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アンコントローラー

1日目、神は光と闇を造られた。2日目に水を上と下に分け、上が空となった。3日目、水が集められて海になり、乾いた所が地となった。4日目、神は太陽と月と星を造られた。5日目、神は水の中の生き物と鳥を造られた。6日目、神は地上の生き物と人を造られた。そして7日目、神はコントローラを造られた。

中島古羊による福音書

吐き出した紫煙は一瞬空中に留まり、そこからゆっくりと昇っていった。
大村は煙が好きだ。自分の身体から発するものの中で一番自由だと思う。
揺らめく煙を眺めていると、一緒に自分もどこまでもいけるような気分になる。
そんな訳で、このご時世になっても紙煙草をやめることができない。
我ながら時代遅れだな、と思う。それに―――何か紙煙草にこだわっていた理由があったような気がする、最近は自分のことなのに思い出せないことが増えてきていた。

結局、都合3本も吸って部屋に戻ると、パソコンからブルック・ベントンの『レイニー・ナイト・イン・ジョージア』が流れっぱなしになっていた。現実はクラウディ・アフタヌーン・イン・タチカワなのだけれど。
ベランダにも聞こえないほどのヴォリウムで流れていた曲を止めると、マウスのクリック音を最後に、大村が想像した以上の静寂がワンルームを覆った。
ため息をつく。まだ舌にはタールの苦みが残っている。
部屋が静かになってしまうと、嫌でも3日前のことが大村の頭に浮かんだ。


何故か月曜日に開催された部署の飲み会。
開始時間になっても部署全体の3割ほどは業務フロアに残っていた。一人、また一人とパソコンをサインアウトして飲み会に向かう中、大村は鬼のような形相でプレゼン資料を作成していた。

大村が部署で最も厄介な取引先、ワニサン商会の担当を任されたのは3ヶ月前のことだった。獰猛な魚類を討伐して魚卵を売りさばくという妙なビジネスモデルのこの会社は、社長からの要求が異様に高く、無理難題を押し付けられることも珍しくない。業界トップのクマサン商会に追いつこうと必死なのだ。
ワニサン商会の担当であった先輩社員が部署異動になったのが半年前。商会の対応で東奔西走してやつれ切った彼が、異動発表の瞬間に小さくガッツポーズ――部署への配慮で大仰には喜べなかったのだろう――していたのを、大村は見逃さなかった。
次の担当が誰になるのか部署中が戦々恐々としていた中、まさかの新人に白羽の矢が立った。部署の全員が驚いたその大胆な人事戦略はものの見事に一瞬で崩壊し、新人は3ヶ月で会社を去った。そして結局大村にお鉢が回ってきたのである。

翌日の朝6時に出社することを心に決めて無理やり仕事を切り上げた大村は結局1時間半遅れで飲み会の会場に着いた。当然のように最後の到着だった。
唯一空いていた席を見つけた瞬間、大村を憂鬱が襲った。空いていたのが同期である花笠の隣だったからだ。
この花笠という男、お世辞にも勤務態度が良いとは言えない社員であり、スキルも大したことがないにもかかわらず、根回しと忖度だけは完璧で上からの評判がすこぶる良い。
新人が辞め、ワニサン商会の次の担当者を決める際も何か悪知恵を働かせ暗躍していたらしく、次期担当者の候補にすら名前が挙がっていなかった。
しかしボーナスの査定は大村より上、更に愚直な性格の大村をどこか下に見ている節があり、大村はこの同期が大の苦手だった。

席に座るなり、花笠は大村に絡んできた。
「おお、重役出勤じゃないですか。やっぱり我が部署のエースは違うなあ、部長より遅くいらっしゃるなんて」
大村は無視してビールを一気にあおった。手酌でまたグラスに並々と注ぐ。
「ああ、やっぱりワニサン商会の大担当者ともなると、私のような下っ端とは口をきいてくれないようで。感じが良くないなあ。」
その後も受け流す大村に花笠はしつこく話しかけてくる。結構酔っているようだ。ついに大村にも我慢の限界が来た。
「誰かみたいに舌先三寸だけで働いてるわけじゃないんでね。」
「あ?―――俺のことか?」
花笠は言い返されると思っていなかったらしく、一気に険しい顔になった。
「それ以外ないだろ。部長様~、課長様~って平身低頭してるだけで仕事してる気になってるなんて羨ましい限りだよ。」
「どんくささ極まって、できもしない仕事押し付けられてひーひー言ってるやつに言われたくねえな。」
周囲の空気が冷えていくのが分かる。それでも大村は止まれなかった。ワニサン商会から受けたストレスが悪い形で発散されようとしている。
「お前がちゃんと仕事しないからこっちにしわ寄せがきてるんだろうが!」
「俺より評価低いくせに大口叩いてんじゃねえぞ!」

