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『土偶を読む』を読んだけど(3)完結編

反論三部作の完結編だ。こんなに長くなってしまったのは本意ではない。本を読んで反射神経で書いた最初の「思いがけない冒険」から始まり「竜に奪われた王国」。そして今回が「決戦のゆくえ」。というのはホビット三部作のタイトルだけど、このnoteの記事もついつい長くなってしまった。

竹倉さんに恨みがあるわけでもないし、僕自身も、自分自身を粘着体質ではないカラリとした男でありたいと常に思っている。のだが、始めてしまったら終わらせなければならない。ぜひ(1)と(2)もあわせて読んでほしい。

『土偶を読む』はきっと売れているだろう。「アンチも巨人ファン」理論で言えば、本noteの記事もまた売り上げに貢献したに違いない。SNSでは、この反論を支持してくれる人の方が多いようにも思えるが、『土偶を読む』にも素直に「納得した!」や「現時点ではこれが一番事象を説明できる仮説だと思う」や、「痛快!」の声が多く寄せられている。

あらためて思うのは、「皆さんこんな簡単に納得してしまうのか!」ということだ。『土偶を読む』で主張される説は少しでも縄文時代のことを調べたりしていれば、首をひねる部分が多い説だ。使用されている図版は恣意的すぎるので仕方がないとは思うが、僕からはこの言葉を送りたい。

「この縄弱!」

縄弱(じょうじゃく)とは初期縄文ZINEの人気コーナー「縄弱のための縄文時代質疑応答」で使っていた用語だ。このコーナーは縄文好きに投げられた様々な縄文時代に対する世間からの暴言にいちいち反論するコーナーだった。最近では、ある程度世間に縄文時代の理解が深まったと判断し、終了したコーナーだったが…。大阪の緊急事態宣言の前倒し解除のように早すぎた終了だったのかもしれない。

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また前置きが長くなった。早速各土偶についての竹倉さんの考察と反論を。

4.縄文のビーナス

言わずと知れた国宝の縄文のビーナス。それに連なる中期中部高地の土偶を竹倉さんはトチノミの精霊だと結論づけている。下は『土偶を読む』から。なかなかの説得力の対比だ。

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確かにこう並べると似ている。中期中部高地の縄文人もトチノミは食べていたであろう(トチノミは縄文時代の主要な食料の一つである)。しかし、ここもまた土偶の編年についての考察がすっぽりと抜けている。しかしこの本ではなぜか編年を一瞥も考慮しないのかが全くわからないのだが、、、

そもそも土偶に付けられるこのカモメライン(竹倉さんの造語)という目の上のカモメのような区画線は眉だ。固定観念で言っているわけではなく、ビーナスのように沈線(竹串のようなもので付けられた線)で付けられたものと同じくらい粘土を貼り付けて眉毛然としている土偶が結構存在する。この眉毛は両津勘吉スタイルと言われることもあるくらいつながっている眉だ。また、このビーナスの作られた時代とエリアに限定されているものではなく、この本でもあげられているハート形土偶も、後に出てくる遮光器土偶も同じ形の眉毛をしている。東北でこの時期に作られていた板状土偶という土偶もまた似たような眉毛のものがいたりする(目がなくても眉毛と鼻だけがあったりする)。時にまっすぐになったりもするが、眉毛と鼻筋をつなげて表現することは、何もここだけの話ではない。縄文時代の土偶(たまに土器)全体を通しての共通のデザインだったと言えるのではないだろうか。

眉毛はある程度の地域性はあっても縄文土偶全体特有のデザインだった。しかし、この土偶には、縄文のビーナスに連なるこの一連の土偶のデザインには、他には無い共通のデザインがいくつかある。一つは顔の造形(つり目、小さな鼻と口)とその「尻」だ。

『土偶を読む』では、この顔はマムシであると考えているが、流石にそれは無理があるように思える。マムシの目が夜になると縦に細長くなることを表したのではとしているが、つり目とは言ってもこれは縦ではない。下に山梨の釈迦堂の土偶をいくつか並べてみる(季刊考古学30から)ので、読者が判断してみてほしい。いくつかは目を瞑っているようにも見える。蛇にはまぶたはない。

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てゆうか、蛇の特徴って口じゃないの?こんなおちょぼ口の蛇っている?

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ちなみにこんな縦の目もある。雫型の目。そして片方だけ。

面白いことにこの中期中部高地の顔は、片目に表現されることが多かったりする。左右非対称なものも多く、ここには何かしらの神話的な物語の匂いを感じてしまうのだ。土偶とはもしかしたら神話の登場人物では…。なんてね!

