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私とnoteとの付き合い
noterの方々は、noteを始められた動機とか、目的とかを語っておられます。私も始めてからはや1年半が過ぎましたが、始まりは何だったのでしょうか。
90歳を遠の昔に過ぎて、することといえば、自分の身の回りのこと、たまに家族の食事を作ることと、預かった猫の世話をするくらいで、忙し過ぎた以前の生活からは想像もつかないほど自由な時間を与えられたにしては、何とも気持の落ち着かない日々なのです。
何故でしょう?
ルーティーンだけが生き残って、その間を埋める時間の空白さ、言い換えれば、日々の生活に達成感や充実感が欠けているということでしょうか。
2年前に、永年住んだ土地を遠く離れた故に、活動の場もそこで得られた友人たちとの付き合いも失いました。もう少し若ければ新しい境地を開拓したでしょうが、体力も、特に聴力の衰えた今となっては、新しい環境で張り切ろうという意欲も起きません。
そこで今、救いとなっているものの一つがnote なのです。
自分の身の回りのことだけと言っても、家事は結構な労働です。老いの体に鞭打って頑張っても、悲しいかな、すぐ疲れてしまいます。そこでnoteの出番です。
第二次大戦時のイギリスの首相、サー・ウィンストン・チャーチル氏は、忙しいスケジュールの始まる前の早朝に、ベッドで多くの新聞に目を通されたそうです。
我が夫も、新聞は朝、寝床で読んでいました。新聞だけでなく、大方の読書は、横になって、でした。正しい姿勢で読まないと、乱視になるからと、私が寝て本を読むことは、父から厳しく禁じられていましたが、横になって読む方が、休息と読書が一緒に出来て、なかなか効率的です。
ところが、困った事もありました。まだ2歳くらいの長女が、
"ご本読もう!"
というと、くるっと畳の上にひっくり返るのです。
何でも真似されてしまうのですね。
誰に気兼ねすることもない今の私は、家事に疲れるとすぐに、スマホを手にソファー、またはベッドに倒れ込みます。そうして、体を休めながら頭の中で、ネタを探したり、一本指を動かして文章を書きます。
10年くらい前までは、きちんと机の前に腰掛けて、PCで文章を書いていました。確かにその方が姿勢も能率もいいです。でも、体はあまり休まりません。息子がベッドで寝たまま使えるハンディなキーボードを用意してくれたことがありますが、どうも使いにくくて、結局オールマイティのスマホに頼りきりの毎日。
残り少ない余生を、似たような気持ちで日々を過ごされているご同類も居られるかと思い、偶にはぼやいてみました。
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