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『土偶を読む』を読んだけど(2)


前回書いた『土偶を読む』を読んだけど(1)が思いのほか読まれてしまい、著者の竹倉さんからもコメントをいただき、少し気が引けているのだけど、乗りかかってしまったので続きを書くことにする。これはつい最近晶文社というサイのマークの出版社からだされた『土偶を読む』という意欲的な本の読書感想文に似た書評でもある。

竹倉さんもあとがきでこう書いている「今後の考古研究によって私の仮説が追試的に検証され、遠くないうちに「定説」として社会的に承認されることを私は望んでいる。」であれば、ここでの指摘に限らず様々な指摘や反論も本懐だろうと思う。

『土偶を読む』の「はじめに」ではこう述べている「さあ、それでは私が「世紀の発見」に成功した人類学者であるのか、はたまた凡百の「オオカミ少年」に過ぎないのか、ぜひ皆様の目で判断してもらえればと思う。ジャッジを下すのは専門家ではない。今この本を手にしているあなたである」

あとがきとはじめにの若干の矛盾はおいておいて、その意気や良しである。ちなみに僕も専門家ではない。

各土偶の話に移る前に、気になるのは「専門家」への記述である。当初はこの「発見」を何人かの専門家に見せ、あまり良い答えをいただけなかった。そして専門家の「お墨付き」がないと、この論文を発表できなかったとのことがストーリー仕立てで書かれていて、結構面白く読みました。その過程で竹倉さんはこんな心情を吐露している「さんざん探してみたものの、結局、私の研究に「お墨付き」を付与できるいかなる「権威」もこの世には存在しない(新しい挑戦とはどうやらそういうものらしい)」と。

どの専門家に見せてどんな話をされたのかはわかりませんが、一つ言えるのは研究者は「お墨付き」のためだけの存在ではありません。自分の「論」をきちんとした「論」に磨くためには研究者の指摘やダメ出しに向き合うべきだったのではと思います。

それから、「これまで日本に「土偶の専門家」が存在したこのは一度もなかった」との記述もありましたが、土偶の研究されている方、結構いますよ!土偶の論文も結構多い。土偶だけを研究する人がいないという話かもしれませんが、それは土偶だけを研究することのナンセンスさをある意味で表しているのかもしれません。何れにせよ「イコノロジー×考古学」と銘打っているのであれば研究者の知見が絶対に必要でした。

以下に各項目で疑問だったこと、反論などを簡単に書きます。細かいところはおいておいて大きくおかしいなと思ったところです。

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3.山形土偶/ミミズク土偶

前置きが長くなってすいません。『土偶を読む』でこの椎塚土偶(山形土偶)は貝(ハマグリ)の精霊と結論づけています。正直に言います。この説は本書の中で一番面白かった説です。面白いだけではなく一番可能性も感じました。山形土偶はまさにこの椎塚貝塚のある霞ヶ浦周辺で成立したと言われ、その前の時代はハート形土偶にあたるのですが、ハートから山形に形態が変化する途中が僕はよくわかっていなくて(研究者のみなさん、資料ありますか?)、このデザインの理由の考察はすごく興味深い。

縄文人はそもそも絵を描かない人たちですが、「土偶は人形に作ってヨシ!」という社会的な了解を長い年月をかけて作り上げてきた経緯が土偶の編年を見ると浮かび上がってくると僕は思っています。ただ、人を人のまま描くのにはまだ抵抗があったようで、土偶は常に写実を外して作られています。だから「精霊」と呼ばれたりするわけですが…といっても見たことのないものを思い浮かべるのは至難の技、そんな時に近くにある貝(霞ヶ浦周辺ではありふれた存在だっただろう)をモチーフにすることだってあったかもしれません。

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ただ、検証はやはり不十分かと思います。貝と土偶の写真を比べて角度が同じで「驚くべき形態の近似」と煽っても、そんなでもないですし、そもそも貝にも土偶にも個体差が結構あるんじゃないかと思います。土偶の顔の形の類例(と貝)を集めて明らかな傾向が見えるところまで持って行って、はじめて証明なのではないでしょうか。

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山形土偶は三角頭のものが多いので山形土偶と呼ばれますが、意外と楕円形とか四角とか輪郭のバリエーションも多い。この土偶の顔は結構出土しているので、誰かが集成していたかもしれません。(下の図版は季刊考古学30から)

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真正面から山形土偶を見るだけではなく頭を立体的に検証する必要もある。ハマグリは横から見ると先の広がっている方が薄くなっていて(大体の二枚貝はそうだ)貝独特のフォルムを作っている。しかし山形土偶はそんなことはない。普通に山形土偶を見ていてもあまり「貝」という印象は感じない。竹倉さんは今まで貝だという意見が出なかったのが不思議だと本書で首をひねっていたが、それはきっと実物の印象ではなく、写真か「インターネットの画像」の印象ではないでしょうか。

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(上の図版は福田貝塚・椎塚貝塚の土偶 瓦吹 堅から)山形土偶の実際の印象はそこまで「貝」ではない。真正面から椎塚土偶を見ると貝だ!とスライドでは感じてしまう人がいるかもしれないが、土偶は立体物、2次元的な解釈には限界がある。角度を一つしか見せないのは読者にとってあまりフェアではない。

もう一つ、実は山形土偶には本書では取り上げられていない顕著な特徴(もちろん全てにあるわけではないが)があったりする。

あらためて上の実測図を見て欲しい、このようになぜか山形土偶は後頭部がぽっこり膨らんでいるのだ。後頭部の真ん中からぽっこり。これ、めちゃくちゃ面白いですよね。竹倉さんはご存知だったでしょうか?これがあるとあまり貝に見えないかもしれないけれど、こういうのを見せないのが恣意的だなと思うところでもあります。

しかし山形土偶は面白い顔をしたものが多い。ものすごく寄り目で小さい目のものも多いのでちょっとハマグリの目に似てるなとも思いますよ!

