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私の大切なアルバム その3 Fleetwood Mac「Tango In The Night」

こんにちは。お久しぶりです。

コロナ禍で先の見えぬ日々を過ごす中、辛くてどうにもならないよう思えることが多々ありました。そんな時でも、手を伸ばせば握り返してくれるのが音楽。音楽は心の「栄養」ではなく「水」なのではないかと思う今日この頃です。ライフソース、心が生きる上で必要不可欠なもの。少なくとも自分にとってはそういうものであると認識させられた時期でした。

今回取り上げるのは、フリートウッド・マックの1987年作、『Tango In The Night』です。

実はこのアルバムと本格的に出会ったのはかなり遅いです。これまで「私の大切なアルバム」で取り上げた二枚はどちらも中学生の時に出会ったものですが、これは大学に入ってから。研究職を目指していた私は嬉々として大学に飛び込んで、その生活を満喫していました。大学生活のすべてが好きだった。授業も友達と過ごしている時も、教授の研究室にお邪魔して本筋から脱線しながらいろいろな話を聞いている時間も、最高に楽しかった。なのに突然、大学に行けなくなったのです。身体が動かない。行けば楽しい時間が待ってるのに。なぜ行けなくなったのかさっぱりわからなかった。行きたくて行きたくて、叫び這いつくばりながら部屋の外まで出て、力尽きるなんてこともありました。結果、うつ病と診断され休学、その後復学するも一週間足らずで行けなくなりまた休学、二度目の復学チャレンジでは面接のアポイントに行けず、途方に暮れていました。自分の将来がどうなるのかわからない。19歳の時でした。その時まで、研究職とか限らずとも何らかの目標が常にあって、そこに向けて動いているのが当たり前だった自分には、将来が見えないというのはとても怖かったのです。

そんな時心の支えになったのは、やはり音楽でした。特に、一日のほとんどをベッドから動けず過ごし、自ら聴きたいアルバムを選ぶ気力すらないときに私を生かしてくれたのは、音楽ラジオでした。

『Tango In The Night』と一番最初に出会ったのは、中学か高校の頃です。レンタルして一周聴いたかもあまり記憶にない。もしかしたらCDをインポートしたまま聴かずにパソコンが壊れ、データが消えたかもしれない、その程度のおぼろげなものでした。

時は流れ、不安のなか音楽ラジオを聴いていた時、流れてきたのがこのアルバムのラストに収録されている"You And I, Part II"という曲でした。あまりの美しさに涙が溢れました。こんなに感情が動いたのはいつぶりだろう、と思いながら、この曲ばかりをリピートする毎日でした。ちょうどこの頃、サブスクリプション・サービスを使い始めたときで、アルバムへのアクセスもレンタルに頼っていた時期よりかなり楽になっていました。そんなこともあって、ふとアルバムを聴いて以来、私の心とともにある大切な一枚となりました。

さて、このアルバムについて。フリートウッド・マックは1975年から、いわゆる「黄金期」のメンバーとなりました。そのラインナップでの最終作です。クオリティの高さもあって、「フリートウッド・マックの『Abbey Road』」なんて言われることもあります。

しかし、『Tango In The Night』はビートルズの実質のラストアルバムである『Abbey Road』とは似て非なるものです。『Abbey Road』は、完成を見ずに終わった「ゲット・バック・セッション」の後、メンバー4人が、次の作品が最終作になることを覚悟して団結して制作されたアルバムでした。しかし、『Tango In The Night』に関しては、メンバー全員がやる気がなかった、あるいはあっても消極的なものだったのです。

『Tango In The Night』のレコーディングは1985年11月から始まっています。これは、それぞれのソロキャリアの中で、映画のサントラやセッション活動等でスタッフが交差し、結果的にバンド、フリートウッド・マックのアルバムの制作が始まった、言ってみれば「偶然」なのです。

ギターとボーカルで中心人物でもあったリンジー・バッキンガムは前84年にソロ二作目『Go Insane』を発表、三作目に取り掛かっていました。
ボーカルでバンドの華でもあったスティーヴィー・ニックスは、ソロ三作目『Rock A Little』を引っ提げてワールドツアー中でした。
キーボードとボーカルのクリスティーン・マクヴィーも前年にソロアルバムを出し、サントラへの楽曲提供等でソロ活動が軌道に乗ってきていました。
ドラムのミック・フリートウッドもソロキャリアと、セッションドラマーとしての活動を本格化していました。
ベースのジョン・マクヴィーは業界のいざこざに疲れ、半ば隠遁生活を送っていました。

リンジー・バッキンガムがソロ三作目を作るにあたって、下積み時代からフリートウッド・マックの数々の名盤に至るまで一緒にプロデュースしてきたリチャード・ダシュートにプロデュースを依頼します。そこで、エンジニアやら、サントラ曲でメンバーの何人かが参加していたやらと、スタッフが被り自然とバンドのアルバムへと変わっていったのです。しかしリンジーはソロアルバムを作りたかった。スティーヴィーはツアーの多忙とドラッグ依存という問題を抱えていた。そしてジョン・マクヴィーは本格的に業界に戻る気はなかった。

