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有岡城址と伊丹スカイパーク(OLYMPUS E-300)

 休日出勤と思ってたら日を間違えてた、というマヌケ・アトモスフィアに満ちた土曜日。急遽どこかふらっと行けるところ、ということで、伊丹の方を歩いてみることにしました。
 カメラはE-300、レンズはZUIKO DIGITAL 14-45mmF3.5-5.6、45-150mmF3.5-4.5の2本でした。


有岡城

案内板

 JR伊丹駅と阪急伊丹駅はわりと離れてますが、今回はJRの方から。
 駅から下りたら道を挟んですぐに有岡城の本丸があるという立地。荒木村重に仕えていた武士たちも、通勤至便で士気が上がったことでしょう。彼の謀反は駅から遠い安土城に呼び出されるのが嫌すぎたせいだといわれてます。それで秀吉は大阪城を駅近に。

なかなか良い感じの木に見えましたが、特に由緒のあるもんじゃないです。

 一段高くなった本丸の上まで、駅の高架からペデストリアンデッキで繋がってる、というのは、私もそれなりに城は巡ってますが他には知りませんね。やはり荒木村重の通勤重視は(もうええ)
 こんな駅に近い平城跡なんて開発とともに消えそうなものですが、幸いにも保存されて1979年に国指定史跡に。

 本丸南側になぜか洋風のタワーが建っていて、これは伊丹氏の姉妹都市であるベルギーのハッセルト市から寄贈されたカリヨンだとのこと。公共のものとして設置されているのは日本ではここだけ。

官兵衛の藤

 謀反を起こした村重を説得にきた黒田官兵衛が捕らえられ、有岡城の牢に幽閉されたという事件があるんですが、脚に障害が残るような過酷な日々、藤の花を見て生きる気力を得ていたそう。伊丹市がいうには有名らしいけど、司馬遼の「播磨灘物語」が元ネタかな。
 もちろん当時の藤なはずもなく、姫路城の藤を分けてもらって植えたもの。

 本丸北側の北西角に、当時の有岡城の石垣が残ってますね。これが現存最古の城の石垣だそう。この城は日本初の天守があったといわれる先進的な造りなんですが、なんでそんな目を持てたんだろう。今度調べてみよう。

 こんな墓石の転用らしいのも見える。古い石垣にはよくありますね。

 伊丹の街が荒木村重じゃなくて黒田官兵衛をプッシュしてるの、大河ドラマの影響だとは思いますけど、なんというかちょっとその……。

伊丹スカイパーク

 さて、東の方の伊丹空港へ向けて歩いていきましょ。イオンモールを突き抜けて、猪名川を渡る桑津橋から、南の神津大橋を。
 そのまま東にまっすぐ歩けば到着します。バス停3つくらい

 ここからレンズはフォーサーズの45-150mmF3.5-4.5に変更。

 私は関西国際空港の近くで生まれ育ったんですけど、あの空港だとこんな滑走路を真横から見れるもんではないので、このアングルは初めて。
 しかも思ったよりだいぶ近くて、ライカ判換算300mmのお手軽望遠でもこの大きさになっちゃう。

 シャッター速度は1/1000秒ですけど、思ったより近いから、追いかけながらシャッター切ったら背景が少し流れる。

 大型機は手前(空港から見ると遠い側)の滑走路で、小型機は向こうの滑走路から出る。向こうの滑走路狙いならもう少し長いレンズがいいか。

 飛び立っていく飛行機を見送る。山の中腹に建ってるのは宝塚大学、そのまわりの住宅街は雲雀丘花屋敷のほう。
 昔「ざまぁKANKAN」という番組で、山田雅人がビバリーヒルズ・コップをもじった「雲雀丘花屋敷コップ」というコーナーをやってましたね。いななきパンチもあのコーナーのネタだったか。

 カメラマンももちろん大勢いましたが、わざわざE-300持ち出してるのは私くらいのもんでしょう。

 離着陸の瞬間も追えるのがええですね。

 しかし2GBのコンパクトフラッシュにRAW+JPEGで撮りまくってたら、何度もバッファフルでシャッター切れなくなり、さらにはメモリーカードが溢れて撮れなくなっちゃった。このへんは古いカメラは仕方ないな。
 あまり私は飛行機の撮影に詳しいわけでもないんで、ただ撮っただけの写真やなあという程度ですが、もう少しカメラと知識を整えてまたそのうち行ってみるかな。

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