ニシシン

ブログなんかやったことないけど、モノは書いてみたかった人。自分の考えをつづったり、学ん…

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ブログなんかやったことないけど、モノは書いてみたかった人。自分の考えをつづったり、学んだことを整理したするのに使う予定です。

最近の記事

2020年と2021年

色々なことがあった2020年。私の身にもいろいろなことがありました。 一番の出来事といえば、進路が変わったことでしょうか。 本来なら、わたしは今年の4月に教員をするはずでした。 職業観といいましょうか、「人を笑わせたい。笑顔にしたい。」これがわたしの軸になっています。 そこで、教師は距離が近くとても人一人を育てあげ、彼らが優秀な人材となって旅立つお手伝いができると思ってなろうと思っていました。 しかし、教員採用試験で合格もらった後に人生を見つめ直してみると、わたしの職業観

    • こち亀にひかれて

      今日は、大好きな漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の魅力を独自の視点で述べたいと思います。  私が「ジャンプのなかでは、こち亀だけ読む」というと人はいいます。ストーリー性が少ないではないかと、少年誌の醍醐味のような山場ができにくいではないかと。ほかに読むものもあるだろうと。断固としてこれは間違った解釈です。いくつかの魅力を順に述べたいと思います。 ①二つの時間軸 こち亀のストーリーは二つの時間軸で構成されてます。ひとつは「1話」という短いものです。これは読者がどこから読

      • 今年も終わってしまいます。

        いやぁー、今年も終わってしまいますね。 2019年。 つまり、2010年代の終了です。 今年はいろいろなことをしました。 サークルの代表になるわ、室長になるわ、海外からきた留学生を案内するわ、インターンにいくわ、教員採用試験受けるわ、人に数学教えるわ、金にならんけどしたい仕事するわなどなど、 勉強というものは、ある意味一番したかもしれません。経験というものが学習だとすれば。 どれも素晴らしい体験で、素晴らしい繋がりがあってまた関わってくれた人には会いたいなって思ってま

        • 学校での学びとはバイキングである。

          このままいけば数学の先生になるはずの私が考える、 「学校で学ぶ」 とは何かを伝えたい。 それは「バイキング」である。 学校はバイキング会場であると考えると、ごく自然に私たちの学びとはどうあるべきかがみえてくる。 学校では、様々な知識を提供する。これら一つ一つがいわば「料理」である。この料理は食べれば食べれるほど良いとさせる。だが、決してその料理たちはお皿に乗る切るほど少なくないし乗ったとしても、そうやすやすと食べきれるものではない。 学校では時折、生徒たちがお皿に

        2020年と2021年

          自分の生き方と短所

          自分のことがどう思われてるかとかって、だれしも考えるわけでありますが、なんぼ考えたって所詮は自分の世界ですから本当のことがわからないわけであります。 これはずっと変わらないことなのですが、私は他人に興味があります。どれくらい興味があるかというと、例えば、自分の隣の教室や部屋で楽しそうな声が聞こえたとして、何をしてるかを窓から見れるとしましょう。普通の人は、見ないあるいは少し見ればそれで終わるのでしょうが、私の場合はその4倍ぐらい見てしまいます。ひいてはその人が知り合いならば

          自分の生き方と短所

          明日雨が降ったら、運動会は中止です。

          よく小学校の先生が言いそうな言葉です。 「明日雨が降ったら、運動会が中止です。」今回はこの言葉の意味が、常識的なとらえ方と数学に乖離があることをお話ししたいです。 まず、明日実際にあり得るのは以下の4パターンですね。 ①明日雨が降って、運動会が中止。 ②明日雨が降って、運動会が開催。 ③明日雨が降らず、運動会が中止。 ④明日雨が降らず、運動会が開催。 さて、「雨が降ったら、運動会が中止です。」という文章の意味を考えると、もちろん①はあり得ます。これは現実でも数学

          明日雨が降ったら、運動会は中止です。

          正論とは何か

          今日、人間関係で落ち込んでいる友人がいて話を聞いてあげますと「正論ってつらいものなんだなと思った。」といってくれました。 もともと昨日の夜にその話を聞いていました。当然友人からの一方的な意見しか聞けませんので、できるだけ客観的に聞こう、そして友人は自分がつらいと思って話しているのですから決して否定せず、ときより相槌を打ちながら聞いていました。ひとしきり話が終わった後にこのあと心配してくれる人に説明しに行くのといい、その日の夜は終わったのでした。 さて、そのあと何があったの

          正論とは何か

          数学を学ぶこと

           よく数学を学ぶ意味は何か?問われることがある。学問を修めるときにはだれしも考えてしまうものである。数学はその代表例としてよく挙げられるが、私は数学科として学問を修めた立場としてこのことについて考えてみたい。  私は母親に数学の話をすることがある。もちろん母親は好きでもないからちゃんとは聞いてないのであろう。そうして最後には「算数ができれば十分でしょ」とまで言われる。たしかにわざわざ買い物をするときに値段をx円とは書かないし、第一そんな表記をしているお店なんか誰もいかないだ

          数学を学ぶこと

          ゲームを競技化すること

           私はいわゆる「競技〇〇」といわれる言葉が嫌いである。○○にはいろいろ入るであろう、たとえば【かるた、麻雀、クイズ】などである。本来はどれもゲームであった。一部の熱狂的なものが「ゲームを競技化」させようとしてるあるいはさせたことによって、このような概念は形成させた。もちろんこう言ったものは、昔からあって、スポーツなんていうものはみんなこの類なのであろう。が先にも言った通りこれらは本来遊びつまり”ゲーム”に過ぎない。最近は「競技としての○○か、ゲームとしての○○か」この乖離を無

          ゲームを競技化すること

          noteを始めるきっかけ

          noteというサイトを知ったのは、「数学ガール」でおなじみの結城浩さんがきっかけである。記事のリンクをTwitter上で貼っていて、そこから閲覧したのが初めてのことだった。 長文の意見や考えがそこにはまとめられていて、Twitterのように短文でメッセージを伝えにくい内容も言葉を重ねてつづられており、面白いツールだなと感じたものである。 そして今日、いや正確には昨日とても素敵な文章をnoteで読んだ。 素童さんの「同棲することになった。素人童貞じゃなくなった。」である。

          noteを始めるきっかけ