東京-二宮森腰1

ビーナスの頭のヘルメットも蛇ではないかと『土偶を読む』で考察している。確かにこの時代のこのエリアの土偶は頭に蛇を載せているものも多い。頭の上に口を開けた蛇(ここでは蛇の特徴は口である)がとぐろを巻いている。竹倉さんはこの理由もトチノミに結びつける。マムシとはトチノミを食べにくるアカネズミを退治してくれる存在。だからマムシを頭に載せているのだと。

実は土偶が頭に載せているのは蛇だけではない。ヘビの他に、イノシシがデザインされたりカエルが載せられたりする。昨年、急逝された今福利恵さんの研究にそのことが詳しい。この時期の土器のデザインにはかなり具象的にこの3種類の動物(むしろこの3種類しか登場しない)が造形され、時に記号化され、土器に付けられる顔面把手(土偶と文様構成は同じ)や土偶の顔周りに使われることになる。竹倉さんにはぜひ今福さんの精緻な研究にも目を通してもらいたい。

カエルとイノシシはトチノミに関係するのだろうか。

そして、この中期中部高地の土偶の特有の特徴である「尻」については『土偶を読む』では最後まで取り上げられていない。そもそも中期中部高地の土偶は「出尻土偶」と呼ばれていたくらいの特徴なのに…。これだけではなく、『土偶を読む』では顔に注力していると言っても、都合の良い時だけ(読み解けた(と思った)時だけ)身体のことに触れ、都合が悪い時は、その特徴がその土偶に対して最も顕著な部分だったとしても触れようとはしない。こういうところがかねてからの縄文好きには違和感につながり、(縄弱な)読者に対しては恣意的だなと思うところだ。

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みんなお尻が特徴的(季刊考古学30から)。

「出尻」はすごく重要で、この土偶のデザインの萌芽をここからたどることができる。この土偶の「出尻」デザインは北陸で成立していた河童形土偶にその源流を見ることができるのだ。ビーナスの頭もまた河童形の影響なのかもしれない。

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これは富山県の長山遺跡の河童形土偶。顔は欠けてしまっているが、頭の下に小さくついている感じだったようだ。しかし、この土偶の面白いのはこの裏だ。

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なんとおさげがついているのです!こりゃ完全に髪型だな。

新潟のこの有名な土偶も河童形の流れを汲んでいる。頭にはうずまきも。

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別の説もあげておこう。これは縄文友達のヤスさんが言っていたけど、中期中部高地の土偶、顔面把手、出産文土器は木のウロから顔を出すヤマネをモチーフにしたんじゃないかという説だ。もちろん本人は本気で思っているわけではないが、超、似てる。

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似てるというより可愛いすぎる。もうヤマネしか勝たん。


5.遮光器土偶

遮光器土偶は里芋の精霊というのが『土偶を読む』での結論だ。その理由は遮光器土偶の極端な形状をした手足が里芋に似ているということから、土偶の文様との類似、頭は里芋の親芋で、大きな目は親芋から小芋を取り出した空洞で…………この土偶の考察は最後の章だったということもあり、すでにツッコミ疲れてしまった状態で読むこの論考はなかなかのダメージがあった。

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まず最初に言っておかなければならないのはサトイモの植生についてだろう。本書では、サトイモの栽培可能範囲を北海道の道南まで広げているけれど、一般的にサトイモが採れるのは岩手県南部が限界だ。芋煮の風習も岩手北部、北秋田、青森では行われていない。遮光器土偶が作られた縄文晩期と現在の気温と植生はほとんど変わっていない。そして遮光器土偶の成立は北東北。だからここで話を終わらせてもいいのだが。

やはり土偶の編年を見てみることにしよう。遮光器土偶は縄文晩期の北東北(メインは岩手の北側か?)で成立した土偶で、当然のように前の時代からの流れを受けている。竹倉さんの指摘する紡錘型の手足はすでに同じエリアの後期の土偶、例えば(1)でクリの精霊だと結論づけた北海道の中空土偶や合掌土偶にもその萌芽を見ることができる(すぼまって極端に小さな足)し、編年を見れば徐々に変わっていくことが見て取れるだろう。土偶の身体の模様を里芋の特徴になぞらえてもいたけれど、これも前の時代からその原初を見ることができ、そもそも同時代の土器からの転用の部分が大きい。大きな目は里芋の親芋から小芋を取った大きな空洞だと言っても、この土偶は最初から大きな目だったわけではない。頭の王冠は里芋の葉っぱとしているが遮光器土偶の頭の王冠は一種類だけではない。

カックウです

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これは最初期の遮光器土偶。上からだんだん新しくなっている。まだ中空土偶のような足をしているが文様は徐々に遮光器土偶に変化していっている。

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これは遮光器土偶の顔の変化。徐々に目が大きくなるなど後期の土偶が徐々に遮光器土偶に変化していくことが見える。一つの遺跡からの土偶の変遷なのでこれはものすごくわかりやすい。(図版遮光器土偶の集成研究 鈴木克彦から)

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頭の王冠は三種類あるそうだが、このタイプもよく見る。頭は完全に抜けている。

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これが遮光器土偶の時代の土器。里芋かどうかは置いておいて、この土器があって遮光器土偶ありと思えてしまうのは僕だけだろうか。


