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「あと一息」が長すぎる

休みなのに全然休んだ気がしない月曜日。ずっとパソコンを開いていたわけでもないのに、なんだか気持ちが休まらない。

大好きなドラマの録画を見ても集中できなくて、CMが挟まったところで停止ボタンを押してしまう。

YouTubeを見ていても没頭できなくて最初の数分をうろうろ。Xを開いても何かをつぶやく気はしない。インスタのストーリーにぶつけることも特にない。

多分、疲れている。こんな日はパートナーに電話してわーわー話を聞いてもらいたいところだけど、遅めの時間から焼肉を食べに行ったから今日は夜更かしだろう。

お風呂をあがると、両親はふたりで追いかけているドラマの録画を楽しそうに見ていて、割り込んでいく気持ちにはならない。

そもそも誰かに聞いてほしい何かがあるのかと言われるとよくわからない。今朝目が覚めて最初に「疲れたなあ」と思って、なかなか布団を出られなかったりして。

思えば、三月ってこんな感じだったかもしれない。寒い日のなかにたま〜にあったかい日があって、やっと春だと舞い上がっていると翌日は冷え込む。

なんだかいろいろとうまくいかないなと思いながらそれでも日々を乗り越えていって、たまに嬉しい話が舞い込んできたら大袈裟に喜んで、また元の沈み具合に戻っての繰り返し。

何かひとつでもうまくいったらいいのになあと思う。今抱えているものはどれも「踏ん張りどき」ということばがしっくりくるフェーズで、「あと一息、あと一息」と周りからも言われるし自分でも言い聞かせている。

「あと一息」は具体的には7月末なのだけど、そこまでにまだあと4ヶ月ある。あと約120日、こんな夜を越えていけるんだろうか。

夢に向かって努力するのって、途方もなく険しくて残酷なのを見ないようにしているところがある。ボルダリングのカラフルな壁をどんどんどんどん登っていって、決して下を見ないようにしているような。

本当は怖くて怖くてたまらないし、大事なときには結局誰も助けてくれないんじゃないかと思っている自分もどこかにいるし、そこにただ楽観的なことばをかけられても納得できないことはわかってる。

誰も頼れないと思っているからこそ、自分の力でなんとかしようと長年もがき続けてきたわけで。自分の行動と目に見える成果だけを信じないと傷ついてしまうと思っているところがある。

「今日も〇〇できなかった」という投稿に通りかかるたびに「じゃあそこまで切羽詰まってないんじゃないの?」という棘のある冷淡な自分も顔を出す。

性格が悪くなったと感じるときは精神的に疲れているときだとよく聞くけれど、本当にそうだ。

こんなわたしは嫌だなと思うわたしにも何か守っている部分はあって、この冷淡なわたしが出てきているのは自分から切り離そうとしているから。

他人に感情移入して振り回されたら、誰かの一挙手一投足に気分が乱高下していたら、今のわたしは耐えられない。

この波にも必ず意味があることを自覚して、通り過ぎるのをじっと待つしかない。もう寝れないと思うぐらい毎日たっぷり寝て、栄養のあるご飯を食べるぐらいしかできない。

「あと一息」を本当の意味で受け入れて前に進めるように、しばらくここにいようと思った。

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