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三雲城の穴太衆初期作品 (J limited 01 / smc PENTAX-D FA MACRO 50mmF2.8)

 3連休初日にちょっと足を伸ばして、滋賀県は湖南市に城跡めぐり。三雲城というとこにいってきた。

柘植駅

F2.8 1/90s ISO100

 三雲城の最寄り駅は、JR草津線の三雲駅。
 奈良から向かうなら、関西本線で木津→加茂→柘植と乗り継ぎ。
 途中の柘植駅は、伊賀上野行きの観光客をあてこみまくっていた。ニンジャナンデ?

 でまあ、このレンズはこういう距離で普通に撮る分には、絞り開放でも特にアラを感じるような写りはしない。
 歪曲収差補正も周辺光量落ち補正もオフ。オンにすれば補正前後の違いがわかることはわかるんだけど、オフでもほぼ気にならない。
 周辺光量はまあシーン次第で落ちてるのがわかることもあるけれど。

F2.8 1/30s ISO400

 ゆび。

東海道・三雲

 19世紀からある路線をのんびり乗り継いで、三雲駅到着。
 駅とかはそう古くもない建て直されたもので、これというほどでは。

F2.8 1/90s ISO100

 駅からちょっと東、天保義民の碑というのが建っている。
 近江では天保13年に大規模な総百姓一揆があった。
 天保10年まで6年にわたって続いた大飢饉(ニカラグアの火山噴火で冷害になったらしい)の直後だというのに、天保の改革を始めた幕府が検地して税収増を図った。
 それに対して甲賀の村々が一斉に蜂起して万単位の人数で押し寄せ、現地を治めていた三上藩・水口藩なども同情的な態度をとって、幕府から検地の延期10万日の証文を勝ち取った。
 しかしこういう争乱を起こしたからには、指導者とされた庄屋が何十人と死罪・獄門や追放刑などの犠牲になった。それが明治になって名誉が回復され、明治31年にこの碑が建てられた。

F6.7 1/250s ISO100

 旧東海道の方へきてみると、常夜灯がある。
 東海道はこの東で、すぐそばを流れる野洲川を対岸に渡るようになっていて、横田の渡しという渡し船があったらしい。こっちがわのは小さいけれど、反対側のはもっと大きいらしい。
 私はここから西の方へ。

F6.7 1/250s ISO100

 微妙大師万里小路藤房卿墓所、とある。
 万里小路藤房は、太平記に登場する公卿で、後醍醐天皇に厳しく諫言を繰り返したが無視されるのに起こって出家。以後どうなったかわからないんだけど、伝説として京都妙心寺の授翁宗弼(微妙大師)がそうだという説もあり、それに従ってる碑らしい。
 そんな高僧の墓所がこんな道端に、って感じだけれど、昔そういうお寺でもあったんだろうか。

 東海道沿いは、時々こんな碑があったりもするものの、現在は生活道路感が強くて、それほど立ち寄るところが多い感じではなかった。
 つまらない、ってんじゃなくて、街道を行く感はちゃんとあるんだけど、どう言えばいいか……。道沿いの住宅とかは現代風だし、写真に撮っちゃうとただの郊外の住宅地の道路になっちゃうというか。

F3.5 1/90s ISO100

 街道沿いの休憩所では、三雲城を観光資源にしようとアピール中。
 しかし六角氏の重臣三雲氏の城だといっても、そこそこ戦国時代に詳しくないと出てこないだろうし、ちょっとむずかしいのでは……と思ったら、猿飛佐助を持ち出している。
 司馬遼が「風神の門」に、猿飛佐助は三雲成持の兄の子・賢春だという説を書いちゃったので、湖南市としては丸乗りすることにしたらしい。

 私はやってないけど、御城印を集めるなら休憩所そばに自販機があっていつでも買えるようになっていた。

F3.5 1/90s ISO100

 すぐ近くに、東海道を横切るトンネルがある。
 ここを流れる大沙川(おおすながわ)が天井川で、それを横切るために掘られていた。
 どうもこのあたりでは天井川が複数あったみたいなんだけど、奈良時代に寺院造営のためにこのへんから木を伐りまくり、禿山になって川が土砂を流すようになり、どんどん天井川になっていったと。
 このトンネル、だいぶきれいな造りだからわりと新しいのかと思ってたら、明治17年に滋賀県初の道路トンネルとして、花崗岩の切石積で作られたものだと。総切石造りのトンネルとしては日本最古。見事なもんだなあ。

三雲城

F4 1/125s ISO100

 で、隧道を西側に抜けてすぐ、大沙川の堤防へと上がっていく道があり、それが三雲城址への道だという。

F4.5 1/180s ISO100

 確かに道になってはいるけど、しかしかなりギリギリなところもある。
 ここでどっちに行くかわからなくなって川底に踏み込んじゃった。右手に一段上がる感じで行くのが正解。

 大沙川の西側に開発された住宅地の端あたりで、この登山道は舗装道路に合流。住宅地を通ってくれば車でも来れる。

F2.8 1/60s ISO100

 Googleマップに「奇岩」と登録されている岩。この角度で見ると象に見える、らしい。ま、まあ、右向きの象が鼻を振り上げてこっち向けてる感じ?

