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どうして茅葺きを残したの?⑥桾さん

茅葺きのお話シリーズ第6段

こんにちは。
茅葺き屋根の住人の方にインタビューを行う「なぜ茅葺きを残したの?」のコーナーです。
今回は第6弾、トタン茅葺きをお持ちの桾(くぬぎ)さんにお話を聞きました。

いつからのものかわからない…

くぬぎさんのおうちもとっても古いようで、97歳の親に聞いてもわからないそう。
100年は経ってるけど、200年か300年かはわからないとのことでした。

橋本さんのお話の中で
「いつのものかわからないお墓を守っている、文字が読めない」
ということを聞きました。

くぬぎさんのお墓は、そこから推測することができるのでしょうか。
坂本というエリアの中でも、くぬぎさんの家は古い方だと推測できるようで、
「大きなもの(祖父のもの?)の後ろに小さいもの(個人のもの?)がいっぱいある」ということでした。
しかし石の質が悪く、文字が彫ってあっても風化して読めないものも多いのだとか。
一応墓なので残しているようですが、家の墓じゃなくて個人の墓ではないかと思われるのもあるほどで、そこからも家の古さは推測できないそうです。
 

昔の生活

くぬぎさんが子供の頃の昔の生活についてもお話を聞くことができました。

お風呂を薪で沸かすのは子供の仕事だったそう。
"下水板"も使ってたんだとか。
釜は最初に熱しており、それを踏んで火傷しないようにするため、下水板を使っていたそうです。

幼稚園の時はテレビ、洗濯機、冷蔵庫はなく、箱に氷を入れて冷蔵庫にしていたそう。

水は井戸から汲んでいました。
上水道ができた時は、塩素が入ってるため信用できないと考えており、
その時は綺麗な井戸水を飲み水として使っていました。

しかし今は井戸水も信用できないため、上水道の方が安全なのではないかと考え方が変わったそうです。
理由を聞いてみると、雨に何が含まれているかわからないからだそう。
本当に何が安全かわからないですね…

屋根にまつわる思い出

屋根の葺き替えにまつわるお話を聞いてみました。

葺き替えの時に手伝ったりはしていなかったようで、職人さんに任していたそう。
とはいえ、毎回業者呼ぶとお金かかるから一部の修理は自分でしてたかも、とのことでした。
昔は車がないため、なんでも頼めなかったそう。
できることは自分でしていくという考え方のおかげで、昔の人は器用な人が多い!と教えてくれました。
 
今まで2回くらい葺き替えをした記憶があるそうですが、あんまり覚えてないそう。20歳までに1回くらいあったかも?とのことでした。

屋根全面を一気に葺き替えの記憶はないそうで、(小さい頃あったかもしれないけど)他の山田の方と同じでした。

茅も自分達で集めていました。
くぬぎさんの家は玄関から入ってすぐの上の天井が外れるようになっています。
昔は山に行くと茅がちらほらと色々なところに生えていたそうです。
見つけたら切って持って帰ってきて、屋根裏に溜めていたそう。
毎年刈り取り、溜まってきたら屋根を修理するという感じだったそうで、こちらも他の山田の方と同じお話が聞けました。

今は、山での作業が少なくなり、茅自体が少なくなったと感じているそう。
しかし一面ススキ畑のような大きい茅場はとくになかったそうで、周辺の自然に生えた茅を刈り取っていたそうです。

藁葺き屋根?茅葺き屋根?

不思議なのは「藁葺き屋根」という言葉使うことで、なぜかはわからないそう。
今も昔もみんなそう呼んでたんだとか。

「茅葺き屋根なのになんで藁葺きというのだろうかと思ってた。
簡単にいう時は藁葺きと呼んでる。」


確かに、箱木さんの家は昔全部小麦藁だったとおっしゃっていました。
地域の方々からも「藁葺き」という言葉をよく聞きます。
その話をすると「きっと昔は藁だったんよ!」とくぬぎさん。
茅の方が良くなったからどこかのタイミングで変わったのでしょうか? 
くぬぎさんが小さい時は完全に茅だったそうですが、茅葺きと言わなくても、藁葺きで伝わるそう。
ああいう建物が藁葺きだと思っているそうで、通称かもしれませんね。

茅葺きをトタンにしたのはなぜ?

トタン屋根にしたのは、30〜40年ほど前。

当時、職人が少なくなってきており、くさかんむりの存在も知らなかったそうです。
茅葺きの維持費はものすごい高く、管理が大変だからトタンを被してしまおうという話になったそうです。
現在は10年に1回くらい瓦の色の塗り替えをしています。
 
トタン工事をするときに、茅葺きを残したいとは思わなかったのでしょうか。
くぬぎさんは茅葺き屋根の家は「ただの古い家」のようです。
 何にために残す?今でこそ価値があると言われているけど。」とのことでした。

茅葺きに対してどう思っている?

そんなくぬぎさん、茅葺きに対してどう思っているのでしょうか。

「年代によって違うと思う。今となっては残してよかった。
昔の骨組みをそのままに残したのは面白いじゃん。昔の様子がパッとわかる。」
とのことでした。
 
今ではトタンの屋根として残っていますが、立て替えることも考えたそう。
離れが2つ、蔵も3つもあるそうで、新築で建て替えてもバランスが取れないと考えたそう。
娘がせっかくなら置いといたらということで、リフォームするという形で残したそうです。

リフォームすることで、快適な生活を送れるようになりました。
屋根が元々高いため夏は涼しく、薪ストーブやファンヒーターを入れることで冬もあったかく過ごせているのだとか。
 
残さなければならないと思ったことはないそうですが、リフォームをするのにすごく苦労されたそう。
その理由は、古い建物を扱えて、かつ新しい技術も持っている、両方を兼ね備えた業者が少なかったため。
大工さんを探すのに1年半かかったそうです。

昔は近所で協力しないと何もできなかったそうで、家建てる時も、木を切ってきて協力してやってたんだとか!

今ではそういった、地元で協力し合うことが減っていると感じているそうです。

今後の課題

家以外に、山・田んぼもたくさんありますが、自分の子供に苦労させたくないという思いをお持ちです。
昔は兼業農家でもできたましたが、草刈りばかりで儲からなくなっているのが現状、機械の維持で赤字になってしまうため、負の資産だと感じています。

その理由は、米が安くなったのが一番とのこと。
なんでも物価上がっているのに、米だけ下がっています。
昔は一升瓶一本で日当払えたほど、米に価値があったとのこと。
 
兵庫県全体でも広い土地が少ないため、兼業農家が多いそう。
専業農家が少なくなってきているのも課題だとお話ししてくれました。
家以外の部分も、色々な課題があるということがわかりました。





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