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2020年代のハッピーエンドとバッドエンド。

わかつきひかる先生やUすけさんと、以下のようなやり取りをした。

以上のやり取りから小説と言うジャンルはつくづく、その時代を映す顔。と言うのを改めて認識した。

⒈時代を映していくジャンル

文学は時代を映す鏡である。つくづく頷く言葉だ。私的な話になるが、私が中学生時代の「恋空ブーム」そこから始まった「携帯小説ブーム」そして「なろう系」「追放系」上げていけばキリがないのでここで一旦止めるが、ここまでブームになるのはその時代と言う鏡だからこそ、ここまで話題になった。

携帯小説がブームになったのは、携帯がこれまでただの携帯電話の枠を超えて、ケータイと言う新しい若者の道具に昇華し、ケータイサイトの充実と言う時代に合わせた進化を遂げ、新しい若者文化を創り出す役割を担い、その遺伝子が現在にも受け継がれているのだろうと、常々感じる。

それに合わせて携帯小説がブームになり、数々の携帯小説が書籍化され、シリーズ化されたのは、新しい娯楽を求める刺激に飢えた若者の気質に見事にマッチしたからではないかと、考える。

昨今の「なろう系」「追放系」「異世界系」のブームを見て見ると、どれだけの人間が今の社会情勢に絶望し、夢も希望もない中を生きながらえているのか、せめて物の救いを求めて「異世界」と言う誰も知らない世界にあこがれて、そこでやり直しを図りたいと言う気持ちの表れが表現されたのだろう。如何に今の社会情勢が希望がなく、絶望感が漂っているのかを如実に表したジャンルであるとも言える。

⒉2020年代のハッピーエンドとバッドエンド

本題に入るが、2020年代のハッピーエンドとバッドエンドを予想するとなれば、ハッピーエンドは異世界での幸せな生活が一生続き、バッドエンドは絶望し、世界は完全に破壊されて終わるのが2020年代のバッドエンドであろう。

バッドエンドは悪役が復活する、悪人が勝つのではなく、世界が完全に破壊され、勝者も敗者もない死んでしまえば皆消えてなくなってしまうのだから。

ある意味究極のバッドエンドかもしれないが、その究極のバッドエンドを今の社会情勢を生き延びている人は、願っているのかもしれない。普通の生活を送っている人は望んでいないのかもしれないが、その普通の生活を送っていない人の事を考えた事はあるのだろうか?

普通の定義はその時代時代によって変わって行く。2020年代のバッドエンドは、我々の持っていた普通の価値観が大きく変わる、ターニングポイントを迎えるのではないのか?

そのターニングポイントを迎えた時、我々は適応していくことが出来るのか?これからの時代がある意味で楽しくなってくる新年を迎えた。

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