【美術・アート系のブックリスト】美学会編『美学の事典』
広く美学に関する事項を取り入れたユニークな事典。京都大学の吉岡洋を編集委員長として、現在活躍する美学研究者が編集委員となり、100名ほどの執筆者が分担して執筆しています。730ページを超える大部で分厚い本。
学説など専門的な研究成果というより、今の時代に現れる美的現象や芸術現象を取り上げることに力が注がれていて、文化産業、文化資本、ナショナリズムなどについての項目もあります。「彫刻は退屈なのか」「芸術と検閲」「被災地とアート」など、卑近な話題も多数散見されます。
近接する問題を様々な角度から、しかも別の執筆者が論述するために何度も同じ学者の説が登場する点は、もう少し整理してほしかったかなあ。例えば芸術の定義に関わるダントーやディッキーの「アートワールド」や、地域アートを論じる際のグロイスの「ソーシャリー・エンゲイジド・アート」という概念、グリーンバーグが確立したとされるモダニズム批評などです。これらは一つ大きな項目を立てておいて、あとの項目では大項目を参照するようにしたほうがよかったというのが率直な感想。
VR、CGアニメ、性的マイノリティといった同時代の社会現象への目配りや、将来美学の問題として浮上するかもしれない「食」「観光」「ゲーム」「アイドル」「かわいい」などにも項目を割いています。あいちトリエンナーレの「表現の不自由展その後」も何度も登場します。
網の広げ方が広範であり、執筆者の個性も発揮されているため、美学の保守的な立場からは異論もありそうな挑戦的な事典ともいえます。
ところで哲学の一分野としての美学については、竹内敏雄編『美学事典』(1961年初版、74年増補版)がほぼ唯一の網羅的な事典でした。これには美学のほか美術史、芸術学、音楽学、建築、文芸など周辺分野も含む事項が掲載されて、長くバイブルのようになっています。これを昭和の辞典とすると、1995年刊行の佐々木健一『美学辞典』は一人の美学者の視点からまとめた平成の辞典でした。いずれも水準の非常に高い美学の事典・辞典でした。
いわば令和の美学事典ともいえる今回の『美学の事典』は、方向性を失った芸術現象や美的体験を、統括することなく多視点からの言及で網羅しています。こういうのをツリーに対してリゾーム的というんでしょうか。ポストモダンというか、無定型な事典というのが当たっていそうです。
それはそれで現代を表しているともいえます。しかし広いのはいいけど大部なため値段が22000円と高額になってしまったのは皮肉かもしれません。
2021年2月3日
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