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【えーる】ライフワークは「応援団」

山口県周南市鹿野地域の人や歴史、イベントなど、鹿野に関わるさまざまなものを紹介し、地域を盛り上げようという地域団体「まちづくり応援団えーる」として活動を開始して、この記事を書く時点で12年と7カ月になる。

気が付けば人生の中で、これほど長く、かつ継続的に行っているものはなく、最も長く活動を続けている、まさにライフワークといっても過言ではない活動だ。

コロナ禍の中でもなんとか活動を継続することができているし、自分が動けなくなる方が先か、限界集落になって町の灯が消えるのが先か……というところまでは続けるだろうと思っている。

なぜこのような活動を始めるに至ったかは、この記事を参照してほしい。

この本文では、いまの活動の趣旨などについて語り、マガジンの目次として示してゆきたい。

点から線へ

鹿野のことを紹介する、という形で応援するのが「えーる」の活動目的であるが、もう少し理論だった話をすると、それは「点から線へ」、すなわち、人やものをつないでいくということである。

これは鹿野地域だけの特色ではないと思うが、それぞれに活動している人は多くいれど、その人たちが手を取り合う、ということはなかなか見受けられない。また、鹿野という地域は知っているけれど、それがどんな場所か知らない、など、まだ個の状態になっている。これが「点」の状態である。

微力ながらこの活動を続けることで、同じような気持ちを持った人同士が結びついたり、一緒に何かをできるようになったり、ただ知り合えるだけでもいいが、とにかく何かしらのつながりができる。ひょっとすると、鹿野と、鹿野から出て暮らしている人たちがつながるかもしれないし、まったく縁のなかった人たちの間に縁ができるかもしれない。こうした、点と点が結びついたのが「線」の状態である。

そして「線」で結びついた人たちが、一緒に鹿野のための何かを始めて、そこから新しい「線」が伸びていく……そのような状況になれば、理想であろうと考えている。

つながるのは、何も人と人だけではない。イベント、歴史や史跡、昔話や名産品など、とにかく鹿野に関係するさまざまなものと人とがつながることも、また「線」であろうと考えている。例えば昔話や史跡を紹介することで、「えーる!」を読んだ人たちの心にそれが刻み込まれる。それもまた、人とものという2つの「点」が結ばれたことになるだろう。

紹介する、とは、点と点とを結ぶための方法なのだと信じて、日々発信を行っているのだ。

「紹介する」という応援

学生時代、いかめしい顔つきをして学ランを着こんでいた頃は、大声を張り上げ、全力で演武をし、声を届けるのが自分にとっての「応援」だった。

だが、今は学ランも着ていないし、体力も、声も、かなり衰えてきていることを感じる。若者と無理やり言い張れなくもないが、まぁ周囲は苦笑いだろう……ぐらいの歳に達した自分には、同じようなことはできない。

だから今は、カメラとペンを手に、取材してフリーペーパーを作り、紹介する、という形でエールを送っている。対象について丹念に調べ、聞き、書き起こして編集し、それを発行する。気が付けば、出不精だったはずがイベントのたびに外出し、カメラを持ってうろついていると「取材?」と町の人から声を掛けられるようになった。自分という「点」も、町の人とつながって「線」になれたかな、と感じられた。

最初はWordで作成していた紙面も、いつの間にか専用のDTPソフトを導入し、今はクリエイターではおなじみのAdobe製品にたどり着いた。月1回の発行は、ちょっとしたデザインを作ってみたり、写真の見せ方を考えたりと、それなりに楽しい創作の時間にもなっている。

そうして制作したフリーペーパーは、少人数の地域であることを逆手に取り、新聞折込で各戸へ届けてもらっている。高齢化が進んだ地域で「ここに置いてあるから取りに来い」は体が動く者の理論でしかない。取りに来てくれる人はいるだろうが、負担を強いる。

なので、新聞をとっていれば、という条件付きではあるが、自動的に届くような仕組みで配布している。公共施設にも置かせてもらったり、インターネット上でデータ配信はしているので、どうしても、という場合は別の手段で手に入れることもできるようにはしている。なるべく軽い負担で、それなりの効果を上げられれば、と検討した結果の方法である。

自分自身も楽しみながら

こうした活動は、義務で続けているわけではない。あくまでも自分が楽しいから(半分は、もはや生活の一部になっているから)であって、誰かにああだこうだと指図されて、嫌々やっているものではない。

活動を始めたとき、誰かを応援したいからと思ったのはもちろんだが、もう1つ、自分が生まれ育った故郷のことを何も知らないから、知りたいから、という気持ちもあって始めたことを覚えている。知っていく楽しさもあったから、今まで続けることができているのだろう。

なので、崇高な使命感を持って活動をしている、とは思っていない。あくまでも、自分の中では「趣味」ぐらいの軽さでペンを握るようにしている。

鹿野の営みはこれからも続く。その暮らしを応援し続けるために、細く長く、無理せず、しかし気は抜かずに活動を続けていきたい。

最後まで読んでいただいた皆さまとの間に「線」が生まれることを願って、筆を置くことにする。

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