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【三度のうつから社長になるまでの話】①


突然ですが…
今の私はどんな人に見えてます?

・森の中にあるログハウスに住み、悠々自適に薪ストーブのある暮らしをしてる人?

・自然が好きで、写真が好きで、好きなことだけして生きてる人?

・美味しそうなショートケーキ作れる
元パティシエさん?

・昨年、薪ストーブ屋の社長になった人でしょ?

・社長になったって言っても、家業を継いだだけでしょ? ←あれ、ちょっとネガティブなのはやめてw

・結局何やってる人?

こんな感じかな?

なんでこんなこと聞いたかって、
最近、出逢った方もいるので、私自身の話をしたいなぁと思ってね。

↑これ、だいたいその通りなんだけど、

いやいやいや、違うの、違うの!って
言いたい私がここにいます。笑

特に社長になった経緯のとこね。

簡単な道のりでは無かったんだよって、
言いたい私がここに。

これから私の、
“三度のうつから社長になるまでの話”
をしていくね。

もし、今、あなたが

人間関係に悩んでる
辛い状況にいる
変わりたいのに変われないって思ってる
好きなことだけして生きたいのに

って、思っているなら、
お役に立てると思うから、
最後まで良かったら、読み進めてみてね。

*****

4年前の私は、毎日毎日泣いていました。

あー今すぐ、どっか消えていなくなりたいって思ってました。

死んだら楽になれるのに…って
心の奥で思って、

子供の前では、母として、
笑顔でいることに努めてました。

和食屋の女将の朝から晩まで働き詰めの生活と、
口を開けば喧嘩ばかりの夫婦生活にケジメをつけ、

離婚したばかりで、
息子と2人の生活を送ってました。

その頃、小学校入学した息子が
「学校行きたくない」と、行きしぶりが始まり、

「学校行けない僕はダメなんだ」と
自分の名前に✖️を書き、自分を責めはじめてしまいました。

行けない理由は
「先生の怒る声が怖くて教室に入れない」から始まり、
担任が、ふざけた子、出来ない子は黒板に名前を書き、✖︎をしていたことが判明。

そこから、完全不登校が始まりました。

でも、私はシングルマザー。
仕事しないと生きてけない。

その時の仕事は、有機農家さんで加工品の商品開発と製造で、

やりがいもあったし、優しい社長夫婦と仲間に恵まれていました。

最初は、子連れで仕事をさせてもらって、給食だけ連れて行ったりもしたけど、

周りの目、学校とのやりとり、仕事で大きな失敗もしてしまい、

息子の心も私の心も限界に。

息子は言葉を繰り返す言動が始まり、
トイレも一人で行けなくなる母子分離不安に。

私は、頭痛と呼吸困難、倦怠感が出始め、休みがちになり病院へ。

人生三度目の”うつ”と診断が出されました。

仕事にも行けず、不登校の息子と2人、
引きこもりの始まりです。

親には頼れなかったのか?と思う方も
いるかと思います。

答えは、

はい。頼れませんでした。
なぜなら、
親に会うと頭痛がして、息が出来なくなり、寝込んでしまう、適応障害というものになっていました。

どん底でした。

続きは次の投稿②③へ

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