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技術の発展と心の隙間-「RE:BEL ROBOTICA」感想文-

SFという分野を最近私が好む理由として、「科学がどんなに発展した世にも生じる問題がある」ということと、「技術の発展が起こっていたとしても、人の心理を最後の焦点として据えている」ということが挙がる。現実にはない概念や技術の説明はとっつきにくさにも挙がるものの、それがすんなりと飲み込めれば、描かれる人間模様には大きな差がない場合もあり、むしろそれが世界の根底が共通しているということの面白さとして働くということである。

そしてそういう面では、とても現実に近いありうる社会を描くSFエンタメ作品として「RE:BEL ROBOTICA」はとても魅力的かつ考えさせる作品として描かれる。

舞台は渋谷。MR技術が発展し、一人一人の個性の尊重が優先され、それが情報通信技術によって大きなサポートが果たされて成立した幸福な社会。人々は出生時にMRチップを脳内に埋め込まれ、それによって見える世界が提供され、当たり前であることが前提としてある。世界の合理性を確立しつつも、心理の多様性には寄り添い続けられることを目指したある意味理想的にも見える社会。

しかし、それが生む問題は確実に存在する。主人公として描かれるのはMRチップの「バグ」によって、少し不自由な世界を歩む高校生なのである。

バグっているとデジタル機器の誤作動もあり、社会システムにそれが組み込まれていれば致命的なことになりかねない。事実、改札が通れなかったり、配送システムが誤作動したりと様々な災難が降りかかる。

しかし、それでも悪いことばかりではないと、主人公は前を向く。そんな生き方の姿勢がいつだって我々にも勇気をもたらしてくれる。

そんな中でそのバグが原因か、彼は渋谷の街を管理するロボチカ級AI「リリィ」と出会うことになるのだが……?

レベルロボチカシリーズは2冊が同時刊行されており、リリィとの出会いと最初の事件を描く「レベルロボチカ ゼロ」とその後の彼らと新たな出会いと再会、そして彼らを取り巻く新たなる事件を描いた「レベルロボチカ」の2冊である。

どちらから読んでも、どの順番で読んでも面白く読めるだろうと思うが、「レベルロボチカ」が比較的説明などもあって、主要な人との出会いや再会を中心にどことなくアニメチックなシナリオ運びが特徴。こちらからの方が入りやすい。
事件などで巻き起こる要素にも名前がつけられ、バトルっぽい展開、事件を積み重ねつつ、明らかになるミステリチックな展開と仲間たちが徐々に集う形などもあって、非常にわかりやすい。

事件の内容も、オカルトな事件をMR特有の技術で解き明かす回、MRアバターのペットの失踪事件や思春期や若者の中で悩む自己と他者の関係がMRチップによる自己アバター機能によって縺れて大事件になる回など多岐に渡り、その中で技術の発展が解決しきれない、自分の本心と社会の提供する答えのズレ、いわゆる「心の摩擦の問題」を中心に据えた物語に主人公のバグの力が少しずつ威力を持って作用し出すのだ。
そのややチートっぽくもあり、抜け道のように解決する様は圧巻であり、目を見張る。

この世界の完璧な技術であっても、心については解き明かせないまま。
それをバグだと言い切ってしまうのであれば、バグにはバグで寄り添っていくしかない。主人公の不便な点も、それが様々な優しさとなって働く面もあり、それが悪いことばかりじゃないということに帰結していく。カッコよくもあり、優しい物語でもある。

そして、その始まりとなったのが「レベルロボチカゼロ」である。主人公とリリィの出会い、さらにとある別れのきっかけとなった事件が描かれる。
こちらは前日譚であることもあり、「レベルロボチカ」につなぐ要素もありつつ、どことなく幻想的でしんみりするお話となっている。
こちらも心の悩みが生じさせた「バグ」が根幹にあり、技術だけの解決ができない問題にどう向き合うのか、というところが面白く描かれている。

技術と心の持つ思い、決して分かりあうことはなさそうな両者が引き起こす優しさと残酷さの混ざった歪な事件に、僕らはこの社会の中の自我の行方や心のありか、作中の世界だけでなくこの現実を生きる中のバグとは何であるかなどを考えたくなる。

さてさて、レベルロボチカシリーズは原案とキャラデザを近年の様々なコンテンツ作品に関わるイラストレーターのMika Pikazoさんが手掛け、「レベルロボチカ」の執筆を三雲岳斗さん(著書に「ストライク・ザ・ブラッド」)、「レベルロボチカゼロ」の執筆を吉上亮さん(「PSYCHO-PASS3」脚本)が手がける。

レベルロボチカシリーズの今後の発展、レベルロボチカ本編の続編に非常に期待したい。

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