F2.8 1/45s ISO100

 こっちからだと犬に見えると。左向きの犬かな。
 この三雲城がある山はいい岩が出るようで、道端にごろごろしている。

 もう少し上がると、三雲城址の案内所がある。
 ここで登山者の把握をしているらしいので、署名していった。
 車で来た場合はここにも駐車場があるけれど、もう少し上がった先にもある。

 案内所から、舗装道路と、未舗装の歩道が川沿いに続いている。
 城が現役だった頃の大手道がどっちかともわからないけれど、とりあえずせっかくだから未舗装路のほうへ。

F2.8 1/30s ISO

 道端を見ると、なんか石垣がある。ちょっとしたものだし最近積んだものかな、とも見えるけれど。

F2.8 1/30s ISO100

 これも石垣なのかな。どうなんだろう。

F2.8 1/60s ISO100

 なんか堀切に土橋を渡してるように見えなくもないところも。
 やっぱこれが大手道だったのかな……。

 で、未舗装路と舗装道路が交差するところで、城址登城口がある。
 休憩用のベンチとか、杖とかが用意されてるので来るとすぐわかる。

八丈岩

F2.8 1/90s ISO100

 登城口はすぐ分かれ道になっていて、名物の八丈岩がある右手と、城の大手道らしい左手。せっかくだから八丈岩の方へ。
 ただ登城ルートとしては、こっち側はけっこう急な坂で、階段を作ってはいるけど段がやたら高かったり。八丈岩あたりは岩場で、通路もちょっと通りづらい感じのとこも。サンダルとかで来てたらちょっと危ないかも。

F4.5 1/180s ISO100

 八丈岩にはすぐ到達。しかしいきなり眼前に現れる感じで、50mm一本じゃ収めきれない。ここは広角ほしかったな。
 この岩が今にも落ちそうで落ちない形で立ってるから、受験生が合格祈願にくるみたい。

F11 1/250s ISO100

 ここからは北西方面の眺望がある。

城址主郭

F2.8 1/90s ISO100

 六角氏の隅立て四つ目結の家紋が刻まれた岩……とのことだけど、どこ……?

 三雲氏は近江六角氏の重臣、あるいは従っている同盟者くらいのポジション。関係は良好だったようで、六角氏は観音寺城を脅かされたら三雲城に逃げる、まあ後詰めの城みたいにしていたそう。
 現地案内板では、1537年と1568年に六角氏が逃げてきたとあるんだけど、68年は信長と観音寺城の戦いをやって負けたときだからわかる。
 37年ってなんだろう。この頃は、将軍足利義晴に六角定頼と細川晴元の協調体制をとって、わりと落ち着いてた頃と思うんだけれど……。

 1570年、信長が浅井に裏切られて大変な目にあった直後のところで、甲賀に逃げてきていた六角義賢が甲賀武士の協力を集め、野洲河原の戦いに臨むのだけどあえなく敗北。
 三雲氏も、三雲定持が戦死してしまう。
 結局その後は、子の成持が引き継いだけど苦しくなって織田氏に降伏。三雲の土地も失って浪人になり、織田信雄、蒲生氏郷と使えて、最終的に徳川の旗本になって、子の成長が旗本として三雲の地に返ってこれたそう。

F2.8 1/30s ISO200

 家紋の岩からさらに上がってくると、石垣で組まれた桝形虎口がある。
 城の石垣というのは鉄砲が現れたから対策として使われるようになったもので、観音寺城が1550年頃にそうしたのがごく初期のものらしい。
 三雲城は1487年に築城されたのだけど、1550~60年代にはこうされてたのかな。この城の場合はそこらじゅうに岩があるから、石材をふもとから運び上げるような苦労はしなくて済みそうだし。
 マイナーながらも、これはなかなか面白い城。

F2.8 1/30s ISO200

 石切矢穴列痕、石垣のために岩を割って石材にするために、一列に楔を打ち込んでそこから割る、という作業をした形跡。
 この石垣は穴太衆の仕事らしくて、安土城で名を挙げる前の穴太衆の初期作品といってよさそう。

F2.8 1/30s ISO400

 虎口を入ったらすぐに井戸があって、これも穴太衆の仕事だと。

 この井戸のあるあたりが城の主郭。
 天守を置くような時代の城ではないから、天守台とかはなし。郭自体もあまり広くはなかった。

 で、さらにもう一段上に、小さな郭が3つある。
 現地の呼び名で城郭1が主郭、上がったところが城郭2。そこから南と西に城郭3と城郭4。

F9.5 1/125s ISO100

 城郭2は明らかに見晴らしがよくて、この写真の左手に見える高い山が菩提寺山で、更にその向こうに頭が見えるのが近江富士こと三上山。
 湿度の低い日なら左手に琵琶湖まで見えてるそう。
 ここなら、琵琶湖方面からの敵軍もよく見えそうだ。
 NHKの朝ドラ「スカーレット」でもここからの眺望が使われたとか。

