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どうして茅葺きを残したの?②田中さん

茅葺きのお話シリーズ第2段

こんにちは。
茅葺き屋根の住人の方にインタビューする「なぜ茅葺きを残したの?」のコーナーです。
今回は第2弾、山田にお住まいの田中さんにお話を聞きました。

江戸時代からの家?

田中さんのおうちがいつからのものか、正確にはわからないそうです。
屋根裏から書類が出てきたものから、江戸時代くらいではないか、と言われているそう。
書類は、お寺のもので、元禄のものの可能性があるらしく、屋根裏にあった丸い俵のようなものの中にあったそうです。
明確なことはわかりませんが、畠田さんのお家と同様に、とにかくとっても古く、歴史ある家のようです…!

現在、家の中はリフォームしています。
かつての馬小屋がった場所は今は応接間になっていますが、田中さんが小さい時はまだあったようです。

自分の目の黒いうちはこのままで。ずっと守ってきた茅葺き屋根

茅が見える状態で屋根を残している家は、今ではとても少なくなってきました。
そんな中で、どうして田中さんのご家族は屋根を残してきたのでしょうか。

それは、田中さんのお父様の思いによるものでした。
ここ数十年で、茅葺きの上から瓦をかぶせるトタン屋根がかなり多くなりました。
しかしその中でも
「よそがとたん被せても、自分の目の黒い間は、茅葺きにしといてくれ」
という言葉により、田中家の茅葺き屋根は守られてきました。

実際、田中さんは守りたいというより、なんともなしにそんな感じかなと思って守ってきた、とおっしゃっていました。

茅葺き屋根に対する思いも、畠田さんとは異なり、「普通」とのこと。
卑下もしないし、誇りも特にないそうです。自分の当たり前であり日常であるのだとか。

畠田さんとはまた違った屋根の残り方でした。
家族の思いを引き継いで、それが当たり前の感覚であるとことが素敵だなと感じました。

職人との思い出

畠田さんと同じく、田中さんの屋根も去年くさかんむりが修理させてもらったお家です。
それまでは、田中さんの遠い親戚の人が茅葺き職人だったようで、藤原さんという方にずっとやってもらっていたそうです。

2年前にご主人さんがくさかんむりのところに話を聞きにきてくれたのが、始まりだったようです。
くさかんむりの代表である、相良育弥さんが指定を受ければ援助を受けられることなどを教えてくれ、神戸市ともつながったとのことでした。

職人さんとの思い出も聞いてみました。
昔は、70歳くらいの人、3、4人くらいが来ていたそうです。
つまづいてると心配で、つい下から「保険入ってる?」と声かけてしまったこともあるのだとか笑

そんな中で、くさかんむりは若い人が来てびっくりしましたが、安心できたとのこと。
インタビュー中もくさかんむりの作業の様子の動画をたくさん見せてくださいました。

くさかんむりの紹介で、今回お話を聞くことができましたが、田中さんは、昔から職人さんとは仲良くしていたそうです。
お施主さんと職人さんの関係が深いのも、茅葺きに関わって感じている魅力の一つです。

家族に出された未来への宿題。今後は?

今回の屋根の修理は、神戸市の補助金があったこと、くさかんむりと出会ったことにより実現し、屋根を守ることになりました。

しかし、20年後に再度残すのか、残さないのかの選択が来ることになります。
それは、娘や孫に宿題を出しているようなものであると田中さんはおっしゃっていました。
若いものには申し訳ないという気持ちを持ちつつ、いい方向に検討してもらえたらと考えているそうです。

もし、娘さんたちが潰す選択をとっても仕方ないと考えているようで、子供たちの選択を尊重するとおっしゃっていました。

田中さんも時代が変わっているので、状況が違うと思っているそう。
農業と同じ感覚で、家も、畑もうちの代で終わりかなと感じているそうです。

まとめ

理由は違えど、茅葺きの屋根が残ってきたのはやはり、茅葺きに対する熱い想いでした。

しかし、話を聞けば聞くほど、時代の変化とそれに伴う、屋根の維持管理の大変さを感じます。

残したい思いがあるのに、お金の問題で諦めてしまうのだけはとても勿体無さを感じます。
もっと新しい仕組みづくりなどができたらいいなと思いました。

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