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蓑虫山人が開催した日本初の縄文展

数年前にトーハクで大きな「縄文展」が開催されたように、今でこそ、日本各地の博物館や考古館でさまざまな「縄文展」が開催されている。では日本で初めての「縄文展」はどこで誰が開催したのだろうか?

答えは明治28年に蓑虫山人が開催した秋田県扇田での「神代品展覧会」だ。

この時代、書画展や骨董展が開かれることはあっても、「縄文展」とは前代未聞だっただろう。仲間内だけの会ではなく、誰でも見にこられるオープンな縄文展は、記録を調べる限りこれが最初。蓑虫山人は日本初の「縄文展」を開催したのだ。

蓑虫山人の絵日記に貼り付けられた当時の新聞記事には、高さ八寸の土偶(気仙沼出土、現在は不明)を中心に、土器が数十点、その隣の棚には曲玉に石斧のような石器類に鏃石。と、なかなかの規模だ。その他にも近代のものも展示されていたようだ。

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(写真:田附勝)

そしてこの展示を最後に蓑虫山人は秋田県を、自身の放浪に終止符を打つそして自身の夢である六十六庵の建設のため故郷に戻るわけなのだが…

実は今年の2月まで約一年かけて、僕、縄文ZINE編集長の望月と写真家の田附勝で雑誌『ディスカバー・ジャパン』で「蓑虫山人のオン・ザ・ロード」という連載をしていました。蓑虫山人とは幕末から明治前半時期の放浪の絵師で、特にその旅の円熟期でもあった40代からの20年間は東北地方を回っていました。ほとんど知られていない人物で、偉人でもなんでもないのですが、縄文好きであれば、明治初期の大先輩として知っている人も少なくないのではないでしょうか。
その連載をまとめた単行本が9月の下旬に出版されます。そのことはあらためておしらせしますが、雑誌での連載ではほとんど掲載できなかった田附のめちゃかっこいい写真も文章も2倍から3倍くらいのボリュームになっているのでマジで期待してください。ここ何ヶ月で新たに判明した事実もあったりして、まだ文章や構成は調整中です。

この日本初の「縄文展」についても詳しく紹介しています。そして秋田県を去った後の蓑虫山人の行方も。

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さて、その秋田県、秋田県立博物館で特別展『蓑虫山人ー秋田を歩いた漂泊画家』、やってます。といってもまだ行けていないので(行けるのか?)、レポというわけではありませんし、展示の何か関わっているわけではありませんが、もちろん県博も取材させていただき、それ以降も展示のお知らせや、秋田県での蓑虫の足取りの情報を教えてもらったりしています。日本初の縄文展に他にも蓑虫山人と秋田県のつながりは深く、秋田県立博物館所蔵の絵日記には当時の秋田の風景や土器や土偶を数多く描いています。

今年は蓑虫山人没後120年、秋田県博のホームページによれば、秋田に残された作品や、そこに描かれた考古資料などを紹介し、その足跡をたどった展示になっているようです。

8月23日までやっていますので、行ける状況にある方はぜひ。

僕にとっては、はっきり不要不急ではない展示なので、行きたい気持ちは満々ですが、もう少し状況を見ています。

最後に個人的に好きな蓑虫山人の絵を紹介。

男鹿半島の温泉宿で上半身裸で揮毫に向かう夏の暑い日の蓑虫山人。表情がいいんですよね。

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(写真:田附勝)

以前noteに書いた蓑虫山人の記事はこちら。どうぞよろしくです。


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