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今日はなんの日

 今日は休日。アヤはいつもより少しゆっくり起きて、洗濯をしながらいれたてのコーヒーを飲んでいた。特にこれといった予定は無い。洗濯が終わったら外の空気を吸いに行こうかな…とぼんやり考えていると、インターホンが鳴った。

 「俺。」

 聞き慣れた声がして玄関のドアを開けるや否や、隙間から突入するかのようにイサムが玄関に入って来る。靴を脱ぎ捨て、手に持っていた物を無造作にアヤの胸元に押しつけて寝室まで直行すると、ベッドに倒れ込む。

 「ねえ、なんでいつも突然来るの?私が今日は休みなんて言ってないし、出かけてたらせっかく来たってそうして寝ることもできないよ。だから合鍵持ってっていつも言ってるのに。」

 ベッドの上のうつ伏せのイサムに向かってアヤは話しかける。近頃いつも同じことばかり言っているから、そんなに話し上手でもないのにすらすらと喋れることに自分でも呆れてしまう。そして決まったようにイサムはぼそっと言う。

 「アヤが居ない部屋に来たってしょうがないじゃん。」

 「起きたらご飯ができてる部屋ってことでしょ、いつも狙って来るの、勝手だなあもう…。」

 すでにイサムの寝息が聞こえて来る。軽いため息をついてふと自分の手元を見ると、さっき押しつけられたものに気がついた。包装紙に包まれているのは淡いブルーの小さな花。見たことはあるけどなんて名前だっけ。日ごろ花を飾る習慣がないアヤは、花についてあまり詳しくない。ちょっと戸惑って見つめていた。地味な花1、2本とささやかなかすみ草。リボンはかかっていない。今日何かの記念日だったっけ。ううん、多分なんの日でもない。

 これが豪華な薔薇の花束だったら嬉しいんだろうか。でも、残念ながら薔薇をもらったところでこの部屋には似合う花瓶なんて存在しない。くるりと部屋を見渡すと、キッチンの片隅の洗いっぱなしの洋酒の瓶が目に入った。これでいいか。アヤはその瓶に水を注ぎ、包装紙から取り出した花をとりあえず無造作に差した。まるで野原から摘んできてそのまま飾ったようだ。

 「あ、いい感じ。」

 アヤのシンプルな部屋には、このくらいのさり気なさが良く合う。テーブルにリネンのマットを敷きその上に花を置き、いつの間にか脱水まで終わっていた洗濯物を手早く干し、バッグを斜めに掛けて計画通り外へ出る。 

 外を歩きながらイサムのことを思う。突然やってくるのはいつものことで、たいてい仕事の徹夜続きのあとだ。イサムの仕事に対する情熱も、息抜きに来る気持ちもわかっているつもりだけれど、だからと言っていつでもイサムのペースに合わせていられるわけではない。

 アヤ自身もこれまでもこの先もずっと仕事を続けていきたいと思うし、そのためには常にお互いに理解し合えて尊重し合えるパートナーが理想だ。

 「一緒に暮らしていれば、もっとコミュニケーションがとれるのかな。」

 アヤの部屋の合鍵を渡そうとしても断られ、イサムの部屋の合鍵も預かっていない。付き合い始めて何年も経つのに、他人でなくなる一線をイサムは越えようとしない。

 「結婚ってかたちにこだわるわけじゃないんだけどさ、いつまでたってもイサムとの間には透明な間仕切りがあるみたいな感じがするのよね。」

 呟きながら、足は近所の商店街に向かっていた。いつもの休日と同じように、まとめ買いをするために行きつけのスーパーに向かう。きちんと献立が決まっているわけでは無いが、悩むことなく食材をカゴに入れていく。

 特に凝った料理を作るわけでもないが、イサムはアヤの料理をいつだって残さずにたいらげる。食べ終えたあとのイサムの笑顔を思いだしながら選んでいると、いつの間にか買物カゴの中にはイサムの好物が増えていく。

 「もう何年も同じようなこと続けて来たけど。」

 食べることだけではない、好きな音楽、映画、ファッション、生い立ち、大切にしているこだわり。その他にもこれまで一緒に過ごして来た年月の中で知り得たイサムの様々な情報が、アヤの中には溢れている。

