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古巣の大和高田を訪ねて (K-01 / smc PENTAX-DA 12-24mmF4)

 確か2015年のはずだけど、半年ほど大和高田に住んでいた。
 引っ越しして知らない町に住むなんて大きなイベントの記憶が曖昧なんだけれど、まあ高田での半年間を含む、2014年から2021年まではもう、今生きてるのが不思議なくらい酷い目に遭ってたからなあ。

 とはいえ大和高田で過ごした半年って、高田の街については何も恨むようなこともなく安らかに過ごせて、好意的な印象を持っていた。
 それから8年過ぎて、私はまた奈良県に戻ってきた。まあ今の住居と高田とは盆地の反対側だけれど。
 今週末特にやることもなかったし、久々に古巣の高田を歩いてみることにした。
 持っていくカメラも、久々にJ limited 01じゃなく、高田に住んでいた当時に持っていたPENTAX K-01に。

大和高田駅から

 大和高田駅。
 けっこう味のある駅舎と思う。2001年にできたもの。ただペデストリアンデッキが邪魔で、ペデに上がらないと駅舎の全体が見えんな。ちょっともったいない?

 私が住んでたのはもっと南、高田市駅の近くだったんで、ここからぶらぶら、昔歩いた場所を思い出しながら徘徊する。

 私が住んでた頃にはまだ、駅前にはユニチカオークタウンがあった。
 1975年に完成して、私が通ってた頃には築40年の年季が入った代物だったんだけど、かなり凝った構造になっていて、さぞ昭和の昔にはハイカラで華やかなモールだったんだろうなという雰囲気はあった。
 入ってるのも全国チェーンばっかりじゃなくて、地元の商店街にあるような飲食店とか婦人服屋、バブル時代につけたネオンがそのまま残ってる喫茶店とか、味があって。
 しかし、生活の買い物で来てる感じだったから、写真撮ってなかったなあ。あんまりスーパーでカメラ出したりしないよな。

 建て替えされたのは2018年11月とのことで、もう5年近い。ずいぶんきれいに維持されていて、もっと最近できたばかりかと思ったな。
 しかしやはり、入っている店は全国チェーンのきれいなところばかりで、以前あったような味わいのある個人店みたいなところは見当たらなかった。そもそも今の御時世じゃそういう店が生まれにくいだろうし、味わいが出るのが10年20年過ぎてからだろうし、私が味わいと認識するのが昭和っぽさだろうし……。
 オークタウンはなくなって、その代わりに、無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、ある経済的モールが高田の駅前にできているのだ(三島由紀夫・談)。

 大体葛城山くらいの方を向いて。

弁天座など

 大和高田といえば大衆演劇場の弁天座。
 以前住んでた大阪浪速区~西成区の下町だといくつも劇場があったものだけど、奈良だと数えるほど

 駅前から一本西側の駅前商店街。
 どうもここ、アーケードがあったような記憶と、なかった記憶とが混ざっている。あれ? とストリートビューを確認すると、ちょうど私がいた2015年に撤去されたっぽい。たった半年の間に、ある時期とない時期を見てたかもしれないな。

 名物だとはいうものの、入ってみようと思いつつ入ってみることなく高田を去ってしまった。あらら。なかなか今後観ることもなさそうだなあ。

 大和高田市は、市域を3本の鉄道が東西に横切っているのだけど、その各駅を南北に結ぶのがこの県道5号線。
 かつてここは川で、高田の街を真っ二つに分断していたそうな。
 だから今でも、この道路に向けて堤防を盛り上げてた名残があって、ずっと斜面になっている。

 JR高田駅の方にもいったんだけど、写真ミスってピンボケしちゃった。
 どうも手元のDA12-24mm、なんかどのカメラで使ってもピントが怪しくなりがちで、全然合ってないのに合ってるって言い出すの。一眼レフの位相差センサーでも、K-01のコントラストAFでも同じ。弱った。

