【美術・アート系のブックリスト】 宮下規久朗、佐藤優著『美術は宗教を超えるか』PHP研究所
期待以上の中身の充実ぶりに驚きました。
西洋美術の多くが宗教すなわち実質的にはキリスト教を背景に描かれていることは、なんとなくは分かっています。そのため美術や美術史を学ぶときには、同時に聖書やキリスト教の歴史の知識と照らし合わせて理解する必要があります。
それは例えば、アトリビュートといってマリア様には純潔の象徴として百合や薔薇が一緒に描かれていると説明されたりして、分かったつもりにもなったりします。
しかしキリスト教といっても様々でして、ルネサンス期のキリスト教と近代とでは世界観が違いますし、カトリックとプロテスタントとでも価値観が違います。さらにプロテスタントでも、ルター派とカルバン派でも教義が違います。サンタクロースは北方の土着の宗教を起源としてアメリカのプロテスタントの間で定着した催しですし、ロシアではそれに似た別のキャラがあります。
本書は美術作品を1つ1つキリスト教の多様な観点から紐解いていきます。カトリックでマリア像が好まれるのはなぜか? カラバッジョの「聖マタイの召命」では、描かれた人物のうちマタイがどの人物なのかの解釈がカトリックとプロテスタントで違うのですが、それはどういう考えが背景にあるからか? そもそもイスラム教や仏教と比べて、キリスト教では絵画や彫刻が盛んに作られたのはどうメカニズムなのか? こういった美術の原理にかかわることが、キリスト教の広範な知識と理解から光が当てられます。
西洋美術の教養本のレベルを遥かに超えた高い水準の議論が展開されています。しかしそれが難解にならないのは、対談する二人が美術史家と作家とい別々のアプローチでキリスト教と絵画を語るからです。ともにプロテスタントの教会に属するクリスチャンですから、共通理解と視点の違いが絶妙に絡み合っているわけです。
一般には近代つまり印象派によって西洋美術はキリスト教から解放されたということになっていますが、実際には父親が牧師だったゴッホの絵にはプロテスタント的な敬虔さが隠れていて、例えば「種まく人」とは福音書からの引用であり、種は神の言葉を意味します。フェルメールの風俗画は、中産階級の勃興によって絵画のモチーフが神や英雄といった歴史画から市民に喜ばれる風景や日常の暮らしに移った時代の絵画といわれますが、実際には「天秤を持つ女」は、大天使ミカエルが魂を計量する「最後の審判」の寓意になっています。
こうしてキリスト教はほとんどあらゆる西洋美術の背景になっていることを、かなり詳細に広範な知識をもとに解説してくれて面白いです。
現代に属するウォーホールもフロイドもベーコンも、キリスト教の観点から考えると、明らかになる意味があるような気がしてきました。また宗教と美術ということでいえば、村上隆が五百羅漢を描くことの意味も正しく理解する必要があると思いました。
キリスト教美術の原初形態はイエスの顔を拭いた布であり、それがイコンになったとのこと。またイエスやマリアやヨハネらの聖像はそれ自体に神性があるのではなく、神性なるものへ通じる窓として理解されたとのことです。イコンはアイコンに、窓はウィンドウですから、マイクロソフト社のネーミングのもとにもこうした宗教的な言葉遣いが隠されているというのはなかなか面白いトピックでした。
一読を薦めます。
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