記憶があるのはそのあたりまでである。気がつくと、口の端が切れ、ワイシャツのボタンが二つ無くなっていた。大村は花笠から無理やり引きはがされ、部署の中で一番体格のいい若手にタクシーに押し込まれた。


「3日間謹慎」のメールが届いたのは明くる火曜日の早朝だった。3日分の給料は出ないため、実質的には減給でもある。
酒で痛む頭と喧嘩で痛む身体、そして全方向からのストレスで動けなくなり、大村は火曜・水曜と食事もせずにずっとベッドの中にいた。
しかし、木曜日となった今日、ようやく体も心も回復の兆しが見え、パソコンをつけて煙草が吸えるぐらいには復活した。
しかし、嫌な記憶は消え去ってはおらず、明日どんな顔で出社していいのかも大村にはまだ分からなかった。

考えるとまたベッドに逆戻りしそうだったので、再び音楽をかける。Spotifyのランダム再生、気分にあった音楽を選ぶような余裕はまだ無かった。
パソコンの前に座った大村は、ネットニュースを見ることにした。より大きな事件を見て、自分が起こした事件を相対的に小さいものだと思いたかった。

大手ニュースサイトにアクセスすると、日本人メジャーリーガーのホームランがトップに出ていた。下にスクロールする。芸能人の不倫、政治家の失言、皇室情報、海外情勢、Steam大規模セール―――Steam大規模セール?
社会人になってから、仕事に忙殺され大村は全くゲームをやらなくなっていた。Steamがゲームサイトだと気づいたのも、ニュースのサムネイルにコントローラーの画像が使われていたからだ。

ゲームか、と大村が思うと同時に、Spotifyから聞き覚えのある音楽が流れてきた。これは―――メタルギアソリッドの曲―――『Old Snake』だ。
瞬間、かねてより自分が紙煙草しか吸っていなかった理由を思い出した。「先折り煙草」がある世界でわざわざ火をつけて紙煙草を吸うソリッド・スネークが格好良かったからだ。
大村は机の端に置いていた煙草を見つめた。その間にも頭の中は『Old Snake』が流れ込んでくる。

大村は過去のゲーム体験を思い出していた。ステルス・アクションが好きだった。メタルギア、スプリンターセル、ヒットマン―――自分にはできないことだったからだ。何事にも愚直に正面から挑むことしかできない大村にとって、ステルスゲームの主人公は憧れだった。敵の目を欺き、監視カメラを停止させ、こっそりと書類を盗む。興奮した。
ふと、花笠の顔が浮かぶ。嗚呼、嫉妬だよな。自分にはできない動きが出来る花笠に大村はある種嫉妬していたのだ。自分にも隠していた感情だったがこの瞬間すんなりと腹に落ちた。まだ好きになれそうにはないが。

Steamにアクセスしてみると、ゲーミングPCではない大村のパソコンでも動きそうなステルスゲームがいくつもあった。最近はインディゲームも充実していることを大村は初めて知った。
いくつかのタイトルを購入し、いざ始めようと思ったところで、大村はコントローラがないことに気付いた。キーボード&マウスで動かそうかと一瞬考えたが、やはりかつて慣れ親しんだコントローラでゲームをやりたかった。それに、外にも出たほうがいい。ジーパンとパーカーに着替えて玄関ドアを開けると、何だか食欲も戻ってきた。

コントローラと食料を買って家に戻った大村は、サンドイッチ片手に早速ステルスゲームを起動した。
最初はブランク丸出しの動きだったが、徐々に頭で思い描いた動きに指がついてくるようになった。

スティックを押し込む、しゃがむ。Rトリガーを引く、デコイを投げる。敵の後ろまで近づきXボタン。オールクリア、次の部屋に行こう。

現実世界の大村は宙に浮き、次第に自由自在な電脳世界へと吸い込まれていった。
くずおれた相手兵士が、ピンチの時に張った煙幕が、覗き込んだスコープの先の景色が、ミッションコンプリートの達成感が、大村を癒していった。パンドラの箱に最後に残ったエルピスのように。
素直に花笠に謝れるかもしれない、大村はそう感じ始めていた。

コントローラを握るのは、アンコントローラブルな世界への小さな反抗だ。そんな気分だった。
ゆっくりと更けていく東京の夜を、窓から見えるゲームの灯りが彩っていた。

え、この話が三人称視点の理由?
そりゃそうでしょ、三人称視点は「神の視点」なんだから。
コントローラ、造っておいてよかったでしょう?
私がね。

中島古羊による福音書―本人による注釈



本作品でゲームとことば Advent Calendar 2024に参加しています。
誘っていただき初参加!エッセイやゲームレポ、あの作品の裏話…等々素敵な文章が並んでいます!


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