では何が原動力となったのか。それは、ミック・フリートウッドが抱えていた多額の借金なのです。その返済に追われていた彼は、自分が中心となってリンジーをプッシュしたことを認めています。

『Tango In The Night』の制作には、バンド最長の一年半という期間がかかっています。アルバム収録曲のいくつかは、リンジーがソロ作品のために書いた曲でした。中でも"Caroline"は先述の『Go Insane』というアルバムを丸ごと捧げた別れたばかりの恋人、キャロル・アン・ハリスのことで、「キャロル・アン」と「キャロライン」で韻を踏んでいます。他にも、リンジー以外の声が入らない曲は、ソロアルバム用に用意された曲とみていいでしょう。そこには、アルバムタイトル曲"Tango In The Night"、リンジーとリチャード・ダシュートの共作"Family Man"、全米3位を記録した先行シングル"Big Love"なんかがあります。"Big Love"での有名な「Ooh, ah」の男女の掛け合いに聞こえるものは、Fairlight CMIという当時最新鋭のサンプラーを使ってピッチを変えた「一人芝居」です。曲の終わりに少しガヤガヤと聴こえるので、最終的に録音はバンドでしたのでしょう。

スティーヴィー・ニックスは、ツアーの合間にデモテープを送り、それを元にリンジーがアレンジしました。実はこのアルバム、これまでの黄金期フリートウッド・マック作品と明確に違う点があって、それはプロデュースがバンドとリチャード・ダシュートとの連名から、リンジーとリチャードになっていること、アレンジのクレジットもバンドではなくリンジー一人になっていることです。スティーヴィーはバンドと録音するのを嫌がりました。リンジーと泥沼の別れがあったあとに、リンジー宅の寝室を改造したスタジオになんか入りたくなかったのは当然でしょう。コーラスを録音してもピッチが外れていて、後から多くが削除されました。"Little Lies"とか、聴かせるところではしっかり存在感はあるのですが。"When I See You Again"のボーカルの一部は、Fairlight CMIを使って何とかそれらしく修正しています。今のように簡単にAuto Tuneでピッチ修正ができる時代ではなかったので、よく聴くとスティーヴィーの声がふにゃふにゃして聞こえる部分があります。リンジーと一番適度な距離を保っていたクリスティーンは、リンジーとともに製作をリードしていきます。ジョンとミックも録音には参加。こうしてなんとか作品が出来上がりました。と、ここまでリンジーの功績を称えるような内容ばかり書いてきましたが、誰よりこのアルバムに参加したくなかったのはリンジーとスティーヴィーで、ましてやリンジーはプロデュースなんてしたくなかったのです。ソロアルバムを作りたかったのですから。『Tango In The Night』はバンドのカムバックとして賞賛されましたが、リンジーは直後にバンドを脱退、ツアーには参加しませんでした。

今回はアルバム制作背景の解説が長くなってしまいましたが、ここで私個人的な話に戻っていきます。つまり、アルバム『Tango In The Night』は結果的には成功したものの、制作中メンバー全員がどん底のなかトライ&エラーを繰り返し、最後まで方向性が定まらなかったのです。リンジーもプロデュースにかなり苦労し、あらゆることを試してはボツになってのスパイラルでした。彼らには「将来」なんて見えてなかったのです。アルバムを完成させなければ、と急き立てられるまま必死にひねり出した作品で、『Abbey Road』のような、「これで最後になるだろうからいい作品を作ろう」なんていう展望のようなもは見えてなかった。そんな中この傑作を作り上げました。もちろんそれを知るのはもっと後になってからのことですが、私自身文字通り「お先真っ暗」な状態の中、今日生き延びられるのか、明日が来てしまったらどうしたらいいのか、瞬間瞬間を手探りで、どうしたらいいのかと悩みながらの日々だったのです。そもそも生きること自体に消極的でした。そんな自分の感情は、アルバムの制作背景と多分に繋がるところがあったのです。

音楽は、その音に作った人たちの感情が現れるものです。ラジオから流れてきた"You And I, Part II"には、底知れないメランコリーが漂っていました。その「切なさ」が現れた2分40秒ほどの曲に、私が抱えていた切なさがシンクロしたのです。だから背景など知らなくても、自然と涙が出たのでしょう。そして今も、私は手探りで道を探しています。でも『Tango In The Night』という傑作が手探りで完成したのだから、私の人生も、傑作とはいかなくても、前が見えない状態で進んでもいいんじゃないかな、と思えてきます。きっとどこかにたどり着いて、振り返れば全てが「必要な経験」だった、そんなぼんやりした希望でももっていれば、私の人生は自分なりの『Tango In The Night』になる。切なさに共感し、ちょっとばかりの爽やかさを与えてくれる、私にとっての救いのアルバムなのです。


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