突然、点で見た遮光器土偶を「里芋の精霊」と言うのが無理筋なのはざっくり言えばこういう理由です。

『土偶を読む』では里芋論をさらに進め、土偶の使用したシチュエーションを考察している。里芋の保存方法が土の中に埋めて保存するとし(その辺りのことはよくわからないが、そうなんですね?)、遮光器土偶は里芋を守る守護者として一緒に埋められていたとのシナリオを提示している。

実はこう言った説こそ考古学が得意な面だと思う。出土状況、出土場所、出土数、それらを見ていけばこの説の妥当性がわかるはずだ。

たとえば里芋を土中に保存するとしたら土坑のようなものを作り、土偶を一緒に埋めるというシチュエーションが考えられるわけだけど、(ちゃんと調べたわけではないが)ほとんどの遮光器土偶は土器捨て場から見つかることが多い。土坑から出てきた例があるかもしれないが、それはあまり聞かない(土坑かどうかは発掘でわかる)。里芋の貯蔵を守るというのであれば一つのムラに最低でも一つあってもいいと思うのだけど、遺跡の数ほど土偶が出ているわけではない。

具体的に竹倉さんが土偶の使い方に言及しているのはこの土偶だけだと思うけど(間違えてたらすいません!)、思ったのは土偶の植物祭祀ってそういうことなのか?なんかもっとこう、シャーマン的な人がいて、儀式的で、拠点集落で祭りでみんな集まって…と思っていたのだが。

本章でいまだこの頃に里芋があった証拠がないことについて竹倉さんは「縄文中期農耕論」の藤森栄一先生にえらく共感していた。藤森先生がなかなか学会に認められずにいたことと、研究者からお墨付きがもらえない自分を重ね合わせていたのだと思うのだが、竹倉さんも訪れたこともあるであろう井戸尻考古館は藤森栄一先生の意思を継ぐ存在の考古館で、ここでは従来の考古学ではなかなか研究されずにいた、古今の神話との整合性や縄文土器に写される図像の研究がめちゃくちゃ進んでいる場所だということをご存知だろうか。そしてもちろん縄文中期農耕論もここが震源地だと言ってもいい。どんなに研究が進んでも賛否がある世界ではあるが、今一度、井戸尻を訪れてみてほしい。


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長々と反論を載せてしまったが、以上が僕の『土偶を読む』への反論だ。ただ竹倉さんの主張が100%間違っているとは言い切れないとも思っている。そもそも縄文時代にはインターネットもテレビも雑誌もない時代だ。彼らがもし自分の作るものの造形にモチーフを求めた場合に身の回りにあるものがその原点がある可能性は常に高いはずだ。また、縄文人は広く世界を知らなかったとしても、深く世界を理解していたと僕は思っている。自分の身の回りのことやものについては相当な知識を持っていたはずだ。だから、竹倉さんの言う、貝や堅果類や芋に何かを託したり、そのデザインを借用することは可能性としては無くはない。

この反論では、『土偶を読む』で(意図的に)論じなかった部分にスポットを当ててみた。それは主に土偶の編年と連続性と土器との関係性、恣意的すぎる資料の見せ方だ。だから反論ではなるべく客観的に資料を出したつもりだ。『土偶を読む』を読んだ方はぜひ本noteの反論(1)(2)(3)を読んほしい。同様に本noteの反論を読んでまだ『土偶を読む』を読んでいない人はぜひ『土偶を読む』をも読んでほしい。その上で、竹倉さんは真実を掘り当てたのか、それともただの「オレの土偶論」だったのか。ぜひ考えてみてほしい。で、あらためて土偶とはなんなのか思いを巡らせてみてほしい。

これはずるいことかもしれないが、僕には土偶がなんなのかという答えは持ち合わせていない。むしろそれでいいとすら思っている。もちろん、研究者ではないにしても土器や土偶を見て一つ一つの事象に常に答えを求めてはいる。答えらしきものが漠然と頭に浮かぶことだってある、しかし、調べるとだいたいカウンター的にさらにわけのわからないものが出てきて頭は混乱して終わる。それでもわけがわからないこの時代を十二分に楽しんでいる。

この本を読み、僕は、竹倉さんの「謎を解いた」は言い過ぎだし、視点以外の論考は恣意的で的外れな部分が多いと思う。

しかし、この本を読んで「その線」で縄文を読み解くことに、興味を持つことができた。もし、ただのお墨付きでは無く共同する縄文時代の研究者があらわれ、竹倉さんの説に考古学的な知見が加わったとしたら、それは本当に楽しみだと思う。

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最後に冒頭で『土偶を読む』で素直に納得した人たちに「縄弱!」と暴言を吐いてしまったことをここで謝まっておきたい。縄文時代はそう簡単に全てが解明される時代ではない。縄文時代の前では誰もがただの「縄弱」にすぎないのだと、本当に思うわけです。

縄弱 拝


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以下もぜひ。

僕も本を書いています。昨年でた二冊の本について。

文中ふれた井戸尻考古館の展示解説本「井戸尻」。縄文ファン必携の書。




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