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次に「ミミズク土偶=イタボガキ論」ですが、これも土偶の編年を無視して話を進めている。山形土偶とミミズク土偶はその分布範囲も時代も連続していて、土偶のデザインも山形土偶からミミズク土偶に徐々に変化して行っていくのがいくつかの例でわかっています。だから急にイタボガキが出てくるのは無理がある話なんです。ハマグリとイタボガキは出世魚ではないので。

それから竹倉さんは「モチーフの推定の際に、こうしたシンプルな造形をみみずく土偶の原型(プロトタイプ)とみなし〜」と書かれて土偶を選んでいたけれど、原型を求めるのであればやはり「編年」を調べ、なるべくその萌芽期を調べるのが先決だろう。

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左は山形土偶。右はミミヅク土偶になりそうな山形土偶。顔にミミヅク特有の輪郭が出来始めている(jomon period展図録から)。

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これはちょうど山形土偶とミミヅク土偶の中間くらいの土偶。くまちゃんみたい〜。

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こちらの左の土偶は縄文後期のミミズク土偶。ミミヅク土偶は縄文晩期の土偶だけど、後期から始まっている、だからこれも割と早い段階のミミヅク土偶。髪型が特徴的でサイドを上まで刈り上げて7:3に分けた今流行りの髪型のように見える。右に行くにつれて新しくなっていく。髪型もどんどん盛っていく。

変化を見るとやっぱり髪形の方が説得力があるよなと、あらためて思ったり。

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データを出して、当時の食料の内訳に含まれていると『土偶を読む』の中では調べられていて、「考古学の知見を取り入れた」と言われているが、それだけは「十分条件」でしかなく、「必要条件」にすらならない。「可能性がある」くらいは言えるかもしれないけれど、絶対にそうに違いないとは、僕の知っている考古学の研究者は言えないはずだ。

また牡蠣のように形の定まらない貝を取り出してフォルムの似た不鮮明な土偶の写真と比べてみてなんとなく似てるでしょと言われてもこちらは戸惑うだけしかできない。

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こう見せるなら土偶も同じ角度の写真が欲しい。

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ミミヅク土偶の横の実測はこんな感じ。ミミヅク土偶は意外と平たい(季刊考古学30から)。

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ミミヅク土偶、山形土偶、中空土偶にハート形土偶をイコノロジーだけの面で言っても、この本では、読者を説得したいがあまりに、「都合の良い角度の写真を選びすぎ」ている。

冒頭での言葉を思い出す。

「さあ、それでは私が「世紀の発見」に成功した人類学者であるのか、はたまた凡百の「オオカミ少年」に過ぎないのか、ぜひ皆様の目で判断してもらえればと思う。ジャッジを下すのは専門家ではない。今この本を手にしているあなたである」

と、怪気炎を上げても、読者がジャッジを下す材料の選び方がフェアではない。

建設的に考えれば、例えば土偶の粘土に貝を砕いた粉が混じっていたとか、土偶に施文された沈線が貝殻で付けられている(そういうテクニックが縄文にはある)とか、貝輪を装着している土偶がいたとか、ぱっくり二枚貝が開いた顔の造形の土偶があるとか、そういったこの土偶は何か貝と関係があるようだという「確実な資料」。その上で類例をなんとか探して統計と傾向の分析。なんだかんだあって初めて「説」として議論の俎上にあげられるのだろう。

あと『土偶を読む』ではほとんど土器について語られないけれど、土偶と土器の絆を軽く見てもらっては縄文人もムッとするかもしれません。土偶だけを見てわからないことも、土器を見たらヒントがつかめる可能性だってあるし、

そもそも食物祭祀というなら直接的に食物を調理する土器にその痕跡が残っているはずじゃないのか?とも思う。そういうのは中部高地にたくさんヒントが転がっていそうだ。

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おまけ。これは土偶ではなく、土器に付けられたミミヅク土偶ちゃん。

(2)で終わりにしようと思ったけど、全然終わらなかった。ちなみに最後の遮光器土偶の章が一番頭を抱えました…。

晶文社さんも「研究者のお墨付きは要りません!」と二つ返事で出版を請け負ったはいいのですが、専門分野はなかなか一般の方にはわからない部分も多いので、研究者の「お墨付き」とは言ってみれば社会のアンカーのようなものだと思うんです。特にこういう「解明した!」系の本は。


ミミヅクの写真はこちらの展示の図録からのものが多い。

関係ないけど蓑虫山人のことは全員に知ってほしい。

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