見出し画像

2020年と2021年

色々なことがあった2020年。私の身にもいろいろなことがありました。
一番の出来事といえば、進路が変わったことでしょうか。

本来なら、わたしは今年の4月に教員をするはずでした。
職業観といいましょうか、「人を笑わせたい。笑顔にしたい。」これがわたしの軸になっています。
そこで、教師は距離が近くとても人一人を育てあげ、彼らが優秀な人材となって旅立つお手伝いができると思ってなろうと思っていました。

しかし、教員採用試験で合格もらった後に人生を見つめ直してみると、わたしの職業観にはあるキーワードが抜け落ちていることに気付きました。

「より多くの人を」

という言葉です。教師をしたかったのは、目の前の生徒を育て上げ笑顔にすることでした。しかしわたしの職業観という軸としてみると、それだけでは満足できませんでした。現場一教師だけでは40人✖️35年という数が最大値ではないかと思っていたからです。
そこで、教育委員会に入りより包括的なプロデュースをし、労働環境から見直し、教師も笑顔になれる教育のあり方やそれにともなう学生から社会にアプローチができるような教育改革を行うこと。
これを軸にして働くつもりだったのです。

しかし、ここで自分のプランニングに大きな欠陥があるでした。時間という制約。公務員における出世のスピードでした。偉くなるのが遅すぎます。現場は私は5年で切り上げてまで教育改革にあたりたかったのです。ボトムアップな教育改革小さく炎を燃やしわたしの勤める立場や学校から行えるでしょう。それをやるのは5年が限界です。時間的な制約なしで改革は進行が遅く現代のときの流れに間に合わないからです。それに加えて他者のもっといいアイディアが生まれてくるはずなので、そのアイディアが通りやすいように、まっ先に道をつくり舗装する必要だと感じたからです。

これでは、自己実現ができない。自分のやりたいことは「より多くの人を笑顔にすること」なのです。だからこそ、したい仕事は
スピード感がありより多く人に触れる場所かつリアクションがあるものとなりました。

この条件を満たす職業とは、実は出会っていました。それが夏のインターンの行き先でした。我が大学からでは到底受かるような会社ではありませんが、幸いなことにインターンに行けたことも縁だと思って、ボケのつもりで東京で就職活動をすることにしました。もちろん教師には受かっているうえに、交通費が必要なことを親にも説明しないといけません。教師がしたいわけではなかったので、この1社だけ面接を受けて終わるから、わたしにお金を貸してくださいということになり受けてました。

その会社の面接でいったことは


教師に受かっていますが
この会社だけ受けたいので受けにきました。

なんでと聞かれたら、先述のことやインターンのときの話をしました。すると、本気でウケるボケのつもりだったのが、奇跡でも起きたのかというぐらいするすると選考が進んでいきました。

いくつかのステップをこなし最終面接。ある役員から聞かれた言葉は嬉しい一言でした。「きみは本当にこの会社だけなの?」これほどの褒め言葉はありません。

そして、今年4月からその会社で働きます。夢は叶えるものではなく、叶うものです。努力するものではないです。だとするならば、わたしは夢が叶ったのだろうとおもいます。

そんな2020年でした。

しかし、これはいわば船のチケットを持っただけ。うまく乗りこなし、2021年からは目標を達成するために努力しなければならないのです。

この記事が参加している募集

就活体験記

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?