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オランダとベルギーで殆ど写真を撮って無い話

30年近く前の旅の記憶,続き

ケルンを後にして,オランダ,ベルギーを経由して,パリで乗り換えて一気にリヨンまで巻貝の中心に向かうようにヨーロッパを反時計回りに進む.

半年前にヨーロッパを旅したことのある同級生に「アムステルダムは怖いよ」と聞いていたせいか,鉄道駅に大きなバックパックを預けた後,小ぶりなデイパックを前に抱えて駅構内を歩いた.何が怖いのかという話だが,ご存じの通り,オランダは日本では御法度のお薬の一部が政策により禁止されていない.友人曰く「駅が特にヤバい,シンナー中毒のような人たちがたむろしているよ」と言うわけだ.確かに,ドイツの整然とした駅に比べて,構内に座り込んでグダグダしている人の数がやたらと多い気がした.足早に駅を出て,運河沿いを歩いた.

歴史の教科書に出てくる証券取引所とかを横目に見ながら,とりあえずアムステルダムらしい町並みの中を歩く.誤解を恐れずに言えば,ハウステンボスのほんまもん,ということになる.ただ,残りの旅の日数と,フランスでどうしても見て回りたい建築への行程を考えると,ここでゆっくりしている時間が取れなかった.午後にはロッテルダム,そして,夕方には国境を越えてブリュッセルまで一気に移動するつもりだった.

数時間ほどでアムステルダムを後にして,ロッテルダムに向かった.ロッテルダムでは,ファン・ネレ工場,という,近代建築の美を纏った工場というエポックメイキングな建築を一目見ようと思った.それから,当時,話題になり始めていたOMAの何か,見られるかもしれないという漠然とした期待があった.今のようにインターネットの世界ではないから,何も情報がない状態だったにもかかわらず,この地を踏んでおきたい衝動に駆られていた.

今考えると,ユトレヒトやデルフトにも寄ってみたかった.シュレーダー邸が今のように見学できる状態であれば,ユトレヒトに寄ったかもしれない.どっちにしても,当時はまだその状態ではなかった.考えてみれば,今はシュレーダー邸に関わらず,多くの近代建築の名作が見学可能な状態で整えられている.東欧にだって簡単に行ける.30年の月日はあまりに大きい.もはや別の国だ,という気もしてくる.

さて,その肝心のファン・ネレ工場だが,結局時間が足りずにたどり着くことなく,ロッテルダムから去らなければならない時間になった.記憶の中では,何となくそれらしい工場を見た記憶があるのだが,写真に残っていない.実は,アムステルダムからロッテルダムの写真が一枚もないのだ.フィルムを温存していたのだろう.今考えれば,せめて数枚,何かを撮っておくべきだったのに.

ブリュッセルも,夕方近くについて,少し寂しげに傾いた陽の中を歩いてグランパレスまで歩いて中世の趣が残るギルドハウスや市庁舎の建築をみて,一応有名な Manneken Pis も一目見たらユースホステルに向かってとぼとぼ歩いた.

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ベルギーの通りを歩いていた時,そこで幼稚園か小学生くらいの男の子と女の子,数人のグループが子供らしくじゃれあって遊んでいた.夕方で少し人気がない街角だったが,僕の姿を見つけると,”Monsieur" と手を振ってくれた.それまで2週間ほどヨーロッパを歩いてきたが,現地の子供から声を掛けられたのは珍しかったのか,いまでも鮮明に記憶が残っている.

いや,それともあれはリヨンでの街角だったか...いまや記憶はあいまいだ.まだフランス語を習う前だったし,"ムシュー"は分かっても,何と返していいか咄嗟に分からず,日本人らしく,曖昧な笑顔で手を振ったと思う.ざっと計算すると,きっともう30歳を超えているはずだ.彼らはいまどうしているんだろう.

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