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13人でノートを回す



 古今東西、有名人の書簡は、その人の知られざる姿や心を知るものとして、貴重な資料であり、数多く出版されてもいる。
 新年早々、くだらない話を、と思われるかもしれないが、珍しい懐古談として、書いてみたい。

 これは、現在とは全く違って、筆記用具こそが通信手段の主役だった頃の話です。今ならさしずめ、スマホでのやりとりというところか。

 大学の教養課程では、外国語の選択によってクラスが分けられた。入学早々の若い学生たちは、何でもお仕着せの高校とは違い、自分で選択教科を決めて、スケジュールを作成するなど、未知の環境に不安を抱えている。

 初めての語学の授業に出てみれば、いかにも秀才らしい風貌の、知らない人たちが、思い思いに席を陣取っている。珍しさに釣られて女子学生から少し離れたところに座ってみるのもいる。そのうち、50席の大方は、別々の席に座っている4人の女の子の周りが、男子学生によって大方埋められた。

 日が経つにつれ、話の合う仲間たちで、それぞれグループも生まれた。女性2人の周りの男子たちは、議論の好きな個性派が多かった。議論が沸騰して、短い休み時間や昼食時で話が終わらなくなると、そのうち誰かが大学ノートを持ち込んで、そこに持論を書き連ねたものを隣に回すということが始まった。

 いつの間にかそれに13人という輪郭ができ、それぞれの学部に分かれるまで、その回覧は2年間続いた。ノートは数十冊にも及んだと思う。

 今考えると、そのノートは、ティーンエイジ最後の青年らしい瑞々しい感性と、純粋な主張がちりばめられた貴重な記録だったのではないかと思われるが、70年も昔の話では、その所在など調べようもない。

 別々の学部に別れた後も、その13人の交流は続いている。在学中は一緒に旅行したり、各人の実家に押しかけるなど、学外でも親睦を深めた。社会人になると、多忙に加え、住むところが離れたりして、だんだん疎遠にはなったけれども、今なお、達者な生き残り数人が、年2回、旧交を温めている。

 回覧されるノートに書く機会はなくなったけれども、私自身は、結婚後67年間、ずっと家計簿を兼ねた日記をつけている。
 最後まで高齢な現役医師として社会に貢献された日野原重明氏は、90代の時に10年日記を購入されたと聞く。
 私のは、30年ほど前から、使い勝手のいいハードカバーの3年日記に書くようになった。
 これを、あと何回買い替えられるか覚束ない心境だが、社会に役立つ行いや、楽しい生き様ばかりが記されることを願っている。



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