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僕が地域活動を始めた理由

僕が社会人になったのは32年前のバブルの真っ盛りの時期です。東京理科大学の電気科を5年かけて卒業し、就職活動をしなかったので文京区の関口にヴェルテックという自分の会社を作りました。ちょうどパソコンが普及し始める時期だったので機械に詳しいライターということでいろいろな所から声がかかり、便利に使ってもらっていました。もともとモノを作るのが好きだったので、プログラミングを独学で学び、システム開発にも関わるようになりましたが、紆余曲折、あっちやこっちに引っ越したりといろいろありまして、大きな転機は東日本大震災ですね、災害復旧のボランティアに関わってみて「人を喜ばせるのは楽しい」ということに気がついたのでした。20年ぶりぐらいに文京区に戻ってきて1年後のことです。

競争社会の中にいると自分より上のランクの人が失敗すると嬉しくなってしまうんですよね。他人のランクが下がれば自分のランクが相対的に上がるので当然です。ただ、人の失敗を喜ぶ人ばかりで構成された社会で暮らしても楽しいはずがありません。逆に人が喜ぶ(=幸せな気分にさせる)ことをするのが「楽しい」と感じる人達で構成された社会はどうでしょう。ただ暮らしているだけでどうやったって楽しいはずです。ではそういう社会をどうやったら作ることができるのか、そこが出発点になりました。

おそらく、お金を価値の基準とする慣習から距離を置くことが必要になると思います。あらゆる価値をお金に置き換える世の中で競争すれば、お金の取り合いになることはどうしたって避けられません。今の金融はお金をたくさん持っている人が有利に運用できるシステムになっているので、貧富の格差を縮めることは原理的に不可能です。お金の呪縛から逃れるにはどうしたらよいのでしょう。いろいろ本を読みました。ヒントを見つけたのは『限界費用ゼロ社会』という分厚い本の中です。そこには「ビジネスの利益は情報の差から生まれる。コンピュータの技術によって情報の差がなくなればビジネスから生まれる利益は限りなくゼロになる」というようなことが書かれています。そういう状況になった場合の鍵になるのは「ネットワーク化されたピアトゥピア型のコモンズ」だと言っています。平たく言えば「お互い様」ってことですね(たぶん)。

とはいえ「お金を使わずにお互い様で暮らす」という社会に切り替えるのは簡単なことではありません。「革命を起こして通貨を発行する中央銀行を廃止すればよい」などと言ってみても虚しいだけです。現状の法定通貨を無くしてしまうのではなく共存可能な形で別の価値基準を注入することはできないでしょうか。僕はそれが地域通貨だと思っています。地域通貨については20年ほど前にNHKのBSで放映された「エンデの遺言」という特集番組が参考になります。その中に大恐慌の折にヴェルグルという街で発行された地域通貨の話が出てきます。面白いのは「地域通貨の紙幣には月をまたぐ際に印紙を買って貼らなければならない」という点です。つまり持っていると価値が目減りする(=減価する通貨)ということです。「目減りするお金なんて欲しくない」と思うかも知れません。しかし、こうすることによってお金を「溜めるのではなく使う」方に動機づけすることができるのです。「持ち続けるよりさっさと使ってしまった方が得」ということですね。地域通貨で全額を払うのではなく、たとえば2割までなどの決まりを作れば地域通貨が法定通貨を引っ張って回るようになります。当時のヴェルグルでは地域通貨の導入によってあっという間に景気が回復したそうですが、通貨の発行は政府の専権事項ということで禁止されてしまったそうです。日本でも地域通貨を発行しようとするなら法律をよく調べる必要がありそうです。

ちょっと話がまわりくどくなりましたが、要するに住んでいる街で楽しく安心して暮らすには、競争することをやめて「お互いさま」の価値交換で社会を回していく必要があるのではないか、そのためには地域通貨が役に立つのではないか、ということです。ただ、地域通貨を作るだけではダメで、地域通貨を使う人のつながりを作っていくことが大事です。ちょっとしたお互いさまの助け合いでお礼にお金を渡すというのはどうも日本的ではないと思いますが、そういう所にこそ地域通貨がフィットするのではないでしょうか。「持っていてもどうせ目減りして最後には無くなってしまうから、あげるよ使ってよ」というのは、わりと「あり」なんじゃないかと思います。

話が大きすぎてどこから突っ込めばよいのかという感じですね。この後、こちらのノートに具体的なアイデアや実際に試してみたことなどを書き連ねていきたいと思います。

(了)


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