの」

そういった母の声は震えていました。

 しかし、親子の感動の再開を楽しんでいる暇は内容です。大きな声を出したことで気づかれてしまったようです。

「ナギちゃん、会えて嬉しかったわ。でもあなたはまだ生きるべきよ。さあ、行きなさい。そこを左に行って道なりに行けば帰れるはずよ」

いやです。もっと話したいことがたくさんあるのです。でも、化け物の追手たちはすぐそこまで迫ってきているようです。

「お母さん!私素敵な女性になりますから!だから、見守っていてください‼」

それだけを伝えて、涙をこらえて走り出しました。

 母に言われたとおりに暗い道を走ります。疲れて足が思うように動きません。ようやく光が見えたときには、追手はすぐそこでした。

「はぁっ、はぁっ。あっ!」

あと少しだというのに足がもつれて転び、追い付かれてしまいました。化け物たちはちかくで見ると、より一層恐ろしい見た目をしていました。

 じりじりと距離を詰められ、もうダメだ、そう思ったとき、ポケットから何かが落ちました。チョコレートです。今はこんなもの何の役にも立ちません。いや待ってください。パッケージに描かれているのは桃。古事記ではイザナキノミコトが、桃を投げて化け物を追い払ったという話があったような気がします。一か八か、それをつかんで投げました。

 化け物たちが形容のできない声をあげて怯みました。あまり効果はないようでしたが、体勢を整える時間くらいは稼げました。

 あとは光に向かって走って、私が覚えているのはそこまでです。


 目をさますと、父がひどく不安そうな顔でのぞき込んでいました。どうやら台所の床で眠っていたようです。ぐっしょりと汗をかいていました。

 あの出来事は夢だったのでしょうか。でも、夢だったとしても、聞いた母の声は本物だったと信じたいです。

 夢ではないと告げるように、私のポケットからは桃味のチョコレートだけがなくなっていたのでした。