 JRの高田駅はほとんど使わなかったな。住んでたところからは遠いのもあったけど、ちょっと本数少なすぎて。
 桜井線で奈良まで直通かと思ったら、一時間に一本の各停のみ。乗り換え面倒とはいえ近鉄で行ったほうが便利。
 和歌山線の五條・和歌山方面は代わりがないけど1時間1本。
 和歌山線の王子方面は1時間に2本あって、王子が近鉄で直接行けない乗り換え駅だから便利なシーンもありそうだけど、それで便利な行き先が生駒方面と大和小泉くらいしかないな……。

高田御坊~天神橋筋商店街

 大和高田はかつて、大和五箇所御坊のひとつだった高田御坊・専立寺の寺内町だった。といっても一向一揆が盛んな頃は過ぎて、准如が開いた。一揆より東西本願寺分裂に至る内紛に忙しかった。
 この表門は1794年に建てられたそう。といっても、どうもお寺の敷地が減ったみたいで、この門の向こうは道路で、その北側だけが敷地。
 この門の横に築地塀が連なっていて、道からは往時の大伽藍の雰囲気がある。

 本堂のほうは、1838年の火災で失われた後に再建されたもの。
 しかし「ここは浄土真宗のお寺でパワースポットじゃない」と看板が立ってたりして、特に観光寺院をやりたい気持ちはないみたい。

 そしてちょっと北に戻って、スーパーレトロな天神橋西商店街。
 けっこうエックス(旧Twitter)とかでも見かける、大和高田の名所。写真に写ってる人も、RX100らしいカメラ持って撮り歩きしていた。

 まあ、良いとしか言いようがないよね。住んでたときから好きだった。

 アーケードのみならず、商店がことごとくレトロで。
 大和高田って、かつては奈良の商都といわれるほど商売の華やかな街で、ここも奈良の東向商店街と並ぶ華やかさだったそう。
 しかし、今は本当に開いてる店が減っていた。
 2017年頃にはもうちょっと開いてた店があって、なぜかショーウィンドウにぎっしりアニメフィギュアを詰め込んだ謎のレトロ定食屋があったりしたんだけど、今日は見つけられなかった。

 県道5号を渡って東側にいくと、一見するともう少し賑わって見えるんだけれど、空き店舗の中とか前にものを広げて常設蚤の市みたいになってる。これは2015年にはもうやってたな。

 これは商店街として機能しているのか、というとちょっと首をかしげるんだけれど、かつての神戸元町高架下商店街とか難波の五階百貨店とか好きだった人にはたまらんものがある。
 魁皇と千代大海の絵皿があって買いたかったんだけど、鍵のかかるショーケースに入ってて誰に頼めばいいかわからんかった。惜しい。まあ大皿抱えて歩き回るのつらいからいいんだけど、近所の魁皇ファンはぜひお救い申し上げてほしい。

 若者、これなにか知ってるか。80年代には誰の家にでもあったぞ。

さざんかホール

 商店街に隣接して、さざんかホールという市営のコンサートホールがある。
 まあ私が利用することはなかったのだけど、かつてのメインストリートに隣接してどんと構える好立地。

 そしてこの異様な存在感を放つオブジェ、これからくり時計塔になってて、正時になるとガバっと開いて小人の楽団が演奏を始める。
 見ると11時58分くらいにこの写真撮ってるな。からくり時計だというのを思い出せず、単に異様なオブジェと思って写真撮って立ち去ってしまった。もうちょっと待てば開くところ見れてたのに。

片塩商店街

 どんどん南に歩いていくけど、しれっとこんな厨子二階の町家と、SANYO住宅設備ストアなんて味のある店。
 高田の町には、商店街以外のところにもこんなレトロ商店が散在していて、かつての商都の面影を残すとともに、ことごとく商店跡なのが現代の衰退も感じさせてしまうのだった。