 「でも、一番肝心なこと。私のことをどう思ってるのか、それがわかんない。」

 ふとそんな思いに気づくとき、アヤはいつも不安になる。果たして自分がイサムのことを知っているのと同じように、彼もまた自分のことを知ってくれているんだろうか。

 「そもそも、知っているのとわかっているのって、同じなのかな。私だって本当のイサムのことわかっているのかどうか、自信ないな。」

  少し重い気持ちで会計を済ませ、スーパーを出る。今日もこのあとまたいつものようにふたりの間柄はなんの進展もないまま時間を重ねていくんだろうか。

 少し歩くとふと花屋が目に入った。ロゴの入った赤いテントの下でバケツに入れられて小さな花束が並んでいる。いかにも商店街に似合う昔ながらのお花屋さん、といった趣だ。前を通りかかると、店内に少し入ったあたりにイサムが持って来たのと同じ花があった。

 「あいつ、ここで買ったのかな。お店の人に呼び止められて上手いこと言って買わされたのかも。もしかして可愛い女の店員さんがいたりして。」

 中をそっと覗くアヤに、店員が気づいて足早に近づいて来る。笑顔を浮かべた、人の良さそうな年配の女性だ。

 「いらっしゃいませー。どうぞ、見てって見てって。」

 人懐こい満面の笑みに納得する。やっぱり買いたくもない花を売りつけられたのか。それであんな申し訳程度の花を。目の前の見覚えのあるそのブルーの花を、つい見つめてしまう。

 「このお花、可愛いでしょ。さっきも若い男の方が買ってくださってね。」

 しばらく散髪もしていないクシャクシャの髪をしていませんでしたか。髭も伸びていませんでしたか。いつ洗ったかわからないようなよれよれのシャツを着ていませんでしたか。お風呂に入ってなくて臭くありませんでしたか。

 「それがね、とっても疲れた感じで眠そうだったんだけど。」

 当り。

 「店先で声をかけたら、ふらっと入ってらして。」

 それで勧められたままに花を。

 「その方、今日はずっと抱えていた大きなお仕事がようやく終わって、これから彼女に会いに行くって言うの。」

 来ましたけど。

 「でね、つい手ぶらで来ちゃったって。」

 いつもですけど。

 「実は、今日は特別な日なんですって!」

 初耳ですけど。

 「これまで何度も言い出せずにいたから今日こそはって!忙しくて指輪も準備してないんだけど、今日の勢いを逃したらまた言い出す勇気がなくなっちゃうって、シャイなのねえ。で、たまたまこの店の前を通りかかって、映画かなんかで花を贈る場面があったのを思い出して、せめてお花をって思ったらしいのよ!」

 ん?

 「プロポーズよ、プロポーズ!そんなお話聞いたら、つい応援したくなっちゃうじゃない?たまたまこのお花を見てたんだけど、実はこれ結婚式でよく使われるお花なのよね。だから花束をお勧めしたの。色は淡いし小さいけど本数を増やしたり他のお花と組み合わせたりすると豪華よって。」

 ん?

 「そしたらあなた!多分、彼女はそういうのは好みじゃないと思うって言うじゃない。花瓶も持ってないと思うし、大袈裟な花束ではあとで困らせるかも知れないしって。で、ご自分でこの花を2本とかすみ草って選んで、持って歩くのに恥ずかしいからリボンもいらないって。ちゃんと気持ちを伝えるから花はこれでじゅうぶん、彼女は上手に飾れる人だから、って。もう、それを聞いたら、ああこの人はその彼女って方のことを本当に好きなんだなあって思ったのよねえ。」

 そうなの?

 「ああっ、私ったらお客様につい余計な話を!でもなんだかこっちまでとっても嬉しくってねえ、ごめんなさいね。ええと、で、あなたもこのお花がお好み?買っていかれる?何本?」

 いえ、もう家にあります。

 また来ますと言ったような気がするし、手からショッピングバッグを落とした気もするけれど、覚えていない。だって、一秒でも早く帰りたかったから。

 「あいつ、起きたら今度こそちゃんと言ってくれるのかな。いや、言ってくれなかったら自分から言っちゃおっと。」

 二人の間の透明な間仕切りは消えてなくなった。もしかしたらそれはアヤの側だけから見えただけだったのかもしれない。そして、今日が二人にとってとっても大切な日になるという期待に、アヤの足取りはどんどん軽くなる。


                                 おしまい

 


 

 

 



 


 

 

 

 


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