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柏原で冬のぶどう畑を歩く(LUMIX GF1 / G VARIO 14-45mmF3.5-5.6)

 先日、柏原市の横穴古墳を歩いてみた時、「全然知らなかったけど柏原って面白いのでは」と思ったので、また行ってみました。

堅下ワイン

 柏原市の名産品といえば、やはりブドウとワイン。

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 近鉄大阪線で移動してたら見えてくるこの柏原ワインの看板、あのへんを歩いてました。この看板付きの山は合名山といって、山全体がぶどう畑と化しております。

 この山を西に降りてきたあたりに、ここらで大正時代からワイン醸造をやってるカタシモワイナリーという醸造家があります。

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 そうすると、直売所があったりするんです。

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 せっかくだからね。
 この「天使の果実」が甘口の低アルコール(7%)で、私みたいなワイン飲み慣れてない人にも飲みやすいと。
 今飲んでるんですけど、さすがに度数低いだけあってアルコールが当たるような感じがなく、たしかに圧倒的飲みやすさ。うん。

 もちろん普通の度数のものも、甘口辛口色々あります

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 それからこの青いカップは、信貴山口駅すぐそばの越智製陶所というところで作ってるもので、この直売所が販売店のひとつだそう。通販もある。陶芸家の方は丹波立杭焼で修行して、大阪で独立した方と。
 ほとんど黒に見えるくらいで、光を当てたら青みが見えるくらいの深い青で、これはいいな侘びてるな、と購入。
 上の写真の左のは、滋賀で出くわした復興膳所焼で、これも見たときに「黒に見えるくらい深い赤がいい」って買ったの。もう長いことお酒飲むのに使ってるけど、私の趣味わかりやすいな。

 さっそくいい買い物をして、荷物の荷重を増やして山へ。
 一般的には散策の最後に立ち寄って買い物するのがよろしいかと思います。

ぶどう畑

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 ワイナリーで配布していたマップに従って歩いてくると、「柏原のぶどう産業について」という歴史解説板がある。

 堅下村では、明治11年(1878年)に中野喜平氏が甲州ぶどうの苗木を持ってきて育成することに成功、綿栽培が衰退していったのに代わってぶどう栽培が広がっていった。昭和10年には大阪府のぶどう栽培面積866ha、その1/3が堅下村というほどに。
 温室栽培を大正頃に始めて、それが戦争で空爆の目標になると思われて撤去されるなど逆風もあった一方、ぶどう栽培は、ワイン醸造でできる酒石酸が電波兵器に必要だからと(私のミリタリー知識じゃなんの話かわからない)生産統制も受けずに済んだとも。
 その後はジェーン台風・第二室戸台風による被害や、宅地化によってぶどう畑も減少、昭和10年に現在の柏原市の地域に510haあったのが、今は約150haまで減少。生産量は収穫効率が上がってさほど減ってないそう。
 現在の柏原市は、栽培面積・収穫量とも羽曳野市に続く大阪2位。品種が豊富でワイン・菓子などへの加工が盛ん、観光農園も多いとのこと。

 で、畑の隙間みたいな細い道を登っていく。

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 ぶどうの枝が手の届くような位置まで伸びてきてる。冬場だから収穫も済んで葉も落ちてるけど、また時期選んで見に来ようか。

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 ぶどうの樹はつる性だから、日本ではこうやって棚に仕立てることが多いそう。

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 上がっていくにつれて大阪の町並みがパノラマになる。

智識寺跡・観音寺

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 山を登っていった先の展望台、すぐ後ろが砂防ダムになってて、そこに壁画がある。このあたりに河内六寺のひとつ・智識寺があって、その盧遮那仏と伽藍が描かれている。

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 すぐ近くに、曹洞宗の観音寺というお寺があって、これが智識寺の法灯を継いでいるとのこと。昔の経机が現存している。