 いかんせん六角氏の重臣の城、というのは知名度が苦しいところはあるものの、巨石だらけの山の中、穴太衆の初期作品たる立派な石垣が構えられ、東海道・中山道の交点を見張る城であることを体感できる、なかなか見事な城だった。

F2.8 1/30s ISO100

 城から降りてきて、案内所から別れていた舗装路の方から降りてきてみると、見事に真っ二つに割れた石がある。

 どうもその、こんなに良い城址なのに三雲成持の城じゃ人が呼べない、と、湖南市的には忸怩たる者があるらしい。
 で、「猿飛佐助ゆかりの城」と司馬遼の説に丸乗りしてどうにか知名度の高い人を引っ張り出す。そして八丈岩のあたりでは「佐助が幼少期に修行していた」とアピールしちゃっていた。
 そんな湖南市なので、この岩には「三雲城址にあった炭治郎が切った岩」と鬼滅ブーム丸乗りの看板を立てちゃっている。ちょっと笑ってしまう。「?」とかつけてごまかさずに断言しちゃうのが良い。

F2.8 1/30s ISO800

 この城ではこんな岩も転がってた。いい感じに割れてるな。
 これ、「私は片眉を剃って俗世への心残りを断ち、三雲城址の山奥で空手の修行をしていた。これはその時に手刀で割った自然石である。(大山倍達・談)」とか書いておいたらどうだろ。

観音寺

 城から降りてきて少し西にいくと、観音寺というお寺がある。

F2.8 1/60s ISO100

 元は金光山光明寺という名前で、811年に嵯峨天皇が勅願で建立した。
 伝教大師がきて天台宗に改宗され、その後も大きなお寺だったらしいんだけど、1571年に信長の侵攻を受けて焼失。
 それから享保の頃(1716~36)に、妙感という僧がきて復興させ、山号も龍王山観音寺と改められた。

 ちょっとなんか、どうにも変わった作りの境内で、入ってみてもどうも人が住んでるお宅みたいな建物が目に入って、どう見てもお堂じゃない。
 少し奥にもうひとつ建物が見えたけど、これもまたどう見てもお堂ではない。
 ご迷惑になっても悪いから出ようかと思ったら、お寺の方に声をかけられて「奥にいってくれたらいいですよ」と。

 それで奥に行ったら、上の写真の六角堂。これが本堂らしい。
 観音寺、という名前で、本堂が六角堂。そういうことなのか。

 で、このお寺、なんでだかわからないけどめちゃくちゃ多数のお地蔵さんがいる。

F2.8 1/45s ISO100
F2.8 1/30s ISO100
F2.8 1/30s ISO100

 なんでこんなにたくさん……?

F2.8 1/90s ISO100

 大きな仏像も何体かはあったけど、お地蔵さんの数に圧倒されてしまうな。

F4 1/125s ISO100

 それから、どうも不思議な花の咲かせ方をしている。これは大きめの仏像の足元なんだけれど、そこになぜかこんなふうに。
 他にも、なんというか、ひたすらトレニアの花が、踏まないと歩いていけないくらいのところにびっしり撒かれてたり。

 お寺の常識みたいなものに囚われないようなお寺で、なんとも不思議なところだったな。

東海道・夏見

 大体このあたりは、東海道五十三次の石部宿から水口宿の間くらい。
 観音寺から降りてきたあたりが夏見といわれる土地で、このへんにあった茶店が黒蜜ところてんの発祥の地だったとか。

 近くに夏見城という、甲賀五十三家のひとつ・夏見氏の居城があった。
 今行ってみると看板だけ。まあ仕方ない。写真もちょっと難しい。
 三雲城と違って降りてきたところにあるから、どっちかというと居館に近いようなものだったのかもしれない。
 近くの堀の後を発掘調査してたら、夏見氏の誰かが使ってたらしい真鍮の毛抜が発掘された。

 夏見氏は三雲氏以上にマニアックすぎるけど、島原の乱のときに幕府方から甲賀古士が10名参加して、潜入調査などのニンジャ的活躍をしたそうなんだけど、そのなかに夏見角介という人がいたとか。

F4 1/125s ISO100

 大沙川隧道に続いて作られた、由良谷川隧道。これは1886年竣工。
 さらに西の方にもうひとつ、家棟川も天井川で同じような隧道があったけれど、これは河川改修とともに隧道も撤去されてしまった。
 現存するふたつは、土木遺産として評価されるようになって取り壊しを免れた。まあ今の交通には不便そうに見えるけど、車は近くの県道4号線とか対岸の1号線を通るし。

F4.5 1/180s ISO100

 由良谷川も改修は住んで、以前の川筋のすぐ横を流しているみたい。水なかったけど。

F2.8 1/90s ISO100

 最後に北島酒造という造り酒屋に寄ってみようと思ったら、祝日・日曜はお休み。なんてこった……。

 ここから甲西駅にいって帰路へ。

 マニアックだったけれど、いい城にいけたな。

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