 このたこ焼き屋跡は住んでた頃から目立ってたな。国道168号沿いにあって、さすがにこの周りは建て替えが進んでマンションも増えてるのに、取り残されたみたいにこれだけそのまま。

 そして片塩商店街というところに。
 ここは大和高田市南側の中心地で、高田市駅前の商店街にあたる。
 まあこっちも賑わってるとまでいわないけれど、開いてる店が多い。ちょっと向こうの近商ストアまでの小さなエリアにとどまって、あんまり商店街が広がりすぎてないのがいいのかもしれない。
 私も買い物にはちょくちょく来てたな。まあその、単車転がしてイオンモール橿原に行ってしまうことが多かったのも否定しないけれど。

 そして駅前でいいところに陣取る石園座多久虫玉神社。
 安寧天皇の時代に片塩浮穴宮が置かれた都だったという場所(安寧天皇が実在するとは考えづらいけれど)で、式内大社。
 しかしのどかな奈良県でも、さすがに駅近すぎる便利なところにあるせいか、境内にはこども園があり駐車場があり、鎮守の森というのも本殿裏に数える程度の木が立ってる程度、お社も伝統的な感じではなく……と。

 このあと、住んでいた借家の前を通ってみたり(流石に今誰が住んでるかわからない民家の写真とかは撮らない)、よく買ってた米屋さんがもう閉めてしまったらしいのを見たり。
 しかし、商店街も退潮してるのが見えちゃうし、近鉄電車もこんなに本数少なかったかな、とか、南大阪線って2両編成なんて走ってたっけ、とか、寂しくなっていく感じはしちゃったなあ。
 このあたりは国道168号沿いのロードサイド店が商業の中心で、駅前商店街が盛り上がらないのは仕方ないんだろうけど。

 住んでたところの近くに、多分かつては農業用水だったらしいため池がある。

 ここほんとにすぐ近くだったから、散歩に来るのにちょうどよさそうだったんだけど、来てたとしても1~2回程度っぽいなあ。ぜんぜん記憶がない。

 なんかハンドルがあるけど、水門かな?


 と、久しぶりに大和高田を歩いてみても、思った以上に街の景色の記憶が薄かったな。あんまり変化してるという感じもないのに。
 やはり、私が高田にいた半年間は、精神的に余裕がなかったのかもしれないなあ。

 仕事がなー、よくなかったんだよな。
 わざわざ引っ越してきてまで始めた仕事を半年で辞めざるを得なくなるんだから。私もメンタル弱いから、私が悪くて勤まらなかった仕事もあるんだけれど、このときの仕事に関しては会社が悪い。仕事が酷い。

 なんというか、私も氷河期世代だから仕事では散々な目に遭ってきたけど、氷河期世代を一方的な都合で雑に扱うのが当たり前になって、まともに従業員を扱う技術を失ってる会社、そこらじゅうにあると思う。
 氷河期世代の子供世代が働き始めるはずの今になって、人手が絶対的に不足してると。そりゃそうだ、子供持つ余裕なんか贅沢だった。
 それでもなお、給料は端金、スキルは自分で身に着けろ、残業は言われるままタダでやれ、パワハラが気に入らないなら辞めろ、と我々氷河期世代に甘え腐ってた頃の人の使い方しか知らなくなってる会社、そこらじゅうにあるんでしょ。
 私が高田にいたの2015年なんだから、その頃にはもう人手不足が迫ってるなんてわかってたはずだ。
 でも、会社に残ってて現場を動かしてる数少ない正社員が、その扱いを生き残れたタイプの氷河期世代なもんだから、自分がやられたやり方をそのままやるしか頭にない。

 今になって人手不足正社員不足管理職不足と泣き言をいってる会社、まともに従業員を扱う会社に変われてるところはどれほどあるんだろう。
 なれてないなら、そのまま潰れてしまえばいいんだ。世のためだ。


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