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 別に大きなお寺ではない、というかこぢんまりしてるくらいだけど、鎌倉時代に源頼朝が命じて、衰退していた智識寺を統合するよう命じられたと。
 この石垣はえらく立派に見えるけど、いつのものだろう。戦国時代にしても後の方の作りじゃないか。石段も補修はされてるもののかなり古そうだし、なにか縁起があるのかなあ。

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 上がってみると、他に行くところもないくらいコンパクト。
 右の方に写ってるのが「へちま大師」と呼ばれて、祈願を書いたへちまを捧げると、特に喘息が治るという。

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 参道脇の桜の木がまた、何歳だろうってくらい古い。咲く頃にはどんなもんだろう。

清浄泉・石神社

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 智識寺には聖武天皇なども行幸して、行宮も作られていたほどなんだけれど、この井戸がその頃にも使われてたんじゃないか、という古泉。

 じゃんじゃん汲んで商売するようなことをするんでなければ汲水していいとのこと。
 水質検査の結果も掲示してあって、「生水は飲まないように」と書いてあるけど、大丈夫やろと少し飲んでみました。やわらかい水で確かにうまい。

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 もうちょっと降りてきたら、また見事なでかい御神木がある。
 石神社の楠で、樹齢800年くらいという。天然記念物。

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 根元の方はこの太さ。

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 持ってたカメラが14-45mmつけたLUMIX GF1だったもんで、換算28mmの画角じゃ雄大すぎてさっぱり収まらない。

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 石神社の南側が「歴史の丘展望公園」と整備されていて、そこから見るとやっと楠の全貌が見える。

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 石神社の本殿は階段の先。

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 階段の先は、ほんとに拝殿がある以外は行くところがないくらいこぢんまりしている。

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 なぜか狛犬が耳に五円玉を載せている。

伝・木沢長政の墓

 長政というひとは、浅井・黒田・山田・浅野・池田などいろいろな家から出てるけれど、大阪で有名な長政と行ったら木沢長政
 なに知らない? それは信長→秀吉→家康史観に支配されてしまってるな。応仁の乱からの戦国時代前期に、三好長慶が天下人になるまでの時期に活躍していた、かなりの梟雄といっていい人物。松永久秀くらいの存在感はあると思うのだけど。

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 で、そんな人の墓がここにある、という案内板がある。かなり広い共同墓地なんだけど、案内板の近くに五輪の塔なんて見当たらない。
 よく墓地を眺めてたら、ひとつ、かなり背の低いずんぐりした五輪の塔があって、これはもしや? と思って近づいてみたけど、個人のお墓なのかどうか区別できなかった。
 どうやらそれが正解だったらしいんだけど、使われているお墓だったら勝手に写真撮るのもいやらしくて遠慮しちゃった。

 木沢長政は最終的に勢力争いに負け、このあたりで起きた太平寺の戦いという合戦で討ち取られたので、末裔が墓を建てて弔ったらしい。

二宮神社

 ニノミヤ神社というのは、イチノミヤ神社に続く形で全国にあるんだけれど、これはフタミヤ神社と読む。
 杵築神社と春日神社がここに並び立っていて、同じ安堂村の人が両社の氏子に分断されて対立するようになっちゃって、大正13年に両方を廃社して新たに二宮神社を建立した、と。
 私はけっこう神社よく参ってる方だと思うけど、そんな神社聞いたこと無いぞ……。

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 ネットでは、この社殿の周りが森に覆われてるような写真がよく見られるんだけど、私が行った2022年1月現在、この通りすっきり日当たりが良くなっている。
 ここも、階段を上がるとほとんど余剰スペースがない。近隣の神社やお寺が似たような様式になってることは時々あるけど、柏原では「小高いところに隙間なく建てる」みたいな流儀なんだろうか。

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 杵築神社跡、という碑があった。
 現地では説明がなさすぎて、なんで神社の境内に別の神社の跡地なんて碑があるのかと首を傾げたけど、経緯が経緯だから説明もし難いよな。


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