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【美術ブックリスト】水藤龍彦『知られざる日本工芸コレクション: ハンブルク美術工芸博物館とユストゥス・ブリンクマン』

ハンブルク美術工芸博物館の提唱者で、初代館長のユストゥス・ブリンクマンは、1873年のウィーン万博で日本の美術工芸作品に衝撃を受け、その後の人生をかけてドイツ、そしてヨーロッパにその素晴らしさを伝えようと尽力した。

残された文献、講演原稿などをもとに、一人の博物館館長が日本美術から何を受け取り、ドイツの美術界に何をもたらそうとしたかを明らかにする。
ここまでが概要。

ここからが感想。
ヨーロッパにおける日本美術の受容といえば、1867年のパリ万博を皮切りにまきおこり、さらに1878年パリ万博で拍車をかけたジャポニスムがかたられることが多い。自然の植物などを文様として取り入れたアール・ヌーヴォー、浮世絵の自由な表現を取り入れたゴッホやセザンヌがそれ。その一方で、ウィーン万博を起点に、ドイツ語圏でも日本美術がインパクトを与えていたことがこの論述から見えてくる。ただしそれは国全体というわけではなく、ブリンクマンという一人の美術館長の個性に宿ったといっていい。

よく読むとブリンクマンは何もドイツにジャポニスムのブームをもたらそうとしたわけではない。日本的なモチーフを盗用することが流行していることを戒めてさえいる。彼が目指したのは、「日本の国土の自然、および日本人の魂との密接な関連をより立ち入った形で明らかにすること」であった。その意味は、日本人は自分達が生きる大地に根付いたかたちで、自然環境と心を調和させていて、美術工芸品にはそれが表れているということだろう。日本の工芸という民族性と精神性が一体となった美的創造が、ドイツの美術工芸に刺激を与えてほしいという願いであり、だからこそ純粋美術ではなく、応用美術に関心が高く、そのための講演や執筆に忙しかったのだろう。

著者は文献を丁寧に読み込んでいるのだが、実際の作品を取り上げてそこにブリンクマンがどんな魅力を見出していたかをもっと大きく取り上げるともっと良かった。どうしても評伝、伝記といった過去的性格の文章が続いてしまうからである。作品をカラーで紹介した上で作品の魅力にフォーカスすれば、現代の読者が実際にドイツへ行って鑑賞したり、日本にある同様の作品に触れることで得られる鑑賞体験を想起させることになる。
そうすれば工芸という正直日本でも地味なジャンルのアートの歴史に、もっと効果的な光を当てることができそうな気がした次第。

216ページ 四六判 2090円 三修社

目次
はじめに
1章ブリンクマンとはだれか
2章ウィーン万国博覧会とブリンクマン
3章『博物館年報』から<編み籠><; BR> 4章「日本美術における詩歌の伝統」
5章『日本の美術と手工芸』(一八八九)
6章 『日本の美術と手工芸』(一八八九)
7章『博物館年報』から <刀装具その1><; BR> 間奏I娘ゲルトルートの回想(その1)
8章『博物館年報』から(陶磁器)
9章「乾山論」(一八九六)
10章『博物館年報』から<漆器・刀装具(その2)><; BR> 間奏II娘ゲルトルートの回想(その2)ブリンクマンの死
おわりに――日本の工芸の魅力

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