退院

9ヶ月に及んだ入院生活は8/31に終止符が打たれ、父が待ち望んだ我が家へ帰宅しました。

在宅介護に切り替えるまでの道のりは長く遠かったのですが、始めてからは充実感で満たされています。始まる前のあの漠然とした不安はいったい何だったんだ、、、の心境です。

一番よかったことは、会える!の一言に尽きます。コロナが猛威を奮っている中、面会がどんどん制限され、3月からは全く会えなくなっていました。

昨年11月の入院時より1日も欠かすことなく面会に行き、父の側に居続けた母にとっては面会が出来ないことは拷問に近く、それは恐らく父も同じ気持ちだったに違いありません。医療に携わる方たちの奮闘にも頭が下がりますし、我慢を強いられる患者とその家族もまた辛いですね。父の様子は医師や看護師から伝え聞くだけ。たまに父の携帯を使ってテレビ電話をしてくださる時が唯一父の姿を見ることが出来る時でした。

その頃の父は、繰り返す誤嚥性肺炎の影響で肺の機能はだいぶ落ちてはいるものの、ベッドの上で動かない省エネ生活のため、まだ動く肺が頑張っていて、状態は割と安定していました。回復は見込めない旨は医師からも丁寧な説明があり理解していました。自宅に帰るのは今しかないのかも、、、と漠然と考えるようになりました。

病院のソーシャルワーカーからは、急性期の病院で出来る処置は終わったため、そろそろ療養病院への転院を考えましょうと言われていました。母の気持ちを聞くと、自宅に帰してあげたい、と。私も同じ気持ちでした。療養病院でも面会は当然出来ません。母と私はこのまま面会も出来ず、父の様子もわからずに最期を迎えるのだけは避けたい!という想いだけでした。そこで、医師や看護師、ソーシャルワーカーへの相談が始まりました。

まず、急性期の病院からはリハビリ病院や療養病院に転院するパターンが大半を占めているため、そもそも直接自宅に帰った事例が少ないとのこと。更に、患者が帰宅する際は、家族が痰の吸引をはじめとする手技の習得が必須だが、コロナの状況下、看護師からの直接指導が行えないため、帰宅へのハードルはかなり高い(というか過去事例ゼロで無謀な決断)ということでした。急性期病院から直接帰宅する方は、家族が1週間病棟に泊まり込んで、手技や身体ケアなど日常行うことをプロから直接ご指導いただき、それを習得した上で初めて帰宅が叶うようです。

コロナ禍で在宅介護を始めるということは、痰の吸引をはじめとする手技の習得が出来ず、それは命に直結する最大のリスクである旨、医師や看護師、ソーシャルワーカーから何度も説明をされました。その度に心は揺れましたが、やっぱり面会が出来ないという辛さは、患者である父とその家族にとって何にも勝るリスクだ!という結論に至ったわけです。

病院側もオススメできない在宅介護の準備なので当然慎重になります。家族が一体どこまでの覚悟なのか?なかなか甘く考えてしまっているのでは?など心配もごもっとも。一方でこちらは、病院側にイマイチこちらの本気度が伝わっていないもどかしさもありました。この先の回復は見込めず、先が長くないこともわかっているのだから例え自宅で痰が引けなくて死なせても本望だ!くらいの心境でした。また、やりたいこと(例えば誤嚥性肺炎のリスクを無視した飲食など)をやって、やりたくないことはやらない!(痰の吸引も含む)例えそれが命を縮めることであっても!!くらいの決意でした。

こうやって書いてみると、随分と感情的ですね(苦笑)これでは病院側のご心配も無理もありません。。。

ただ、これは冷静に伝えた記憶があります。

「今はもう1日でも長く生きて欲しいという段階ではありません。ここからは少しでも穏やかに、父本人にはもちろん家族としても最期にいい時間を過ごしたいと思っています。」

この一言で風向きが変わり、一気に在宅介護への舵が切られました。こうして、手技習得ゼロベースの前代未聞の退院が決まりました。


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